23 ヴィンセント21歳 03
それから一か月と少し過ぎたころ。エルは体調の悪さを感じていた。
身体はだるいし、食べ物の匂いで気持ち悪くなる。
それは日に日に悪化するばかりで。とうとうモーリス先生にも気づかれてしまい診察を受けたエルは、妊娠したと知らされた。
「しばらくは辛いでしょうから、仕事は休んでください。オーナーには話しておきますから」
モーリス先生の気遣いにより、エルはしばらく休暇をもらうことにした。
仕事も早退して家へ帰ると、しばらくしてからヴィンセントが息を切らせながらエルの家へとやってきた。
「エル! オーナーから聞きました。僕たちの子ですよね?」
「こんなことになって、ごめんなさい。ヴィー……」
あの日は迷惑をかけないように、確かに避妊魔法をかけたはずなのに。
「なぜ謝るんですか? エルは嬉しくないのですか?」
「あなたとの子を授かったことは嬉しいわ。けれど、皇族の私生児なんて、迷惑なだけでしょう?」
「私生児にはさせません。エル、やはり僕と結婚してください」
「それでも私は……」
「なぜですか。理由を話してください! 今の僕なら大抵のことは対処できます。皇后の時のように、ミスはしませんから!」
皇太子となったヴィンセントにはもう、恐れるべきは皇帝くらいだ。そしてその皇帝からも、それなりの信頼を得ている様子。
本当に今のヴィンセントなら、エルを守り抜いてくれる気がする。
(けれどそうして結婚したら、小説の本編は? ヒロインは?)
今は小説のストーリーとは異なる展開を見せているが、ふとしたことがきっかけて、死ぬ役の者たちはその人生を全うしている。
この結婚がその、ふとしたきっかけになるかもしれない。
(それにもう、一人ではないもの。危険な橋は渡れないわ)
エルはお腹をさすってから、ヴィンセントへと頭を下げた。
「ごめんなさい……。あなたとは結婚できません」
それでもヴィンセントは、エルとの関係を断ち切ろうとはせず、エルがオーナーの家で暮らすことを提案してきた。
「エルのことが心配なんです。これだけは譲れません」
皇太子の彼が本気になれば、エルを無理やり皇宮へ連れて行くこともできる。それをせずに、このような提案をするのだから、エルとしても譲歩するしかなかった。
オーナー夫妻も、こころよくエルを受け入れた。
なんでも、五年前に皇宮へと戻ったヴィンセントは、真っ先にオーナーを呼び出したそうだ。
そこで第一皇子とヴィーが同一人物だと知ったオーナーは、大層驚いたという。
ヴィンセントから「エルに仕事を与えながら保護してほしい」と頼まれ、エルを再び鉱山の診療所へと呼び寄せたのだとか。
結局のところ、この五年間もエルはヴィンセントに守られていたのだ。家族は支え合うものだとエルは彼に教えたが、いつだってヴィンセントのほうが支える範囲が広かった。
オーナーが住む男爵邸は皇宮から割と近い場所にあり、ヴィンセントは毎日のように男爵邸を訪れては、エルの部屋に泊まり込んだ。
「エル。今日もまた夜に来ます。無理しないで過ごしてくださいね」
「ここでは私がする仕事は何もないもの。無理のしようがないわ」
「それでも心配なんです。無礼な使用人がいればすぐに言ってください。オーナーに話してクビにさせますから」
「わかったから。もう行って」
「愛していますエル」
ヴィンセントは、エルの唇にキスしてから男爵邸を後にした。一緒に住んでいた頃のように、名残惜しそうに。
(結局。私たちの関係は何も変わらないのね……)
住む場所がエルの家から男爵邸に変わっただけで、エルがヴィンセントを待つだけの日々は、あの頃と変わらない。
そのような日々を過ごしたエルは、皆の支えもあり無事に元気な子どもを産んだ。
ヴィンセントに似た、黒髪の可愛い男の子だった。
「エル。身体は辛くないですか?」
「大丈夫よ。それより子どもを抱いてあげて。私たちの息子よ」
「もっとエルに似れば良かったのに……」
ヴィンセントはつまらなそうな顔で子どもを抱きかかえたが、すぐにエルへ子どもを返した。
(子どもには興味ないのね……)
妊娠中はあれほどエルを大切にしていたというのに。その愛情が子どもへも向けられるのかと思っていたが、それほどでもないようだ。
それは仕方ないことでもある。お互いに子どもを望んで行為に及んだわけではない。
それにエルは、彼の求婚を何度も断っている。その上で子どもを愛してとは言えない。
「名前も考えたの。私たちの名前を合わせて、エルヴィンはどうかしら?」
「センスないですね」
「それならヴィーが名前をつけてよ」
「……気が向いたら考えます」
どちらにせよ、子どもに興味がないほうがお互いのためなのかもしれない。エルはこれから家へと戻り、ヴィンセントも皇宮の生活へと戻るのだから。
「エル。幸せそうですね」
「そうね。ずっと一人で生きて行くと思っていたから。私に素敵な贈りものを授けてくれてありがとう、ヴィー。これからはこの子を生きがいにするわ」
「僕はこの子に、エルの愛情も、家族の立場も、全て取られるかと思うと悔しいです」
そんな言葉に、エルはきょとんとしながら彼を見つめる。不機嫌の原因が判明して、思わず笑い出した。
「なぜ笑うのですか」
さらにむっとするヴィンセントを、エルは片手で抱き寄せる。
「私にとってヴィーは、いつまでも大切な家族よ。それだけは忘れないで」
「すみません。嫉妬が過ぎました」
ヴィンセントはエルから離れると、彼女の腕にブレスレットをはめた。
「これは?」
「結婚できなくても、僕はエルの夫のつもりです。肌身離さず身に着けていてください」
(結婚指輪の代わりかしら? これくらいは受け取ってもいいわよね)
「ありがとうヴィー。大切にするわね」





