38 ヴィンセント25歳 12
皇子宮へと到着して、エルヴィンが寝ているベッドへと入ったヴィンセントは、マナを消費して疲れたのかすぐに眠りについた。
(これくらいは気づかれないわよね)
エルは、不自然では無い程度にヴィンセントへマナを渡してから、部屋を出た。
――翌朝。ヴィンセントは、懐かしい気分で目覚めた。幼い頃に、エルに抱きしめられながら寝ていた時のような心地良さ。
ふと視線を下ろすと、エルヴィンがヴィンセントの胸元にくっつきながら気持ちよさそうに寝ている。
(エルヴィンが無意識のうちに僕へ、マナを渡したのか?)
ヴィンセントの体内には自分のマナのほかに、微かに似て非なるマナが存在している。けれど、エルヴィンのマナともどこか違うような。
まるで、彼女が戻って来たようだ。
「エル…………」
ヴィンセントは切なさを感じながら息子を抱きしめた。
翌日。捕らえられた平民たちの供述により、彼らはわざと皇妃を罵倒するよう雇われていたことが発覚した。
そしてその雇い主は、エルの足元に落ちていた紙を見つけた試験官。
彼は以前、とあるパーティーでエルシーに恥を掻かされた経験があり、仕返しをしてやりたかったのだとか。
けれど、落ちていた紙と試験官の筆跡は異なるもの。そのため、ヴィンセントの筆跡鑑定は継続された。
その二日後。ヴィンセントの努力の甲斐があり、筆跡が一致する者が判明した。
「陛下、申し訳ございません。それは私のメモでして。うっかり、エルシー皇妃様のお身体についてしまったようです」
マリアンは、失敗を知られて恥ずかしいのか、照れ笑いしながらヴィンセントに謝った。
(やっぱり、マリアン嬢とぶつかった時だったのね)
彼女自身に悪気はないようだ。試験官の企みとは偶然に重なっただけなのか。
やはりあの時、エルが「犯人はマリアン嬢かもしれない」と申告していたら、エルは悪女として皆から批判を受けていたはず。
そうならずに済んで良かった。
エルはほっとしながら成り行きを見守っていたが、ヴィンセントは納得していない様子で、マリアンを見つめた。
「あなたがなぜ、このようなメモを必要とするのですか」
「エルシー皇妃様が宮廷魔法師の試験を受験なさるとお聞きして、私も頑張ってみようと思ったんです。だって、私も近いうちに陛下の妻となりますし、我が子の体調管理は自分でしたいでしょう?」
(皇子宮へ入ることを、まだ諦めていなかったのね……)
しかもヴィンセントと結婚した後は、マリアンがエルヴィンの継母となることが確定しているかのような発言。
役に立たないエルシーの代わりとして求められたマリアンなら、そう考えてもおかしくはないのかもしれないが。
(まさかヴィーは、そんな約束をしているわけではないわよね?)
不安でいっぱいになりながら、ヴィンセントがどう反応するのか見つめていると、彼は小さくため息をついてからマリアンを見た。
「あなたは勘違いをしています。僕の妃になったからといって、皇子の継母になるとは限りません。それに僕は、エルシー皇妃を皇子の継母にしたいと……。いえ、今ここではっきりとさせましょう」
そこまで述べたヴィンセントは、急にエルへと身体を向けた。
「エルシー皇妃。エルヴィンの継母になっていただけませんか?」
(えっ。本当に?)
思わず喜びそうになったエルだが、すぐに緊張した面持ちに変わる。
本来、ヴィンセントに付随するものは全て、ヒロインの幸せのために捧げられるものだ。
それを安易に奪ってしまえば、エルシーが悪女だと思われてしまう。
けれど、エルヴィンは小説には登場しない存在。ヒロインのために用意されたキャラとは言い難い。
それならばエルが、エルヴィンの継母となっても悪女としての結末は迎えないかもしれない。
そう考えながらも、エルは決心がつかなかった。
「……少し、考えさせてください」
二人との話を終えたその足で、エルは皇子宮へと向かった。
玄関から入ろうとしたところ、庭園のほうからエルヴィンのはしゃぐ声が。そちらへ行ってみると、エルヴィンとアークが庭園で遊んでいるところだった。
「エルシーさまだ!」
エルに気がついて、嬉しそうに駆け寄ってくるエルヴィン。
その後ろから、小さな黒い毛玉のような子犬がついてくる。





