第2章 第23話 天才たちの協奏曲
まずいですわ。
とってもまずいですわ。
今得点は四対八。ダブルスコアで花美が負けている。
これ以上離されると点差以上に精神的に辛くなりますわ。やはり強豪校には勝てないという意識が浮き彫りになってくる。それだけは避けなくては……!
「外川さん!」
と見せかけて、ツーアタックですわ!
「それしかできないの?」
わたくしの意表を突いたはずの攻撃は音羽さんのブロックに簡単に阻まれた。
「なん、で……」
どうして届かない!
わたくしにはこれしかないのに!
「ふっ」
ボールが床に落ちる直前、環奈さんが滑り込む。死ぬはずだったボールは一転空へと昇り、高く頭上へ。
「押し込んできらら!」
「はいっ!」
環奈さんの言葉に前衛の翠川さんが素早く助走をし、跳び上がる。
「くっ」
対して音羽さんも跳び上がるが、単純な高さで身長百八十を超える翠川さんに勝てるはずもない。ボールの高度を読み違えたせいで手の芯に当たらなかったが、それでも相手コートに落ちていった。
「やりましたーっ」
「ナイスきらら! すごいっ!」
「そうですかそうですかっ!? もっと褒めてくださいっ!」
……助かりましたわ。これで五対八。三点差ならまだまだいけるはず。
「お見事ですわ、翠川さん」
「ありがとうございますっ!」
環奈さんに褒められて舞い上がっている翠川さんを称賛し、ローテーション通り一つ横に移動しようとする。
「新世さぁ、そんなプレーするならほんとに梨々花先輩と代わってくんない?」
でもわたくしの足は環奈さんの冷や水を浴びせるような一言で止まってしまった。
「あたしがあんたを嫌ってるとか関係なくさ、そんなセッターいらないんだけど」
「……わかってますわよ」
「いいやあんたはわかってない。そんなだからあんたはいつまで経っても……」
「すいません、選手交代で」
環奈さんの先の台詞を読んでいたかのようなタイミングで一ノ瀬さんが流火さんに声をかけた。
「ほらね」
大好きな小野塚さんが出てくるというのに環奈さんは非常につまらなそうな顔でわたくしを睨んでいる。
……まぁいいですわ。ここで一度下げられてもまだ試合に出るチャンスはある。その時にわたくしの能力を見せつければいいだけのこと。
わたくしが後ろを振り向くと、ちょうど小野塚さんがコートに入ってきた。でも小野塚さんが入ったところで紗茎の優位性は変わらない。どうせすぐにわたくしに戻るはずですわ。
「リリー、ファイト!」
「――うん」
しかし小野塚さんが代わったのは、ちょうど後衛に移り変わった外川さん。
これで前衛はレフトから一ノ瀬さん、わたくし、翠川さん。後衛は環奈さん、扇さん、小野塚さんとなった。
「なんだ、ピンチサーバーか。よかったね新世、命拾いして」
それを確認した環奈さんは自分の立ち位置へと戻っていく。
何を命拾いだなんて偉そうに。結果は変わらないってんですのよ。
「梨々花ちゃんナイッサーッ!」
「梨々花先輩ナイッサー一本です!」
扇さんと環奈さんの応援を無言で受け止め、小野塚さんは普段のサーブ位置よりも数歩遠い地点でボールを数度床に突く。そしてシュルシュルと回転させ、ゆっくり相手コートを見据えた。
今の紗茎のローテーションは前衛レフトから音羽さん、昴さん、知朱さん。後衛に志穂さん、風美さん、天音さん。
リベロ兼セッターの昴さんが前衛で、スーパーエースの風美さんが後衛という弱いローテ。ここで決めなければ勝ちはありませんわよ。どうします? 小野塚さん。
主審の流火さんが笛を吹き、プレーが始まる。ここから八秒以内にサーブを打たなければなりませんが、小野塚さんはまだ打たない。じっくり、じっくりと焦らし、隙ができるのを待つ。
……それにしても。インハイ予選の時も思いましたが、この人の試合に出た時の集中力は何なんですの。
狂気を思わせる暗い瞳で獲物がかかるのを一心に待つその姿はまるでサバンナの猛獣。とても普段の小野塚さんと同一人物だとは思えませんわ。
「…………」
半歩。たった半歩後衛の天音さんが後ろに下がった。その瞬間を見逃さず、小野塚さんはサーブを放つ。不規則に弾道を変えるジャンプフローターサーブ。狙いはサーブレシーブに参加しないスーパーエース、風美さん。
「オーライ!」
でもジャンプフローターはブレ球になる一方速度は出ない。悠々と風美さんを後ろに下げ、天音さんがレシーブに入る。この対応の早さ……おそらく少し動いたのはわざとですわね。今が狙い目だと小野塚さんに錯覚させる罠。この勝負天音さんの勝……、
「!?」
しかし天音さんがオーバーハンドでボールを捉える直前、ボールの軌道が上に大きくずれた。ボールは手を弾き、後方へと進路を変える。
「くっ」
風美さんと志穂さんが追いかけるが一歩届かず、ボールは床へ落ちていった。
「チョーエッチパンツですっ!」
「きゃーっ、梨々花ちゃんかっこいいーっ」
「梨々花先輩! 梨々花せんぱーいっ」
たった一点決まっただけでなんてはしゃぎよう……。というか何で誰も翠川さんの発言にツッコミませんの?
