第二十六話 目を離してはいけないストライカー
試合再開の笛の音と共に中国は凄い迫力で攻め込んでくる。
その勢いは俺が警戒していたにも関わらず無意識に後ずさりしそうなほどだった。予想通り相手は勝負をかけてきたらしい。
でも、さっきの二点目を失った時といい、あの中国の監督は試合中のタイミングを読む勝負勘がないな。二点差がついて残り二十分という状況になってからハイリスクなギャンブルを仕掛けてもちょっと遅いぞ。
馬鹿みたいにロングボールをゴール前の楊に放り込むだけなら、うちの守備陣だってそのぐらい単純な攻撃は余裕を持って――。
「武田! 体で止めろ!」
「判ってるが、止まらねぇんだよこの化け物は!」
余裕を持って防げるはずなのに、楊の奴が止まらない。
DFの武田を半ば引きずるようにして、楊が強引なドリブルでペナルティエリアに侵入しようとする。あいつってヘディングだけじゃなくドリブルも結構うまいじゃないか! しかもあれだけの体だ、DFにパワー負けしたことなんかないんじゃないかな? けっ、だから恵まれた体格を持った奴は……。じゃねぇ、大ピンチだ。
だが、俺が慌てて最終ラインに入ろうとするより早く武田のフォローをしていた真田キャプテンによってなんとかクリアされ、時間が止まると中国ボールのスローインへと変わる。
「真田キャプテンナイスディフェンス!」
俺以外からもそのボール奪取能力に賞賛の声が挙がるが、真田キャプテンは手を叩いて「いいから集中しろ、集中!」と叫ぶ。
ふむ、その通りだな集中しようか。
それにしてもさっきの楊の突破は凄かった。まずは、でかい体をフルに生かして後方からのロングボールを空中戦で自分の足下に落とす。そこで味方にリターンパスを戻すポストプレイかと思えば、周りのDFをなぎ倒すようなターンをしての自らゴールへ向かうドリブルだ。トラックが軽自動車を弾き飛ばすようにパワーで日本の最終ラインを個人で突破しかけていた。
なんとか真田キャプテンによってボールを奪えたが、高さとパワーだけでなく足技を使ったドリブルまであるとなるとかなり厄介だ。武田と真田キャプテンの二人で大丈夫かな……いや、大丈夫に決まっているじゃないか。うちのディフェンスを信じろ。
後半も半分が過ぎ、残り十五分ぐらいになったころに敵のプレスのペースがやや落ちてきたように感じた。さすがにあんな休みなしの守備をそうそう続けられるものじゃない。前半よりもプレスが弱まるのが早いぞ。
チャンピオンズリーグに出場している屈強な選手達でさえ、時間一杯プレスをかけるのは不可能だとされているのだ。大人の場合は九十分とこのアンダー十五の試合より試合時間が三十分も長いが、いくら大人より短いとはいえそれでも成長途中の少年達がずっと走りっぱなしでいられる訳がない。
ましてやこのプレスは一人でもさぼる奴・走れなくなった人間がでれば、包囲網がただの破れた網になってしまい意味がなくなる。そのためにチームの全員が休めないハードな物なのだ。
中国は前半もそんな消耗する作戦を決行して、その後守備でさんざん左右に振り回されたんだ。俺達がそうなるように意地が悪くパスでディフェンスを引きずり回して体力を削るようにプレイしていたのだから、そろそろ体力が尽きてもらわないと割に合わない。
プレスが緩くなったのを感じ、ボールをもらうと前を向くことができた。さっきまではパスが渡った瞬間に相手がついていたから反転する余裕がなかったのだ。確実に相手の対応が一呼吸ずつ遅れている。ならば、チャンスの到来だ。
今度は右サイドを使おうと山下先輩にロングパスを送る。
軽くカーブするボールが描く軌跡はきちんとウイングのポジションにいる山下先輩にまで届いた。
うん、プレスが遅れているせいか先輩もDFと一対一で勝負ができるようだ。もちろん抜けばビッグチャンス。前半の島津のゴールにつながったプレイのようなシーンが再現されるはずだ。
げ、山下先輩の馬鹿! ドリブルで抜けずにボールを奪われやがった。いや、あれは相手のDFが上手かったんだ。よく見れば山下先輩をマークしていた相手が前半から変わっている。どうもドリブルを止めるのが得意なタイプを個人突破を好む山下先輩用に配置しておいたらしい。
くそ、それはともかくカウンターが来るぞ。
この時ばかりは中国にとってはプレスが遅れたのが幸い、日本とっては災いだ。なぜなら、まだ日本の前線に残って自陣まで戻りきっていない中国人選手が多数いるのである。
中国のカウンターはまたもや島津が上がって不在の日本の右サイドから行われた。
敵のウイングが日本の右サイドを切り裂いてもこっちのサイドに対応する動きは遅い。むしろゴール前に人数を割いている。仕方なく俺が下がって抑えに行かないとマズいなと動き出すと、それより早く向こうはゴールライン付近まで進んでセンタリングの準備をしている。こりゃちょっと間に合わないかな?
