第2章 第4話 破滅への輪舞曲
「ま、とにかくだ」
パン、と手を打つ音で思考が現実へと引き戻される。いつの間にかわたくしの前には真面目な顔をした一ノ瀬さんが立っていた。
「梨々花の言う通り今の花美は実力主義だ。そもそも梨々花はリベロ志望だったから絵里とは争ってないんだよ。まぁ絵里は辞めちまったから今はあいつがセッターなんだけどな」
「……そうでしたか。失礼しましたわ」
口ではそう言いながらも小野塚さんがセッターではないことをわたくしは信じられなかった。
先の試合。確かに小野塚さんはレシーブ面で大いに活躍していましたわ。身長の面から考えても環奈さんにポジションを奪われた元リベロだという可能性はもちろん考えてはいました。
でも。それ以上に。
先代セッターからボールを奪い、翠川さんの限界値を引き出したあのトス。あんなトスを出せる人間がセッターではないということが信じられなかった。
「それより」
ビシッ人差し指をわたくしに向けて一ノ瀬さんは言う。
「あんなことを言うんだから珠緒もセッターなんだろ?」
「ええ。それが何か?」
「うちが実力主義で、かつセッターが二人になった。つまり、だ」
一ノ瀬さんの指先がわたくしを逸れ、後方で環奈さんと談笑している小野塚さんを指した。
「お前と梨々花。どっちが正セッターにふさわしいか、今から三対三で決めさせてもらう」
そう真剣な表情で言われ、わたくしは思わず小さく笑ってしまった。
「それはそれは……。ずいぶんとお早い決断ですわね。あなたにとって最後の公式戦……春高予選まであと二カ月近くはあるはずでしょう? 直近で練習試合でもありますの?」
「いや、特にそんな予定はない」
わたくしが微笑を浮かべていることにイラッとしたのか、一ノ瀬さんの眉がピクリと動いた。
「でも恥ずかしい話、指導者不在かつ絵里が引退して急遽部長を引き継ぐことになったウチには余裕がないんだ。突然湧いて出た勝つ気のない新入部員をじっくり見守ってる余裕が」
「……チッ」
わたくしとしたことがとんだミスを。
これだけは隠しておかなければならなかったのに。
一ノ瀬さん以外は当たり前すぎて気づいていない……いえ、レギュラー争いに気を取られているだけですか。とにかく気づかれていないのなら問題ありませんわ。
「なるほど。殊勝な考えだとは思いますが少々気負いすぎではありません?」
「そうですよ。そんないきなりレギュラーを懸けた試合なんて無茶なんじゃ……」
わたくしの誤魔化しに乗ってきてくれたのは先程まであんな顔をしていた小野塚さん。一ノ瀬さんの袖を握る表情はどこか心配しているようですが、わたくしをチラチラ見ている辺り憂慮しているのはわたくしのことなんでしょうね。まったく、どちらがあなたの本性なんだか……。
「ああ、さっきのは冗談だ。本当にそれだけでレギュラーを決めるなんてことしないよ」
なんだ、そうなんですの。そっちの方が手早くて楽でしたのに。
「じゃあ何でそんなこと言ったんですか……」
「ああ、それはだな……」
やんちゃそうに小野塚さんに笑顔を見せると一ノ瀬さんは少し顔を伏せてからわたくしをきっ、と見つめる。その表情は、
「どこの誰かも知らないガキにダチを散々馬鹿にされてウチだってキレてるからだよ」
激しい怒りに燃えていた。
「安心しろよ。だからってもちろんイジめるつもりはない。この一戦でお前をボコボコにしたらチャラだ。帰りはみんなで歓迎会でもやろう」
「あら、ずいぶんお優しいんですのね。でも歓迎会は開けそうにありませんわ。だってわたくしはボコボコになんてされないんですもの」
「ほんと口が減らないなお前……」
そう苦笑した一ノ瀬さんの表情からはだいぶ怒りの感情は消えている。後を引きずらないというのは楽で助かりますわ。
「とりあえず軽く準備運動したら始めるぞ。十点先取したチームの勝ち。チーム分けはウチと梨々花……バランスを取るとしたらあときららだな」
「? これって自分評価されてるってことですか?」
「ううん、明らかにハンデ扱い」
「ひどい!?」
環奈さんの言う通り三対三という人数が少ないゲームで初心者を抱えるというのはかなりの不利。先輩の力を見せつけてやると言いたいのでしょうが……。
「いえ、翠川さんはわたくしが引き取ります。一年生チーム対上級生チームといきましょう」
「おいおい煽るのも大概にしとけよ。それだと試合になんないだろ」
「え!? 自分って煽りになるほどダメなんですか!?」
「まぁチーム分け的に考えるとそうだね」
一年生のポジションはセッター、リベロ、ミドルブロッカー。身長的に環奈さんがスパイクを打つのは難しいとなると環奈さんが拾いわたくしが上げて翠川さんが打つという決まりきった攻撃しかできなくなる。
と、向こうは思っているでしょうからね。
「そうそう。どこの誰かも知らないガキ、と仰っていましたわね」
まったく。舐められたものですわ。
『バレーボールをやる以上試合に出られなければ無意味』。そう言った上で小野塚さんが正セッターとなったこのタイミングで入部を決めたということは、つまりそういうことでしょうに。
「環奈さんのせいで自己紹介が途中だったので改めて」
わたくしはスカートの両端を軽くつまむと右脚を斜め後ろに引き、左脚を軽く曲げる。そして小さく頭を下げ、最大限の謝意を表する。
もう二度とコートに立てない憐れな先輩、小野塚梨々花に。
「セッター志望、新世珠緒と申します」
セッターはコートに一人だけしか立てない。
ほんのわずかにでも上手い方がコートで戦える資格を得る。
つまり、わたくし。
小野塚さんよりも、わたくしの方が上手い。
「紗茎学園中等部出身です。以後お見知りおきを」




