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やり直してもサッカー小僧  作者: 黒須 可雲太
第一章 小学生フットボーラ―立志編

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第五十一話 みんなで肩を叩き合おう

 俺とカルロスの間に転がるボールに、最初に触れる事ができたのは俺だった。

 単に同距離を同じタイミングでスタートすれば、間違いなくカルロスが先着する。だが、ここは第三者のいない陸上のトラックではない。勝負の分かれ目は、カルロスに肩をぶつけるようにして彼の初動を遅らせてくれた、頼りになるうちのキャプテンだった。


 それでも半ばキャプテンを突き飛ばすような格好で迫ってくるカルロスよりも、ほんの一瞬だけしか先にたどり着けなかった。これでは細かなボールコントロールなど出来るはずもない。このままではすぐにボールを奪われると確信した俺は、トラップしてからのドリブルではなく勢いを殺さずにスライディングするような格好でのダイレクトでのパスを選択する。

 カルロスの長い足に引っかからないように注意したパスは、ぎりぎりでその長いコンパスを通過し、こちらに近づいていた山下先輩へときっちり渡った。


 あのパスでもカットされかかるとは、やはりカルロスの足のリーチは日本人離れしているな。いやあくまで日本人小学生の平均と比較しただけで、俺と比べた訳じゃないぞ。

 そんなちょっとした屈辱を感じている俺を置き去りに、カルロスは新たな獲物を見つけた猟犬のように、風を裂く音がしそうな鋭い方向転換をして山下先輩に襲いかかる。


 パスを受けた山下先輩はくるりと素早く反転すると、カルロスが追いつくまでの僅かな時間に先輩としては遅めなドリブルで数メートルだけは進んだ。そして充分に敵の注意とマークを引き付けたと判断したのか、ノールックでのヒールパスを出す。

 そこに走り込むのはもちろん俺である。


 さすが先輩だ、毎朝のトレーニングでやっているのと全く変わらないタイミングで俺の元へとパスが届いた。間違いない。きっと彼はずっとヒールキックの個人練習をしていたに違いない。俺の方が得意だからって悔しそうに何度もコツを聞いていたもんなぁ。

 こんな切迫した状況にもかかわらず、自分の足下にチームメイトから託されたボールがあるのが嬉しくて、歯を食いしばっていた顔が勝手にふにゃっと崩れる。


 とにかくボールを確保してドリブルを始める俺の前には、スペースという名の自由な花道が広がっていた。

 ここまでノーマークになれたのには山下先輩の貢献が大きい。あれだけ敵のマークを集めてくれれば、その影から飛び出した俺への対応も遅れて当然だ。

 特に助かったのは、すぐそばにいたカルロスも引き付けてくれたことだ。あいつは反応の速さが仇になり、俺から先輩にターゲットを変えた後、さらにノールックパスと翻弄されて完全に振り切られている。そして他の剣ヶ峰DFも一斉に上がり始めたうちのチームメンバーに気を取られ俺にマークを絞り切れていない。


 ありがとう。

 俺の心の中にあったのは激しい試合の中には不似合いな感謝の念だった。

 キャプテンがカルロスの一歩目を止めてくれたから、俺が先にボールへたどり着けた。

 山下先輩がマークを引き付けてくれたおかげで、今俺は自由にドリブルできる。

 守備陣もきついだろうに両サイドが駆け上がってくれたから、中央にいるDFが少なくなっている。

 交代してくれたボランチの先輩、あなたが最初の八分間頑張ってくれたおかげで、スタミナのない俺でもまだ何とか足が動く。

 そして下尾監督、こんな作戦をよく破る三年生をよく主力に据えてくれたものだ。おかげでこうして終了間近のプレッシャーがかかる場面でも自由にプレイができる。

 この矢張SCに入ったのは間違いではなかったな。

 まさかあんなにサッカー馬鹿だった俺が、あれ以上にもっとサッカーを好きになれるなんて自分でも思っていなかった。


 こみ上げる感情を抑えきれずに、叫びにも似た笑い声を漏らしてドリブルを続ける。走っている最中に呼吸を乱すのは御法度だと判っていながらも我慢しきれなかったのだ。

 前にディフェンスが立ちはだかると、顔を上げてその目から視線を逸らさずにノールックでサイドの仲間へパスを送る。渡された相手もダイレクトで敵をかわした俺へボールを戻す。スピードを落とすことなく、さらにダイレクトで前線で張っているFWへ回す。DFを背負ったFWがそれをまたもワンタッチで俺へ戻す。

 この時の俺はほとんど全力疾走のペースは変わらず、味方のパスもダイレクトパスなのにぴたりと足下や前のスペースへと通った。事前に打ち合わせやアイコンタクトさえなかったにもかかわらず、全員の意志が統一された見ているだけでもわくわくするコンビネーションプレイだ。