だがゴール前の敵選手には全員密着マークがついている。特にニアサイド――蹴る方へ近いゴール前――にいる楊には、武田と真田キャプテンの二人が左右を挟むようにして自由を奪っている。これならば大丈夫かと安心しかけた時、ようやく敵のウイングがクロスを上げた。
それはこれまでのように楊の高さを生かそうとする上空へのハイボールではなく、低く速い弾道のオウンゴールを呼び込みそうなシュート性のクロスだった。
虚を突かれた形になった日本DFだが、ゴール前の守備に参加していない俺が感心するほど素早く反応した。一番ボールに近い武田が楊の前に立ちはだかり壁となったのだ。そして楊の背中側になった真田キャプテンも審判の目から判らないぐらいにさりげなく彼の袖を引っ張って動きを制限している。
自分達がボールをクリアするよりも楊に動かれない様にする密着マークだ。クロスボールは他の仲間に任せるつもりらしい。
このままニアサイドをスルーできればボールはキーパーの真正面だ。きっとキャッチしてくれるだろう。
だがそんな期待を裏切り、武田の目の前でボールは角度を変えてゴールへと突き刺さった。
オウンゴールでもカーブがかかっていたのでもない。
何が起こったのか? 答えは単純だ、武田の背後にいた楊が武田の脇の間から体越しに左足をぬっと突き出してボールに触れていたのだ。
武田だってぼうっと立っていた訳ではない、周り込まれない様に肘を張り、腰を落して背中で楊の動きを感じ取っていたのだ。普通ならばそれだけ警戒したDFが前にポジションをとって、しかも後ろのDFには袖を掴まれていれば身動きが取れない。しかし、規格外に大きい楊の体と長い足がその場からの敵の体越しのシュートを可能にしたのだ。
日本国内の試合であれば、これだけきっちりマークしていれば得点はされなかっただろう。しかし、そんな常識を越えているのが世界のレベルなんだ。
まだアジアレベルはその入り口でしかないが、俺達の常識では判断できない選手や技術がまだまだ存在するのだ。それを知り体感する為にも世界大会へ進まねば。
俺が楊のシュートに「負けるもんか」と決意を固めていたが、他の日本のメンバーにはまだ事態の把握ができていなかったようだ。
え? 今何が起こったんだ? と呆然とする日本の守備陣を尻目に、楊と中国選手がゴール内のボールを抱き抱えて走っていく。
審判の得点を告げるホイッスルに落胆の呻きが日本のサポーターから洩れる。そして対照的に活気づくのが中国のユニフォームと同じ赤で染まった向こうのサポーター席だ。まるで生き返ったように歓声が爆発し、大きな中国の国旗が無闇に風を切って振り回される。
ちっ、中国がプレスを続ける体力が尽きるとそこで勝負ありだと考えていたが、これで向こうの士気も回復してしまったな。もしかしたら一点差に縮まった事で精神的にリフレッシュして、消耗した体力まで回復してしまったかもしれない。これでは試合の最後の一秒まで油断できないぞ。
ロスタイムも入れると残り十五分といった所か、実際以上に長く感じそうだな。
センターサークルにボールをセットすると「早く再開しろ」と言わんばかりにさっと自陣へ戻り審判にアピールする中国チーム。
これには審判もうちに対して再開するように促すしかない。
こうして失点したにも関わらず、精神的に立て直す時間がないまま試合が再開されそうになっている。本来はこんな時は、ピッチ上の監督である真田キャプテンが一声かけて冷静さと気合いを取り戻すのだろう。だが今回は彼も失点を防げなかった原因の一人である。瞬時に平常心を取り戻すのは難しいか。
真田さんは温厚で本当に良い人だが、本当はキャプテンをやるには繊細すぎるのかもしれないな。落ち込んでいる風情のキャプテンにどうするか頭を悩ますが、それより早くベンチから監督が声をかけた。
「気合いを入れなおさんか真田! このままだとコロンビアの奴にお前の真の名前が奪われるぞ!」
「それって誰の事ですか!」
あ、復活した。
でも監督、ロドリゲスは自ら禁句って言ってましたよね。しかし、その名前を口に出して言ってはいけないとは、まるで恐怖をまき散らす魔法使いとか魔王みたいな扱いだな。
ま、落ち込むよりは怒っている今の真田キャプテンの方が戦う仲間としてはずっとましになったようだけどな。これも山形監督なりの発破のかけ方なのかな? でももう少しスマートな喝の入れ方を希望するぞ、そうでないと俺にまでおかしなあだ名がつけられそうだからな。




