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女王様、狂犬騎士団を用意しましたので死ぬ気で躾をお願いします  作者: 帰初心
第二章 リーゼロッテと素敵な珍犬たち
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間話 女王陛下の足マット ( 第六部隊隊長ボルゾイ視点 )

「ボルゾイ卿! 私は怒っているのです」


 鼻とおでこに絆創膏を貼った、仁王立ちのご主人様。

 青いオーバーオールのポケットに爪切りの存在を感じて、ひやりとする。


 しかし何事もないかのように、私は恭しく膝をついた。


「何を怒っておられるのですか?」

「貴方が夏カットで根の葉もないことをおっしゃられるから、国民の多くが熱中症で苦しみ倒れたではありませんか! そして人に何の相談もなく、帝国ひとのいえを壊すほどの仕返しをするなんてどういうことです! 

 一番の黒幕であったレオンハルト様には、先ほど『め!』をさせていただきました」

「不思議なことをおっしゃる。私はあくまであちこちで世間話をしていただけ。勝手に思い込む方が悪いのでは?」

「あくまでシラを切られるのですね。グレイハウンド卿に靴と靴下を提供したら正直に吐いてくださいましたよ」

「おやおや」


 ずいぶんと犬人の扱いを覚えられたよう。

 いい成長ぶりだ。


 ――――だが、まだまだ足りない。


 私はご主人様が小鳥のようにさえずり続けられる間。

 丸い靴が踏みしめている赤い絨毯の毛並みを、自分の毛並みと比較していたのだ。








 帝国各地で同時多発的に起きた独立運動。

 そのおかげで大混迷を極めている帝国の王城・竜宮城。


 私は鰐人の女召使いからワインを頂き、貴賓室でゆったりと足を組んで、部下が送ってきた書類を確認していた。

 書類の主な内容は、私が間接的に唆した人物の動向だ。


「ボルゾイ様。もっと風を送っても宜しくて?」

「貴女の華奢な手が疲れてしまう。どうか、あのソファーで休んでください」

「いいえ! 私は少しでもボルゾイ様の役に立ちたいの!」


 私は小さくため息をついて、隣で必死に扇を仰ぐブルネットの女性————鰐人の自治領主の奥方に、愁いを込めた視線を送った。


「私は所詮、敵国の男。その美しい手にもつ扇をナイフに変えて、首を狙ってくださっても構わないのですよ」

「馬鹿なことを言わないで! 敵国のスパイとて活動していたなんて、とうに知っているわ! 

 でも……でも私は、貴方を少しでも助けたいの! 貴方に生きていてほしいのよ! —————その首輪」


 私の横に座る柳のような腰つきの美女は、ずいっと顔を近づけて訴えた。

 首のある赤い首輪を、赤い爪で執拗になぞりながら、


「旦那様だって、貴族の女たちだって、動かして見せるわ。だからお願い、私を頼って!

 貴方が背負う辛い使命を、少しでも肩代わりして差し上げたいの」


 と自己陶酔して、うっとりと囁くのだ。




(使命も何も、仕事なのだけども)

 彼女がそう思い込んでいるのなら、私は一切否定しない。


 先ほど『貴女にだから言える。私には大変な仕事があり、絶対に失敗は出来ない。出来なければ……』と言って、首輪をなでただけ。


 何も嘘は言っていないのだから。 




 彼女が夢を語る間に、書類の続きを流し読みした。


 だいたいが予想通りの行動をしているが、まさか第四部隊が全滅するとは思わなかった。

 ケンネルの機動力を削って、万が一にも第二部隊に火が付かないようにしただけなのだが。


(虎刈りに丸刈りにモヒカン? あいつらは本当に面白いな)


 次はどんなアドバイスをしてあげようかと考えながら読み進めていくと、最後の行。

 そこには『我らの女王陛下も混乱を極め、遠い目をしながら撫でてくれたが、時々「爪切り……」と呟かれている』とある。


 まあ、それはそうだな。 

 —————我々は、わざと教えなかったのだから。


 私はひたすら真面目で空回りばかりの幼い少女の顔を浮かべ、丸い靴を履いた足元を思い浮かべた。


 奥方に微笑んで、ソファーへの移動を再度促しつつ。 

 手紙の末尾にペンで「足マットは延期」とメモをしたのだ。






 竜人と頂点とする帝国が成立したのは、ほんの数百年前に過ぎない。


 大陸にたった百万人しかいない竜人。

 彼らが大陸の大部分を支配できたのは、一人一人の強大な戦闘力があったから。

 姿を変えれば小山ほどもある彼らの力は、大陸の中で誰よりも強大だった。

 

