第二十二話 リスクを恐れず攻め上がろう
ようやく審判の笛が鳴り、震えるほどに渇望していた後半が始まった。
だからといって体の高ぶりのままに暴れまわるわけにもいかない、俺の体内にあるバッテリーは容量が少な目なのだ。冷静に効率的に溜め込んだエネルギーを放出するべきだろう。熱を帯びて勝手に走り回りたがる手足の手綱をしっかりと握り直す。
さて頭をクールダウンさせながら相手チームの前半までの戦術を確認すると、陣形はこちらと同じ三・五・二で比較的オーソドックスな戦い方をしていた。ただ問題なのは選手一人一人の質が高く、プレイの一つ一つが洗練されている事だ。もしもただの観客として前半の試合を観戦していたのなら参考にしようと思うコンビネーションさえもいくつかあった。
つまりは個人としても組織としても高いレベルでまとまった好チームという事で間違いない。そりゃ本来の歴史ではこの県大会で優勝するはずのチームだ、弱いわけがないな。
上等だ、弱点がないのなら純粋な実力でねじ伏せるしかないってことか。
本来は不利なはずのその条件でさえ今の俺には自分を鼓舞する物としか思えない。なぜならばこれで勝った場合は堂々と「俺達の実力が上だったから勝てた」と口にすることができるからだ。相手のミスをひたすら待つとか弱点だけを延々と突くとかそういった「小賢しい」戦い方ではなく「強い」戦い方でしか破れないレベルの敵だ。ようやくこんなチームの住む所まで昇ってこれたんだなぁ。
思わず口元がほころんでしまう。もちろん俺は笑ったわけではない、牙をむいたのだ。
DFから俺へさあそろそろ攻めようぜとボールが廻されてきた。この試合のファーストタッチだが、足に吸いつくようなトラップが出来た。俺の場合はふわりと受け止められた時よりも、今のようにピシッとボールがはまった感覚の方が調子はいい。こりゃ最高のコンディションだと笑みを深くする俺だがさっそくマークがつく。
当然だろう。一点負けている矢張SCは攻撃に重心を置くために、俺のポジションを一つ上げて攻撃的MFにしたのだ。山下先輩と並ぶ高い位置にまで上がっているプレイヤーが、ノーマークでボールを持てると考えるほど俺は夢想家ではない。このマークについた八番の選手は大柄でいかにも力押ししてきそうなタイプだが、前半のプレイでは足下の技術もしっかりしていてパスもドリブルも標準以上だった。さすがは強豪だよな、ただの潰し屋ではなくサッカー選手としての基礎が血肉になっている。こいつを出し抜くには一工夫も二工夫も必要だ。
ボールを貰うと同時に鳥の目で前線の配置を確認するが、こちらの攻撃陣には綺麗に全員にマークがついている。御丁寧にうちのFWのツートップには、一人に一人ずつしっかりとつくと同時にDFをスイーパー気味に余らせるというスリーバックの最も効果的な布陣に重なってしまっている。
元々スリーバックはツートップを止める為に成立したようなディフェンスだから、その術中にはまってしまうのも仕方がないのだが負けている分際で易々と諦めるわけにも行かない。
「山下先輩、もっとゴール前に上がってください」
「え、これ以上前に行くとFWになっちまうぞ」
「じゃあ、今から先輩はFWって事で。俺がパス届けますから点を取ってきてください」
「……絶対にいいパスよこせよ」
ボールを保持したまま話す俺とは長くは喋れないと納得したのか前へ走って行く。よし、先輩ならゴールをちらつかせればすぐ上がってくれると信じていたよ。まあ試合中にボールを持ってる奴から話しかけられたら「判った、判ったから落ち着いてくれ」って気にはなるだろうが、別に脅迫したわけでもないし素直に指示に従ってくれたのだから文句を言う筋合いではない。
これで多少強引だがスリートップになったな。おかげで中盤が薄くなった変形の三・四・三だが攻めるためだと目をつぶろう。負けている方がリスクを覚悟して攻めないといけないのは当然の事だ。
後半が丸々残っているからといってゆったりと構えてもいられない。残り二十分で逆転するには二点取らなければならない。つまり十分で一点だが、これまでの対戦相手との試合であればそれは可能である。しかし、それがどんな試合でも簡単にできるならば、前後半合わせて九十分のJリーグのスコアは野球以上の大量得点で溢れてしまうだろう。そうならないって事は、つまりレベルが上がるほど一点の価値も上がるのだ。そして、現在の対戦相手は俺の記憶通りなら間違いなく県で最強のチームだ。時間に余裕があるなんて言っていられる相手ではない。
一旦キャプテンにボールを戻し、再度相手の陣形を確認する。こういう展開に困った時にいつでも立て直し可能なキャプテンっていうのは本当に助かる。
さて相手の守備陣は、山下先輩がFWに上がっても余っていたDFをつけただけで慌てた様子はなかった。今まで山下先輩をマークしていたボランチがスペースを潰す役割に変化したぐらいか。それでもこの対応は俺にとっても望ましい物だった。なぜなら余ったDFがいなくなったからで、三人いるFWの一人でも駆け引きに勝ってノーマークになればそこにスルーパスを届ける自信が俺にはあるからだ。前半の攻撃ではFWがフリーになると、余っていたDFがすぐにフォローしていたのでなかなか決定機を掴むのは大変そうだったからな。
のんびりと迷っている暇はないと決断し、大きく息を吸って「先輩!」と叫ぶと一本の指を立てる。ボールを貰ってもいないのにマーカーがすぐに駆けつけてきたので、その指示をFWが確認したと勝手に決めつける。キャプテンが俺に返したボールをダイレクトでヒールに引っかけて勢いを殺すことなくゴール前に送った。
これはほとんどがゴールに背を向けたままのプレイだからマークしている相手も邪魔がしにくいのだ。それなのに俺をマークしている八番は反応しやがった、ヒールキックされたボールを止めようとスライディングして足を伸ばしたのだ。もし今のがトラップしたりして一拍おいたパスならば止められていたんじゃないか?
