48 ヴィンセント25歳 22
温室の中はさらに異常な空間だった。本来は花が咲き乱れているような場所なのに、そこはエルが暮らしていた林のような、珍しくもない木々が植わっている。
そして中央には、エルが住んでいた家が鎮座していた。
「家を、移築したの……?」
「エルの持ち物は、髪の毛一本も捨てたくありません」
エルがせっせと庭仕事していた場所には、エルが好きだった花がびっしりと植わっており、その中央には柩の中で眠っているエルの身体があった。
「……本当に、生きているみたい」
そのせいか、不思議と恐怖心は湧いてこない。鏡の中の自分を見ているような気分だ。
「こうしていればいつか、エルが戻ってきてくれると願っていました」
彼が願っていたのは、この身体にエルが戻ることで、エルシーに憑依することではなかった。
その気持ちが強いからこそ、今のエルを完全に受け入れていない。
(もしも、あの時の転生魔法をまた使えたら……)
こんな考えはまともではないと思いつつ、目の前に自分の身体があれば、元に戻りたいと願わずにはいられない。
恋しく思いながら、元の身体へと触れた瞬間――。
強烈な力によって、エルは元の身体へと吸い寄せられる感覚に襲われた。
それからエルは、水の中にでも沈んだように息苦しさを感じて。
やっと息ができたかと思ったら、景色が変わっていた。
エルの身体を見ていたはずなのに、視線の先には温室のガラス天井が目に入る。
そして、ヴィンセントが手を震わせながら、エルの顔に触れた。
「エル…………ですか?」
「ヴィー?」
(なにをそんなに、驚いているの?)
困惑しながら聞き返すと、ヴィンセントは瞳に涙を溢れさせながらエルに抱きついてきた。
「エル! エル! 本当にエルなんですね!」
「ヴィー急にどうしちゃったのよ……」
「まだ気がついていないのですか? エルは元の身体に戻ったのですよ」
「え……?」
エルはまさかと思いながら、自分の手を顔の前にかざした。確かに、昔から慣れ親しんだ元の手だ。
「本当だわ……。それならエルシーは……?」
柩から身体を起こして地面に目を向けると、人形のようにくったりと倒れ込んでいるエルシーの姿が。
「死んでしまったの……?」
おそるおそるエルがそう呟くと、エルシーは唐突に咳き込みながら身体を起こした。
「はあ…………。あなた、やっと出て行ったわね」
そのあと。温室へと呼ばれたアークは、生きているエルを目にすると、戸惑いながら駆け寄って来た。
「エル……。これはどういうことなんだ? 本当にエルなのか?」
「うん。元の身体に戻れたの」
「戻れたって……。その身体は……」
「それが……。ヴィーがマナを満たした状態で、私の身体を保存していたのよ」
それを聞いた途端、アークは青ざめた表情で身震いする。
「……………………アンデッド。とかでは、ないよな?」
その言葉にエルシーが吹き出すように笑った。
「それがまともな人間の反応よ」
エルとヴィンセントがまともではない言われ方で、エルとしては複雑だ。
エルにとっては、この身体こそが本来の姿。正直なところ今は、長旅からやっと家に戻って来られたような安心感を味わっている。
「身体は問題なさそうなんだけど一応、診察してくれない?」
とりあえず本当にアンデッドだと怖いので、医者の診察を受ける前にアークに診てもらおうと呼んだ。
自分で診ることもできるが、安全が確保できるまでは魔法は使わないほうが良いと、ヴィンセントにとめられたのだ。
身体の損傷個所やマナの流れを魔法で診察したアークは、やはり信じられないような表情を浮かべる。
「あり得ないほど正常だな……」
「良かったわ」
エルがマナを枯渇させた直後に、ヴィンセントはエルを助けようと自らのマナを満たした。その素早い処置が幸いしたのだろう。
ホッと微笑むエルに、アークは囁いた。
「ところで陛下はなぜ、家の隅で丸くなりながらぶつぶつ呟いているんだ?」
「それは……」
エルシーが目覚めたあと。エルシーとヴィンセントは喧嘩になった。
彼を心の底から愛していたエルシーだったが、エルが憑依したことで今まで知らなかった彼の一面を見てしまった。
そして、エルに対する執着心が異常なことで、百年の恋も冷めた様子。
エルシーの魂は完全に身体から離れていたわけではなく、エルが憑依したことで心の奥底に押し込められていたような状態だったという。
人間が魔法で感知できるのはマナまでで、魂を感じることはできない。エルも気がつかずにいた。多少なりともエルシーの記憶を感じ取れたのは、エルシーの魂が残っていた影響だったのかもしれない。
ヴィンセントのほうは、エルに対する想いを「気持ち悪い」で片付けられたことに腹を立てた。
しかし、エルシーに「陛下にマナ核を触られながらキスされたことを思い出すと、身震いしますわ!」と軽蔑されたことで、今はショックを受けている状態だ。
エルシーに軽蔑されたからでなく、エル以外の女性の身体に触れてしまったことに対してだが。
「エル以外の女性の身体に触れるなんて、僕は最低なクズ野郎です……」
あの時はエルシーの中身がエルかどうか確かめるためだったとはいえ、本人としては受け入れがたい事実のようだ。
エルはヴィンセントのもとへと歩み寄り、安心させるように背中をさすった。
「ヴィー? 私は気にしていないから元気を出してね?」
「エルはそうやって僕を慰めておいて、また僕の前から去るつもりですか?」
「えっ」
ヴィンセントは、涙を浮かべながらエルへと抱きついてきた。
「僕は嫌です! 何度でも謝りますから、どうか許してください!」
「待ってヴィー。本当に気にしていないのよ?」
「それなら、今度こそ僕と結婚してくれますか?」
ヴィンセントが何に対して不安を感じているのか、エルはやっと気がついた。
先ほどまで二人は夫婦の状態だったが、エルが元の身体に戻ったことでそれが崩れてしまった。
「ヴィーには、皇妃殿下がおられるじゃない……。エルヴィンの継母にもなられたばかりで……」
(私のエルヴィン……。せっかく継母になれたのに……)
エルヴィンのそばにいたい一心でがんばってきたのに、それが全て無駄になってしまった。
ヴィンセントに対してもそうだ。やっと素直に彼の伴侶になる気持ちでいた。けれどそれは、状況がすでに夫婦だったから。障害がなかったからだ。
戸惑うエルもとへと、エルシーが近づいてきた。
「私に遠慮する必要はないのよ? こんな変態とは今すぐにでも離婚よ」
「望むところです。ストーカーの皇妃と縁が切れて、こちらもせいせいします」
「こんな時だけ気が合いますのね。早く神殿で離婚処理しましょう」
再びヴィンセントとエルシーは喧嘩腰で話し始める。このような大事な話を勢いで決めるべきではない。
「二人とも待って! 考える時間をちょうだい……」