「めずらしーね、おねえちゃんがレセプションミスるなんて」
「んー、悔しい! 離れてたとはいえあんなに伸びるとは思わなかった!」
紗茎のコートでは天音さんが天を仰いで悔しがっていた。サーブ位置がエンドラインから遠いほど滞空時間は長くなり、その分ジャンプフローターのボールの変化が早くなる。
とはいえレシーブも得意な天音さんがミスするなんてわたくしもびっくりですわ。それほど小野塚さんのサーブは凄かったということですのね。
「レセプションってなんですか?」
「サーブレシーブのことだよ。ちなみにスパイクレシーブはディグって呼ぶ」
「ほぇー、かっこいいですねっ!」
あのサーブを見た後なのに環奈さんと翠川さんは呑気に用語解説してますわ。何で平静でいられるんですの。まさかあれが小野塚さんにとっての普通だとでも言うつもりじゃないでしょうね。
だとしたらサーブは確実にわたくしより小野塚さんの方が上。わたくしのサイドハンドサーブよりもかなり強力と言わざるを得ませんわ。
「ナイッサーもう一本!」
そうこうしている内に二回目の小野塚さんのサーブ。しかし今回はボールを左手に持ち、通常の立ち位置よりもレフト側で構えている。
右利きの場合サーブはクロス側に打つ方が簡単なのでライトに立つのですが、一体なぜ……?
「っぅ」
プレー開始を告げる笛が鳴った瞬間、小野塚さんはボールを小さく放りながらライト側前方へと駆け出す。そして片足で踏み切ると、無回転のサーブを放った。これは……!
「ランニングジャンプフローター!?」
試合中だというのに驚きを隠せられない。だってこんなサーブ、練習では一度も見てませんわよ……!
ランニングジャンプフローターサーブ。その名の通り走ってジャンプフローターを打つサーブですわ。
ボールはジャンプフローターと同じく無回転。そして軌道も当然不規則。
でも通常のジャンプフローターとは違い、助走の分速度も上がるし、そして何より横移動のせいでボールの出どころがわかりづらく、取りづらい。
片手で上げるせいでサーブトスの段階で回転がかかりやすく、習得難易度は相当に高いはず。それなのに、この人はなぜ……!
「わたしっ!」
一瞬驚いた天音さんだが、すぐに切り替え腕を広げて他の選手を離す。
「ふっ」
そしてアンダーハンドでボールを捉えると、サーブの威力を完全に殺した完璧なレシーブを上げた。今少し落ちたと思ったのですがさすがですわね……!
「ちょーだいっ」
こうなるとピンチなのはわたくしたちの方。ボールの行き先は……、
「くっそ……!」
昴さんが選択したのはスーパーエース、風美さんのバックアタック。一瞬音羽さんに気を取られたせいでブロック出遅れる!
でも今の後衛は全国で見ても最強クラスのレシーブ力。風美さんのストレート側には小野塚さん、クロス側には環奈さんがいますわ。コースは絞り切れていなくてもこれならおそらく拾えるはず……!
「美樹!」
「うんっ!」
風美さんの手がボールを捉える寸前、小野塚さんと扇さんが短くそう確認し合った。まさかこれは……!
「っあ!」
風美さんの突風のようなスパイクの行き先はストレート、小野塚さんのいる方。
小野塚さんは少し前に出てボールを拾うと、既に跳んでいた扇さんの元にボールを弾いた。
間違いない、これはインハイ予選で見せた神業!
レシーブでトスの代用をする、超高速のバックアタック!
「甘いわ」
紗茎のコートの奥からその声がした瞬間。
ボールはわたくしたちのコートに落ちていた。
「な……!」
そしてネットを挟んだボールの正面に知朱さんが降りてくる。まさかたった一人であのスパイクを読んで止めたんですの……?
「ククク……破れたり、『一手飛ばしの速攻』!」
そうドヤ顔で笑ったのは、攻撃を止めた知朱さんの対角にいた志穂さん。
「確かにその攻撃は驚異的よ。でも所詮は初見殺し」
志穂さんは片目を手で覆い、ニヤリと口角を上げた。
「なんせご丁寧にも打つ人を教えてくれるんだから」
……なるほど。言われてみれば確かにこの小野塚さんと扇さんのコンビ技には大きすぎるほどの弱点がありますわ。
攻撃に移るのが速すぎるあまり、スパイカーが扇さん一人になる。しかもディグからの技である以上基本は後衛から後衛へのトスになる。
そうなれば意表を突かれたとしてもブロックに跳ぶまでの時間は十分にある。
おまけに囮として扇さんが跳んだとしても通常の攻撃までの時間がありすぎて向こうは再度ブロックに跳ぶことができる。
「我らに一度見せた技は二度通じない! さぁ、もっと足掻いてみるがいいっ!」
くっ……追い詰められた時に志穂さんのノリはかなり腹立ちますわね……!
横目でチラッと小野塚さんを確認してみる。その顔はコートに立った時から変わらず無感情、無表情。そして一言、
「……人の技に変な名前付けるでねぇ」
そうつぶやいて舌打ちをした。




