44 ヴィンセント25歳 18
――エルシーの誕生日。
パーティーにヴィンセントが来てくれてなかったことを悲しんだエルシーは、やけ酒でふらふらした足どりで、ヴィンセントを求めて皇宮の庭園を彷徨っていた。
皇族の墓がある場所へとたどり着いたエルシーは、意外な光景を目にする。
誰かのお墓の前で悲しむ、マリアンの姿。
嫌味の一つでも言ってやろうと近づいたが、逆に恐ろしい形相で詰め寄ってきたマリアンに、無理やり何かを飲まされた。
意識が朦朧とする中。エルシーはマリアンに連れられて、皇宮の二階のバルコニーへ。そこでエルシーは、マリアンに突き落とされた。
「あなたがそう望むなら――」
ヴィンセントの言葉でエルは我に返った。思わず恐怖に駆られてヴィンセントの袖を引いた。
「陛下……」
このままマリアンと婚約破棄したら、彼女はどこかへ逃げてしまう。そんな予感がしてならない。
「皇妃。気分が優れないですか?」
「あの……ずっと緊張していたもので……」
怖い。エルシーを殺そうとした犯人が目の前にいる。
憑依してから初めてマリアンと会った日。彼女はお茶会が緊張するからとエルのもとへやってきた。
けれどそれは言い訳。本当は、エルシーにあの時の記憶があるのか確認しに来たのだ。
「皆。僕と皇妃は、皇子を寝かしつけてくる時間だ。あとは各々楽しんでくれ」
すぐに退場する決断をしたヴィンセントは、さりげなくエルを支えながら、会場全体に聞こえる声でそう述べた。
それからマリアンへと視線を移した彼は「マリアン嬢。その話は後日にお願いします」と言い残して、エルを連れて会場を出た。
「そんな陛下!」とマリアンが叫ぶ声が辺りに響いた。
会場を出たエルは、ほうっと安心しながら息を吐いた。
マリアンの姿が見えなくなったおかげで、恐怖心はかなり和らいだ。
(とにかく婚約破棄せずに済んだわ……)
エルシーを殺そうとした犯人を目の前にして、上手い言い訳を考える心の余裕などなかった。
退場する判断をしてくれたヴィンセントには感謝しかない。
エルシーの記憶で見た内容を彼に話すには、もっと慎重に落ち着いた気持ちの時のほうが良い。
マリアンのほうも、犯人だと悟られないためには、円満な婚約破棄を望んでいるはず。
なぜこのタイミングなのかは不明だが、とにかくヴィンセントが婚約破棄を了承しない限りは逃げる可能性は低い。
「会場を出たらすっきりしてきました。私は皇子様の様子を見てきますので、陛下はさきにお休みくださいませ――」
そう言いながら彼へと振り返った瞬間。
ヴィンセントは、エルへ向けて崩れるように倒れ込んできた。
「陛下!」
護衛の騎士たちによって、急いでヴィンセントは寝室へと運ばれ。それからすぐに侍医がやってきて、診察を受けた。
「特に異常はございませんな。補佐官の話によると近頃の陛下はお忙しかったそうで。きっと疲れが出たのでしょう。今夜は安静にお眠りいただきましょう」
「そうですか……」
(倒れるほど我慢していたなんて……。ヴィーはやせ我慢が得意なんだから……)
それだけ今日を大切にしていたということだろう。
もしもパーティーで皇帝が途中退席していたら、エルヴィンとエルを蔑ろにしていると周りに思われたはず。儀式での行為は単なるパフォーマンスだったと。
けれど倒れるまで我慢はしてほしくない。これからは彼のように、上手い退場方法を学ばなければ。
ヴィンセントの調子が悪い際はマナ核を疑う癖がついているエルは、そう考えながら何の気なしに彼の手首に触れ、マナの状態を確かめた。
(マナが減っているわ。魔法を使う仕事でもあったのかしら)
筆跡鑑定魔法を使った際の彼を思い出しそう判断したエルだが、少し様子がおかしいことに気がつく。
まさかと思いながらエルは、ヴィンセントのマナ核に触れた。
「皇妃殿下っ。陛下のご許可なくマナ核に触れては……」
侍医が止めようとするのも無視して、エルはヴィンセントのマナ核へ診察の魔法をかける。
そしてマナ核の状態を確認したエルは、愕然とした。
「マナ核のマナが…………減ってる」
「そんなことがあるはず……」
マナ核は一度マナが満たされたら、中のマナが減ることはあり得ない。身体中に満たされているマナを使い切り、最後に消費され始めるのがマナ核のマナだ。
治療魔法師でなければ普段からマナ核は気にしないし、高名な医者ほどマナ核が原因だとは考えもしない。
「今すぐ治療魔法師のアークに、皇子様をお連れするよう伝えてください!」
「なぜ皇子様を……」
「説明している時間はないです、とにかく早く!」
しばらくすると、ぐっすりと眠っているエルヴィンを抱きかかえたアークが寝室へと入ってきた。
「エル! 陛下のマナ核のマナが減っているって? そんなはず――」
「アーク! ヴィーはきっと、毒に侵されているわ!」
泣きそうな顔で訴えるエルに対して、アークは眉をひそめる。
「毒? マナ核のマナを奪う毒なんてあるのか?」
「エルシーがそうだったの……。彼女は誰にも気づかれることなくマナを枯渇させて亡くなったのよ」
さきほど見た記憶。その中でマリアンに飲まされたものが、きっとその毒だ。
「一体誰が」
「今はヴィーを助けるほうが先よ。マナ核のマナを補充するわ。きっとマナの色が同じなら受け入れるはずよ」
「それで皇子殿下を?」
「ううん。私がやるわ。でも、公にはエルヴィンがしたことにしておいたほうが良いでしょう?」
「それでお連れしたのか。でも本当にいいのか? 陛下に気づかれるかもしれないし…………エルを殺した相手だろう?」
アークは、エルを気遣うように表情を歪ませる。ヴィンセントが助かるよりも、エルの気持ちを重視したようだ。
エルを死に追いやった相手。
彼にとってヴィンセントは、良い感情を抱ける相手ではないのかもしれない。
けれど、エルヴィンの専属治療魔法師としてアークは、皇宮に残り続けてくれた。そんな彼には真実を伝えておかなければ。
「この前、ヴィーが話してくれたの。ヴィーはあの時、私たちにとどめを刺しにきたのではなく、助けに来てくれたのよ」
大切なものでも抱えるように、両手をマナ核に添えているエルを見て、アークはぽんっとエルの頭をなでた。
「何かあったら呼べよ」
そう言い残したアークは、エルヴィンを連れて隣の部屋へと移動した。