 彼ら自身は内政が得意ではない。

 だから、各種分野が得意な人種の国を征服することで、国を強大化させてきた。 


 滅んだ国家は自治領と呼ばれ、偉大なる多人種国家の礎として謳われた。

 征服された側からすれば、所詮は征服民が肩書を与えたに過ぎない。

 それでも旧王族を裏切って味方についたものたちを自治領主と定め、甘い汁を吸わせることで、庶民への締め付けを強化してきた。


 仮想敵国を作っては征服し、国内の高揚感で愛国精神を盛り上げる手法は、莫大な富と領地をもたらした。


 しかし、彼らは随分と驕ってしまったようだ。

 自治領がまとまっていたのは、ひとえに帝国に経済力があったから。

 そしてたまたま言うことを聞く、国民がいたから。


 犬人とは違い、他国の国民は、王に対してなんら慕情を募らせない。

 彼らは単に、国から与えられた恩恵おかねを、減らしたくないだけ。


 そんな微細な既得権益にこだわる国民サイレントマジョリティによって、自分たちが守られていることを、竜人たちはすっかり忘れてしまっていたのだ。




 崇高で確固たる意志の人間で作られた社会なんて、この世にはない。

 この社会あるのは、国民サイレントマジョリティの、気まぐれな感情の揺らぎだけた。

 

(まあ純人教狂信者のようなやつらは、また別だけど。どうにかなってしまったし)

 脳裏には、のほほんとした駄犬の姿が思い浮かぶ。


 今回の破壊工作部隊の主なターゲットは、帝国国民。

 

 私たちはあくまで、噂をばらまくだけ。




 出立の前に、私は病床おりの宰相から伝言を頂いた。


「もしかしたら、リーゼ様が『知らされておりませんでした』と怒るかもしれない。

 勝手に他国を崩壊させたら、『私は信用されていないのですね』と嘆くかもしれない。


 だが、これはチャンスなのだ。

 アベル様なら絶対に許してくれなかったが、今なら純人教と同様に攻撃できる。

 爬虫類を今のうちに締めて、真の序列を知らしめろ。

 リーゼロッテ陛下が唯一なのだと、思い知らせてやれ。


 ……そして風通しの良い大陸にして、ご主人様が健やかに育つことができる環境を作るのだ。

 私は家庭犬として、最高の環境をご主人様に差し上げたい。


 とはいえ、王族らしく平和主義なリーゼ様が、我々の真意を理解して対策を打てるようになったら、もはや犬人は勝手なことはできん。


 ————だからいいな? その前に叩き潰せ。迅速に、だ」

  



 私は白い夜会服に着替え、伝言を再確認していた。

 後ろ髪を緩くまとめ、流れるように整髪剤で固める。


『準備は出来ましたよ』


 足元には小さなコーギー卿。

 闇夜に隠れる前に、私の指示を待っていた。


 各地では、すでに第七部隊が動いている。

 情報操作が得意な彼らを、隊長のグレイハウンド卿から何人も借りている。


 グレイハウンド卿本人は、ケンネル王国の熱中症により窮地を、より誇張して帝国の裏組織に伝えるよう、情報のコントロールをしていた。


 彼は既に指示を出してある。

 第七部隊の借りの姿・記者スパイが帝国のあちこちで、とある記事を各地の新聞屋や広告屋に売り込んでいた。


 それは「竜人以外の人種の権益の縮小」と「竜人以外の人種への大規模な増税」、「食料の竜人独占」の【噂】。

 

 本当に、根の葉もない【噂】。

 だが、ありえなくもない【噂】。


 ほんの少しの可能性を秘めた【噂】が、あらゆるメディアを通して、また人づてに伝わり、多方向から訴えられ続ける。

 特に、自分の損になる話ならば。



 竜人以外の人種の既得権益を大幅に削り、竜人の権益を増やすという【噂】。

 竜人が税で優遇措置を受け金持ちとなり、自治区に入り込んで格差を見せ付けるという【噂】。

 帝都のそこかしこに、竜人専用の食料庫が隠されているという【噂】。



 竜人という、仮想敵国よりもよっぽど恨み辛みが蓄積された存在が、自分たちを更に苦しめようとしている。

 他人種の中で広がる【噂】は、「差別されている」という被害者意識を、より明確に際立たせていった。




 どうせ経済はガタガタだ。

 食糧事情も竜人に独占されている。

 

