36 ヴィンセント25歳 10
そして試験当日。
エルは遅れないようにと、早めに会場へ向かった。
この日ばかりは、皇宮の門が平民にも開放されており、大勢の魔法師たちが会場に向かって歩いている。
『宮廷魔法師』とひとくくりに言ってはいるが、実際は様々な職種がある。
エルが受けようとしている治療魔法師のほかにも、ヴィンセントのように攻撃系魔法が得意な者は軍に所属。重要な契約の際に使う魔法や、書類の管理保存などの事務系魔法が使える者は、各行政機関に配属される。
ただ、皇宮の採用基準で実力が認められるのは毎年数名ほど。狭き門であることは確かだ。
「治療魔法師の試験会場は――」
会場を間違えないように、受験票に書かれた入り口の番号を何度も確認していると、急にどんっと身体に衝撃が。
エルは小さく「きゃっ」と悲鳴を上げながら、態勢を立て直した。
「すみませんっ……あ! エルシー皇妃様」
「マリアン嬢?」
エルにぶつかって来たのはマリアンだったようだ。お互いに驚きながら顔を見合わせた。
(なぜマリアン嬢がここに……?)
「皇妃様はこれから受験されるのですよね? 頑張ってください」
「ありがとうございます……。マリアン嬢は?」
「私は見学に来ただけですわ。では」
マリアンはそれだけ言うと、すぐにその場を去った。
(誰かの付き添いだったのかしら?)
周りには受験者だけでなく、会場の入り口まで付き添っている者たちが大勢いる。マリアンもそうなのかもしれない。
「皇妃様、頑張ってください! あんなにお勉強されたんですもの、きっと合格できます!」
「ありがとうエマ。それじゃ行ってくるわね」
エルもエマに見送られながら、会場へと入った。
午前は筆記試験があり、休憩を挟んだ午後は実技試験だ。
筆記試験が始まり、エルは順調に問題を解いていた。治療魔法師を職業としている者にとってはさほど、難しい問題ではない。
重要なのは午後の実技試験。より少ないマナで、どれだけ成果を上げられるかが審査基準だ。
こちらについては、治療魔法師としての経験が多いだけでは受からない。生まれ持った才能や、訓練への努力がものを言う。
エルシーの身体に乗り移ったことで、生まれ持った才能の部分が半減してしまった感覚はあるが、効率よくマナを使う訓練で培った感覚は、身体が変わってもまだ覚えている。
(大丈夫。きっと合格できるわ)
午後の実技試験への緊張を感じていると、試験官がエルの前まで歩み寄り、こほんっと咳払いした。
「申し訳ございませんが皇妃殿下。いくら殿下とはいえ、カンニングは許されません」
「えっ?」
言っている意味がわからず首をかしげるエルへ、試験官が床を指さす。
エルの足元には小さな紙が落ちていた。
「私が落としたものでは……」
困惑しながらそう答えかけると、どこからともなく「やっぱりな」という声が聞こえてきた。
「俺らを馬鹿にしているのか?」
「皇妃がお遊びで受けるような試験じゃねーんだよ」
「そもそも皇妃のせいで、女性魔法師が減って困っているんでしょう?」
「今度は自分が魔法師になって、皇帝を独占しようってか」
平民にまで知られているエルシーの醜聞。これほどまでとは、小説にも書かれていなかった。
貴族ですら面と向かって、このような発言はしないというのに。
急に悪役として晒されている気分になり、エルは背筋が寒くなるのを感じながら声を上げた。
「違います! 私はカンニングなんてしていません!」
そう訴えるも、平民たちの不満は止まない。
それどころか、国の皇妃が罵倒されているというのに、止めようとする試験官や警備兵の姿すらない。
(ここには私の味方は、一人もいないんだわ……)
エルの前にいる試験官は、にやりと笑みを浮かべた。
「別室まで、ご足労を願えますか。皇妃殿下」
ここで拒否すれば、ますます悪役としてのエルシーが際立ってしまう。エルは仕方なく、別室へと向かった。
しばらくすると、ヴィンセントが別室へと到着した。急いで来たのか、わずかに息を切らせている。
(失望させてしまったかしら……)
せっかく信頼を得て、エルヴィンの専属治療魔法師になる提案までしてもらったのに。
彼の険しい表情を見てすぐに察した。今までの苦労が水の泡になったことを。
それでも諦めきれないエルは、ソファから立ち上がりながら「陛下! 私はしていません!」と訴えた。
「わかっています。試験を受けることを提案したのは僕ですし、困っていたのも僕です」
そう言いながらエルの横を通りすぎたヴィンセントは、一直線に試験管の元へと向かい、彼の胸ぐらを掴んだ。
「なぜ、皆の前で皇妃に恥を掻かせた。皇妃を別室へ隔離する前に、罵倒した者たちを捕らえるほうが先だろう」





