第3章 第18話 積み重ねの差 2
「はぁ……ふざけんなまじ……!」
「いつまでやんのよこれ……!」
返ってきたボールをアンダーハンドで繋ぎながら不意に環奈さんたちの対戦相手がそう漏らします。
「このっ!」
そして相手は渾身の強打を放ちますが、正面にいた環奈さんに簡単に拾われました。もう何度見たかわからない流れです。
「もう……おわってっ!」
そう叫んだのは、相手ではなく環奈さんの相方の美樹さん。美樹さんのスパイクを相手は簡単に拾うと、再びさっきと同じ状況に逆戻り。やはりこれも何度見たかわからない流れです。
「くそがっ!」
しかし変わったのは相手のスパイク。やけくそとも取れるような助走もフォームもめちゃくちゃな一撃はコートの奥の方に放たれますが、
「――アウト」
すぐ近くにいた環奈さんが振り向くことなく発したその一言と同時にコートの外へと落ちました。
「はぁ……扇さん、サーブですよ……はぁ……」
「ぜぇ……わかってるよ……わかってるから……はぁ……ちょっと休憩させて……」
環奈さんは砂浜を転がるボールを拾って美樹さんに投げますが、その美樹さんはキャッチすることなく息を切らしています。なんせ相手のどんな攻撃も環奈さんが延々と拾い続け、もう試合は一時間近く経っているからです。その間休憩はほとんどなかったので、さすがの環奈さんも息が絶え絶えです。
「だらしないですよっ……はぁ……こんなにたのしいんだからもっとあそばないとっ……はぁ……」
「もっとって……ぜぇ……あと一点で勝ちなんだけど……はぁ……」
観てるだけでも辛そうなのに、太陽のような笑みを見せる環奈さんを一睨みし、美樹さんはボールを拾ってサーブ位置に着きます。
そう。最初は絶対勝てないと思っていたのに、今の点数は五対二十。フェイントの反則から数点しか取られることなく、マッチポイントを迎えていました。驚くことに得点の内容はほとんど相手のミス。美樹さんも何点かスパイクを決めていましたが、何をやっても拾われるストレスからくるミスで相手が勝手に崩れてくれたのです。
「……環奈さんってあんな人でしたっけ……?」
「普段のちょっとクールで生意気な環奈からは想像できないけど、本来の環奈はあれだよ」
観ているこっちも辟易してそう漏らすと、いつの間にか麦わら帽子を被っていた流火さんが答えてくれます。
「ていうか、これが『浸透』の効果かな」
疲れ果てた美樹さんはふらふらになりながらもサーブを放ちます。
「バレーってさ、結局のところ勝たなきゃ楽しくないじゃない?」
そう言った流火さんの瞳は『熱中症』のそれ。でもその理由はコートで揺れる身体を見ているからではなく、環奈さんのプレーに熱中しているからだと直感しました。
「私の場合は相手の高い高いブロックを私のトスからの攻撃でぶち抜けたら最高に燃え上がるし、環奈の場合は自分たちのピンチを救うレシーブができたら楽しいんだと思う。それを究極に求める心が『浸透』の正体なんだよ」
「よくわかりませんが……。『熱中症』と似たようなものですか?」
「……? まぁ暑いけど……何で急に熱中症の話?」
自分の『熱中症』のことわかってないんですか……。まぁ自覚してたらコントロールできるようになりますよね。
「でも矛盾だよね。楽しもうと思っている時より勝ちたいって思ってる方が楽しいなんて。それがわかってたらずっと紗茎で一緒にバレーできたのに。環奈が『浸透』になるのって、近田監督が観ていない強敵との練習試合くらいだったから」
流火さんの瞳孔が開いた瞳がわずかに陰ります。おそらく流火さんと同様に環奈さんも『浸透』の自覚がないのでしょう。なんだか少し、かわいそうです。
「扇さんっ、最後だし、あれ、やりましょうっ」
「えぇっ!? あれって……あれでしょ? あんなのみきと梨々花ちゃんのラブラブコンビでしかできないんだけど」
サーブを簡単に拾われ、美樹さんがネットの近くに移動する中環奈さんはあることを提案します。なにが言いたいか自分ならわかりますが、自分でも無茶だと思ってしまいます。でも……。
「大丈夫、あたしならできます」
そう環奈さんが言うと、できると思ってしまうから不思議です。
「っーーーー! どうなってもしんないからねっ」
美樹さんも悔しいけどそう思ってしまったのか、ネットへと向かう足を止めて環奈さんの隣に並ぶと、相手のスパイクに合わせて跳び上がりました。
「出た……初見殺し――!」