微かな戦慄を覚えたが、なんとかボールは八番の足の先ギリギリを通過した。
よし、いいコースにコントロールされたパスがDFの間を抜けFWに……と思ったら受け手に設定していたFWがマークしていたDFから強烈なチャージで体勢を崩され、その目の前を転々とボールが流れていってしまった。敵キーパーが転がるボールを地面に伏せるような格好で放すものかと大事にセーブする。
く、今までは成功していたノールックでのヒールパスも簡単には決まらないか。これだけよく鍛えられたDF陣を出し抜くのは一筋縄ではいかないようだ。あのDFもゴール前だというのにファールぎりぎりのチャージを臆する事なく実行しやがる。よほど自分達の技術に自信を持っているんだろうな。
唇を噛みしめていると八番が俺の前に立ちふさがった。お互いが無言だが何を伝えたいかこんな時は目を見れば判る。これも一種のアイコンタクトだ。俺からのメッセージは――邪魔すんじゃねぇ、八番からは――次は必ず止めてやるといった所か。さてどっちの言い分が通るか楽しみだな。
後半も半分近くが過ぎ、微かに焦りが胸にちらつきだす。早い所同点にまで追いつかないとチームメイトにも動揺が広がってしまうだろう。
少しギャンブルになるが俺も実戦では一度もやった事がない技を試してみるしかないか。これだけのレベルの相手にリスク無しで点を取りに行くのは至難の技だからな。
ノールックやヒールでのパスが上手くいかないのは、敵のDFの実力もあるがこれまでの試合で俺が見せすぎていたのが原因だ。あれは一種の奇策だから、初見でなければ効果は激減する。おそらくこいつらDFはビデオででも観察していたから驚く事がなくこれらのプレイが有効に作用しないのだ。だったら少し方向転換する必要があるだろう。
ボールをキープしているDFにボールを要求すると、キャプテンを経由して俺に廻ってきた。本当にキャプテンが便利で仕方がない、一家に一台じゃなくて一チームに一人はこんな黒子が必要だ。俺もこんな風なプレイも勉強して選手としての幅を広げなきゃいけないな。まあそういった反省はまた明日にでもして、今はこの試合で出来ることに集中しようか。
俺がボールを持ってもマークについた八番は迂闊には近づいてこない。あまりに接近しすぎると、またヒールキックでスルーパスを出されると警戒しているのだろう。ではその警戒心を利用させてもらおうか。
後ろ向きのままボールを右足で踏みつけるようにして後ろへと押し出す。マーカーはヒールパスかと身構えるが、このまま体を半回転させれば単に右足をボールの上に乗っけた俺の姿があるだけだ。距離をとってくれていた分だけ小細工する余裕があった。
さらに俺のプレイはここで終わりではない。パスではないと判ると慌てて近づこうとする相手に向かって、後方に引いていた左足を前に踏み出すとさらに一回転したのだ。ピッチの外から見れば二回連続のルーレットをフィギアスケートの回転ジャンプと錯覚したかもしれない、それぐらいキレのある動きで敵をかわしたと自負している。
相手にスピードがあったからこそカウンターとなって相対的に素早く体を入れ替える事ができた。
想定以上に綺麗に抜けたが、それでも俺に与えられた時間は少ない。僅かでもタイムロスをするとすぐにこのマーカーが追いついてしまうだろう。だから間髪入れずに次のプレイへ移る。右サイドを向いて大声で「先輩!」と叫ぶと左足を振り抜いた。
声に反応してスタートを切ったうちの右サイドのMFもその対面のディフェンスもすぐにあれ? という表情で立ち止まる。パスが来ないのだ。それもそのはず、俺の左足は見事に空振りしていた。
皆が「え? 空振り?」と固まった瞬間に左足の裏から右足でゴール前にスルーパスを出す。
これは空振りしたはずの左足を軸足として、その左足のさらに外側にあるボールを交差させた右足で蹴る「ラボーナ」というプレイだ。ほとんど実戦ではお目にかかれないほど遊びの要素の強い変則的なキックだからこそ、相手チームは虚を突かれたようだった。
だが残念な事に味方も意表を突かれたのか反応できたのは一人だけだった。
やっぱりFWに上げておいて良かったぜ山下先輩。俺の叫びを信じてただ一人、ラボーナのようなトリッキィなプレイに視線もよこさずにゴール前へと詰めていた。
ほかのFWの先輩達は追随できなかったが、山下先輩ならばキーパーとの一対一なら決めてくれるはずだ。ましてや相手キーパーも俺のラボーナのおかげか驚愕で反応が遅れている。
その期待通り、寄せるのが遅れた敵守備陣を尻目に先輩はダイレクトながら丁寧にゴール左隅へとボールを流し込んでいた。
ガッツポーズする山下先輩に親指を立てて応えていると、審判のゴールを認めるホイッスルが鳴り響く。よし、まずはこれで同点だ。
この時俺は、敵チームは俺が相手している八番だけでなく全員の顔つきが真剣に――正確に言うならば余裕を削ぎ落とした表情に変わっていた事にまだ気がついていなかった。




