12. 神楽 かなえ(40歳)
カグラコーポレーションが軌道にのってやっと世間に認知されるまでになって10年。今では当たり前となったAIとモーションセンサーの連動、それらをウェアラブルデバイスに組み込む。
高性能な収音マイクを搭載したことによる音声認識機能の向上、画面をタッチせずともウェアラブルデバイスに組み込まれているモーションセンサーが動きを察知して操作や文字表示に変換するなど多岐にわたる活躍が可能となった。
ホログラムパネルはメタマテリアルの技術を使用し、視認許可を選択しない限りAIに登録した使用者以外の者は光の屈折が調整され、どの角度からも画面が透き通って見えるようになっている。
誰もがSF映画などで見たことのあるシーンが今では当たり前の世界になったが、詩音や似たような境遇の人の助けに私は少しでもなれただろうか?
苦しかった事もたくさんあったが、今では娘もスクスクと成長してくれて大学に行くまでになった。
少しでもあの子の世界が素敵に包まれていたらうれしいのと同時にたまに不安が頭をよぎることはある。
AIの急速な発展により、感謝もあれば同様に心無いひどい言葉も浴びせられた。
会社のみんなや、詩音の前ではなるべく気丈にふるまっていたが、一人になるとどうしようもなく深く暗い闇に包まれたような恐怖に陥ることもあった。
世に出たばかりの頃は、
AIのせいで人は自分で考えることをやめたらどうするんだ。
ウェアラブルデバイスやVR式眼鏡やコンタクトで人体被害がでたらどうするんだ。
AIのせいで個人情報が洩れたらどうするんだ。
市場に出回るようになってからは、
たまたま大当たりしてよかったな。
子供よりも仕事が優先なんて母親失格。
AIのせいで〇〇業界は人手がなくなって廃れた。
など、いろんな掲示板、ニュース、記事に書かれた。
黒い感情を持っている人がいるのは知っていたし、過去の経験から普通じゃない輪の内側にいない者は弾かれることも知っていた。
あの人が、消えたであろう理由も。資金を持ち逃げされ、知らない会社が彼のプロジェクトを使った事も。
この世界は、キレイではない。知っていても心に闇は深くのしかかって日に日にどろりと濃縮したソースのように濃くなっていく。
そんなある日、久々の休みで詩音と二人で夕飯を用意し、ごはんを食べながら私はお酒を飲んだ。
会食や付き合いで飲んでいたのでオフの時は特に飲みたいとも思わなかったが、その日だけはなんとなく、飲みたくなった。飲むことで心のどろりとした黒いモノを少しだけ忘れたいと思ったのかもしれない。
気分がよくなって、娘との手話も弾んだ。
大学はどう?
響くんは元気にしている?
いつも家事を手伝ってくれてありがとうね。
来年は詩音ともお酒が飲めるのねぇ。
すると、詩音が、
―まま かお あかいよ すこし みず のもう?―
椅子から立ち上がって水を取りに行く娘。
もう、こんな気遣いまでできるようになったのね。そう思うと少しだけ目頭があつくなった。
「私は母親として正しい事をしてこれたのかしら」
ポツリと声が漏れた。
水がコトリっと机に置かれて、そっと温かい手が自分の手にかぶさった。
前を見ると娘が手と口をゆっくり動かす。
―ただしい とか まちがっている とか わからない。
みんな ちがうし わたしと ままも ちがうとおもう。
ただ ちがうだけで まちがえではないのにねー
ーわたしは きこえないけど ひとをみることは とくいになったの だから いえる わたしの ままは せかいいち すごくて やさしいままなんだってー
―だって ずっとみてきたんだもん ままのむすめとしてね―
優しく微笑む詩音。
心の奥底にドロドロと溜まりこんでいた黒い闇は潮がひいていくようにどこかにさぁーと流れていったような気がした。
小さい時からこの子のパッと咲くような笑顔に救われた。
今はその温かい日差しのような笑顔に救われた。
潤んだ目を隠すように水を飲んでごまかす。
まだ、踏ん張れる。
肩に入っていた変な力が抜けていく変わりに、ぐっと足に力が入った。
―わたしのくちの うごきみてたの?-
と、聞くと詩音はあきれた顔で、
―じぶんの かいしゃの AIのそんざい わすれないで……―
あらやだ、うっかりうっかり。
待合室で何でか急に思い出してふふっと笑う。
この世界はたくさんの黒い感情であふれている、普通ではない輪の外にいるモノは弾かれてしまう。
それでも、私は詩音の為、そして私のできる事で人を助けるのだ、誰がどんなに真っ黒な言葉を投げつけたとしても。
コンコンー。
扉を叩く音の後に向こう側から「神楽さん、そろそろ出番ですので準備お願いいたします。」
力強く立ち上がり部屋を出る。
また闇に足を捕られるかもしれない、それでもあの子の言ってくれた“わたしのままは せかいいち すごくて やさしいまま”
この言葉を光にして闇を照らせばいいのだ。
―「それでは、カグラコーポレーションの創業者である神楽かなえさんにご登場いただきます。」―