流火さんが目を見開くと同時に環奈さんはわずかに右後ろへと下がりました。おそらく相手スパイカーの視線、角度、トスからコースを見切ったためです。
そして相手のスパイクを正面で受け止めると、跳び上がっている美樹さんの腕のてっぺんに合わせてボールを飛ばしました。
『一手飛ばしの速攻!』
本来であれば梨々花さんと美樹さんのコンビでしかできない、相手のスパイクの威力を利用した速攻、『一手飛ばしの速攻』。しかし先日の紗茎との練習試合では自分と環奈さんのコンビでそれを実現しました。
ですが自分はただ跳び上がり、ほとんどボールを見ずに腕を振っただけ。すごいのは一度も練習せずに自分の最高打点に合わせたトスを上げた環奈さんのレシーブ。思い返してみればあの時も『浸透』状態でしたか。
つまるところ環奈さんの『一手飛ばしの速攻』は、スパイカーが信じていつも通り腕を振るえれば誰とでもすることができる。それを証明するかのような一戦でした。
「あぁーっ、たのしかったっ!」
美樹さんのスパイクは後ろから打ったことで打点が低く、ネットにかかってしまいましたが、ボールは跳ねて相手コートへと落ちます。二十一対五。終わってみれば圧勝となりました
「あんた……一体何者?」
整列で環奈さんと握手を交わした相手が恐れをなした表情で訊ねます。それに対し、環奈さんは笑顔でこう返しました。
「『激流水刃』、水空環奈。別に覚えとかなくていいですよ」
「……いや、覚えとく。将来よく観ることになりそうだし」
「?」
そして何言か交わすと、環奈さんと美樹さんがふらふらとした足取りで帰ってきました。
「あー、つかれたーっ」
「おつかれさまですっ、環奈さん、美樹さんっ。ナイスファイトでしたっ」
コートから出た瞬間砂に倒れたお二人にスポーツドリンクを渡します。
「……梨々花ちゃんは?」
スポーツドリンクを一気に飲み干した美樹さんは開口一番そう訊ねます。
「そういえばまだですね」
環奈さんたちの試合もかなり長かったですが、梨々花さんたちはそれ以上に長いです。その間朝陽さん、日向さんペアは負け、風美さん、深沢さんペア。天音さん、音羽さんペアは順調に二回戦に進んだというのにです。
「あ、終わりましたね」
と思っていると、笛の音が鳴り響きます。結果は、
「……くそ」
十八対二十一で梨々花さん、徳永先生チームは負けてしまいました。相手は……結構太いおばさんペアです。筋肉とか見るにそんな強そうには見えませんでしたが……そうですか。
「ごめん小野塚さん……おらが不甲斐ねぇばかりに」
「いえ……先生のせいじゃねぇです。わたしがフォローしねぇといけながったのに」
……梨々花さんの口調に訛りが混じっています。ということは公式戦と同様に本気だったということになりますね。
「あ、勝ったんだー。おめでとー、環奈ちゃん」
梨々花さんたちの試合が終わると同時に深沢さんと木葉さんも戻ってきます。そして環奈さんに祝福をすると、流火さんを見ました。
「はかったわね、飛龍さん」
「ん? 何が?」
深沢さんに詰め寄られた流火さんは本当になにが言いたいのかわからないのか首を傾げます。
「確かにサーブとかレシーブはすごかったけどさー、小野塚さんが一番厄介ってことはないんじゃない?」
「えー。まぁ感想は人それぞれだと思うけど、私はそう思ったよ。雰囲気とかすごかったし」
「あー雰囲気は確かにそうかもねー。本気の時の流火ちゃんとか環奈ちゃんとおんなじ感じしたもんねー」
「でも後半バテてきていたし、体力不足なんじゃないかしら。あれで三セットマッチが務まるとは思えないわ」
「午前中練習だったし、慣れない砂だったからだよ。本当の梨々花先輩はすごいんだから」
あ、梨々花さんの名前を聞いて環奈さんが起き上がりました。目や口調はいつもと同じですし、『浸透』が解けたようです。
「まぁそれはそれとしてー、きららちゃん、そろそろ試合だよー」
「え、もうですか」
自分と木葉さんペアの試合は一回戦の最後だったはずですが……そうか、環奈さんや梨々花さんの試合が長かったですが、他のコートでは試合が進んでいたのでそうなるんですね。
「とりあえず、挨拶しとくー?」
「そうですね、一応」
木葉さんと一緒にこれから試合をする相手の方へと向かいます。そして一度頭を下げて、手を差し出しました。
「お手柔らかにお願いします」
「……悪いけど手加減はしないわ。全力でいかせてもらうから」
自分と木葉さんペアの初戦の相手は胡桃さん、小内さんペア。
師匠である胡桃さんとのとの対戦です。




