五章 魔王の力と覚醒の謎(6)
西国――ガリアス王国の最南端には『アルヴヘイム』と呼ばれる森精霊の隠れ里がある。
深い森に囲まれた里は何千年もの昔から人族との交流を最低限に留めているため、エルフ族の実在を知る者はガリアス王国の中でもほんの一握りしかいない。森の恵みだけで静かに慎ましく生きることがエルフたちの美学であった。
彼女は百三十年前にそんなエルフたちの里で生を受けた。
金髪や銀髪が多いエルフの中で黒髪は異質であり、災いを呼ぶ色として忌み嫌われた。それでも争いを好まないエルフたちが彼女をどうこうするようなことはなく、里の端で両親と共に大人しく暮らせていた。
両親は彼女に優しかった。黒髪ということも気にせず、寧ろ綺麗で大好きだと言ってくれ、無償の愛を持って彼女を育ててくれた。
魔法も両親に教わった。両親はエルフの中でもずば抜けて優れた魔法の才能を持っていたが、彼女はそんなものではなかった。両親の才能を掛け算したようにどんな魔法でも簡単に習得してしまったのだ。その魔法の才により、やがて彼女は里の中でも認められるようになった。
災いが起きたのは八十年が過ぎた頃だった。
里を大量の魔物が襲ったのだ。それがどこからともなく現れた魔王の軍勢だと知ったのは後の話であるが、とにかくエルフたちは里を守るために戦った。
だが、長年争い事とは無縁であり、採食主義で狩りも行わないエルフたちの戦闘能力は極めて低い。魔法も日常生活で使うようなものばかりが発展しており、里はあっという間に蹂躙されていった。
彼女だけが強力な攻撃魔法を唱えることができた。里の書庫で埃を被っていた魔導書を好奇心のまま読んで習得したものだ。攻撃魔法なんて使えても日常生活では意味がないため黙っていたが、まさかこんな突然役に立つとは思ってもいなかった。
魔物は彼女のおかげで退けることができた。
なのに、里を襲った災いは彼女の黒髪のせいだとされた。死者は里の半数近くまで出ており、その遺族たちがやり場のない怒りを彼女に向けたのだ。彼らは彼女の両親も亡骸の中に並んでいたことまで気が回らなかったのだろう。
彼女は里を追放された。
わかりやすいエルフの特徴である耳を隠し、人間社会で暮らすことを余儀なくされた。人間など見たことすらなかった彼女に右も左もわかるはずもなく、魔法を駆使して盗みを働くことでどうにか命を繋いでいた。
黒髪は人間社会でも珍しかった。災いの象徴というわけではないため単に目立つだけだったが、盗みをしている以上は致命的とも言えた。それでも、彼女は両親が大好きだと言ってくれた黒髪を染めることなどできなかった。
顔だけ隠した黒髪の美女というシンボル的な特徴があるにも関わらず捕まらない彼女は、やがて『怪盗ノーフェイス』と人々の間で呼ばれるようになった。決して自分から名乗ったわけではなかったが、都合がよかったのでその名は受け入れることにした。
流石に人間社会のことがわかるようになると、彼女は盗みから足を洗って国を出た。
他国で魔物を狩る傭兵として生活していると、やがて魔王軍との大きな戦争が勃発した。
魔王軍は両親の仇であり、彼女の日常を破壊した元凶。
とても許せるものではなく、彼女も戦いに参加し魔物や魔族を数多く討ち滅ぼした。
魔王が勇者に倒されて約十年。魔族たちの残党が暗躍していることを聞いた彼女は、各地に散らばっている魔王軍の遺物を利用されないよう回収し破棄する決断をした。だが、それらのほとんどは見せ物になっていたり、腐った貴族たちが見栄を張るための道具にされていた。事情を説明して譲ってもらえるはずもなく、彼女は再び『怪盗ノーフェイス』の仮面を被ることになったのだ。
「……龍は聖剣で斬られた。だが、核が残っていてはいずれ必ず再生する」
彼女は両断され地に伏したドラゴンの頭部に立っていた。
感情のない視線で動かないドラゴンを見下し、魔法で剣の形に整えた氷を生成する。一度死んで魔力が失われた鱗であれば、彼女でも貫くことは可能だろう。
氷の剣が頭部に突き刺さる。
鱗が砕け、頭蓋を貫通し、その奥にある二つの宝石を露わにする。
ルルンの湖を荒らした水蛇の魔物から排出された青真珠、そしてそれに生と力を与えた魔王の魔力の結晶である黒水晶だ。
彼女がその二つを回収した――瞬間、巨大な鉄扇と果実のような爆弾が飛んできた。咄嗟に後ろに飛んで回避する。
ドラゴンの頭部を粉々に吹き飛ばしたそれらは、先程二人の勇者が覚醒させた聖剣だ。
「性懲りもなく盗もうとしてんのか、てめえ」
「侠加ちゃんの目が黒い内はもう『ノーフェイス』の名で盗みなんてさせないよ!」
今枝来咲と夜倉侠加。あの土壇場で聖剣を覚醒させたことは見事だった。いや、そうならなければ終わっていた状況だった。
勇者の聖剣の覚醒条件は謎である。初代勇者や新たに召喚された勇者たちの状況を鑑みるに、単純なご都合主義ではないらしい。もしそうであれば、ルルンの街で彼女に追い詰められた勇者たちの誰かが覚醒させていたはずだ。
恐らく鍵となるのは窮地に加え、魔族や魔物の存在だ。
もっとも、それを勇者ではない彼女が考えたところで栓なきことだが……。
「怪盗ノーフェイス」
チャキリ、と彼女の背中に拳銃の銃口が突きつけられる。
「それらを処分するって話は、本当なんだろうな?」
霧生稜真だ。聖剣を覚醒させた三人の勇者に囲まれては、流石に分が悪い。
「……君たちは合格。詳しい話は初代勇者に訊ねるといい」
彼女はそう告げると、足下に描いていた魔法陣から爆発的に水蒸気を噴霧させた。
「てめ、逃がすか!?」
「まだノーフェイスを名乗ったこと謝罪されてないんデスヨ!?」
「初代勇者に訊けってどういうことだ!?」
鉄扇が仰がれ、風に変身され、刀が振るわれ、あっという間に水蒸気が吹き飛ばされる。
しかし、その時には既に彼女の姿は影も形も存在していなかった。