 そんな夢のような時間が終わる瞬間がやってきた、敵のゴール前にたどり着いたのだ。ここまで俺を連れてきた人達への感謝をこめて丁寧に逆転のシュートを撃とう。

 表情が真剣に戻り、視線をボールに落す。肉眼だけではなく鳥の目で周囲の状況を確認する。俺へのマークは最接近しているDFはシュートコースを切っているだけで、カルロスと同様に到達するまで後二秒はかかる。落ち着いてキーパーとの一対一に専念できる絶好の舞台だ。

 

 キーパーはさっきは飛び出してゴールを割られたのが頭に残っているのか、腰を落して前進はしているがまだ体を倒してはいない。これはループではなく速いシュートでキーパーが届かないゴール隅に撃つべきだ。

 これまでさんざん俺を悩ませていた決定力不足よ、今だけは味方をしてくれ。

 祈るような気分で足を振りあげると、不意に頭の中に監督の言葉がよぎった。

「サッカーを楽しめよ」――ええ、充分に楽しんでいますよ。引き締めた表情が緩み、全身から無駄な力みが抜けて、唇からは牙が覗く。


 今までよりも柔らかいフォームから放たれたシュートの感触は、前世を含めても最高の物だった。

 芝を這うような低く鋭いライナーがキーパーの伸ばす手よりも一瞬早く通過する。

 瞳には揺れるゴールネットに横たわるキーパー、耳からはボールがゴールネットを擦る軽い音、そして耳ではなく肌がビリビリ震えるほどに自分に浴びせられる歓声を感じている。

 だが、こんな劇的な場面でゴールを決めたにもかかわらず、俺は興奮よりむしろ安堵の気持ちが先に感じた。

 ――ああ、これで少しは皆に恩返しできたのかなぁ。


 審判がゴールを認める長いホイッスルと、試合終了を告げるホイッスルを続けて鳴らす。歓声に包まれていても、この音だけは耳に届くんだよなぁ。勝利の時は優しく、負けた場合は鼓膜に突き刺さる音色である。


 ゴールからゆっくりと振り向くと、チームの全員が俺めがけて駆け寄って来ている。

 パスをくれた山下先輩は「俺にリターンパスをよこさなかったんだからな、外してたら殴ってたけど……。まあナイスシュートだ」といつもなら言わない賞賛の言葉と背中に赤い紅葉をプレゼントしてくれた。

 いつの間にか、シュートを撃った俺の後ろにまで追いついていたキャプテンは「フォローする必要ないぐらい、いいシュートだったね」とぽんと肩を叩いて褒めてくれた。


 他の皆も「よくやったぞ!」とか「格好良かったぞ!」や「唸れ! 俺の右掌。キャプテンの時の分まで、はあっ!」などの声と共に、背中や頭をばしばしと音を立てて乱打してくる。

 嬉しいけれど、正直痛い。

 ベンチと観客席に得点したとアピールしに行く素振りで、この場から逃げ出す事にする。


 俺に対してまだ祝福なのか叩き足りないのか不明なチームメイトを引き連れて観客席に向かう。

 ああ、うちの母さんが手を振っているが、周りのママ友の興奮ぶりにいささか押され気味だな。あまりサッカーに詳しくないんだよな、うちの母さんは。息子が頑張った程度に思ってくれればいいんだけれど。

 俺がガッツポーズをすると周りの人が立ち上がって、手を振り返していたのに母さんは人影に埋もれてしまった。

 ま、まあ有名税みたいなものか。これからもきっと何度もこんなご面倒おかけする予定ですが、これでも親孝行のつもりなんです。


 次にベンチに向けてのポーズだ。監督にぐっと拳を突出し、親指を立てる。監督もそれに応えて、芝居がかった様子で自分のかぶっていた帽子を脱ぐとサムズアップを返してきた。

 いや、気が付くと監督のみならずベンチ入りしているメンバーの全員がポーズを返している。

 そのどこかおかしな光景に思わず笑いが込み上げる。同時に今頃決勝点を取った歓喜が込み上げてきた。


 前に突き出していた拳を改めて天に突き上げ、自分でも区別のつかないが熱いことだけは確かな感情を込めた咆哮を放つ。


「おおおおー! おおーはっはっはっは!」


 後半は笑いへと変化してしまったが、胸に溜まっていた試合での熱気とプレッシャー、ストレスに緊張などプラスもマイナスも全て吐き出してしまった。

 周りも俺の大笑いに一瞬ギョッとした表情だったが、すぐにくすくすと含み笑いからチーム全員がお互いの肩をばしばしと音がするほど叩く、大笑い大会になってしまった。

 この機会にさっきの仇を討とうと、山下先輩などと集中的に狙われる同士でスナップを利かせた張り手の交換をする。痛いくせに今だけは気持ちがいいんだよな、これが。ただ今夜、風呂に入る時は地獄だろうが。


 それでも、今のこの時間だけは体のすべての感覚は痛みや疲労でさえ快く、耳に入るのはチームメイトの嬉しい悲鳴だけだった。


 ――ああ、やっぱりサッカーって楽しいな。

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