 このまま竜人に差別され、衰退していくのならば――――自分らの足で、再び立つしかない。



 

 この機運の高まりに乗じて、第五部隊は最後に仕掛けたのは宝探し。  

 竜人の役人の家。召使が掃除をするような場所に、宝石や金銀を隠して回ったのだ。

 町のところどころにはシェルターを作り、こっそりと大量の食料を見つかるように隠していった。 


 宝物が見つかる度に、絶望が広がる。


 ああやはり。竜人は、皇帝は我々を見捨てる気だ。

 各地の自治領に生きる庶民サイレントマジョリティたちが、自治領の上層部を動かして見せるのにはそう掛からなかった。 






(帝国は軍事力と反比例して裏の部隊の扱いが悪いな。トップが華やかな活躍ばかりを評価するせいか、人員の質も悪く、脇が甘い)


 私は柱の影に隠れていた、肥太った竜人の兵士を切り捨てた。

 そばでは華奢なサーベルで、同じく運動不足の兵士を刺し殺す、金髪の美女。


 蛇人の自治領主だ。

 しなやかな筋肉で、次々と敵を倒し、帝都の蛇人の軍人たちに指示をしていく。


 国民よりも、自治領の竜人たちよりも、ただ自分を守ろうと軍隊を集約させた帝国皇帝。

 彼を捕らえるためだ。


「殺しても構わない! 話の分かる皇族ならば、ケンネルに駐在しているハイヌウェレ公爵がいる。彼を使えば独立交渉はたやすい!」


 着々と進んでいく帝都攻略。

 私は彼女の協力に感謝をした。


 蛇人の女当首は「自分たちのためですもの」と、艶やかな髪を乱して笑う。

 そして私の頬に美しい手を当て、ほつれた前髪を直してくれた。


「あなたがただの野犬だったら良かったのに。そうしたら暴れるあなたを鎖に繋いで、永遠に巣の中で幸せな日々が送れたでしょう」

「……申し訳ありません。蛇公主様。所詮私はただの犬。飼い主を決めてしまった犬は、貴女を幸せには出来ません」

「私を幸せにしてくれるって言ってくれないのね。首輪だって絶対に外さないし」

「……貴女にだけは、嘘をつきたくないのです」

「悪い人ね……」


 そうして。

 帝国皇帝は蛇人と鰐人に捕獲され、うっかり勢いで殺されてしまった。

 ケンネル破壊工作連合部隊による帝国攻略は、成ったのだ。 


 ただ――――。

 蛇人の自治領主と、鰐人の自治領主の奥方の仲が、急激に悪くなってしまった。

 上手く完全独立ができるかは、ハイヌウェレ公爵次第だと、危ぶまれている。


 




 そのハイヌウェレ公爵。

 ケンネル王国に大使おどしやとして来ていた彼。


 彼は、即座に皇帝あにを切った。

 全てが終わるまで、決して帝都に戻らなかったのだ。


 貴賓室でお会いすると、彼は穏やかな顔で、「状況は聞き及んでいる。だが、私はここでケンネルを見張らねばならないからな」と淡々と語ったのだ。

 いつも帝国の利益のために、こちらを何度も挑発してきた政治家の、影も形も見当たらなかった。


 彼が本気になれば、一犬人である私は勝てないだろう。

 王宮の犬人にも、多大な犠牲が出るだろう。 

 だが、その可能性は低い。




 なぜならば。

 彼は元々、皇帝に対して尊敬の念など欠片もないからだ。


 ハイヌウェレという公爵位。

 これは皇帝になれなかった兄弟が臣下に下る時に、皇帝から与えられる爵位の一つ。

 意味は『国の礎』という竜人特有の言葉。


 別の意味では、『兄の犠牲となれ』と付けられた呪いの爵位。




 一政治家として、国のために生きるつもりはある。

 だが、自分の命すら脅かす皇帝くそあにきが排除できるのならば、多少国民の数が目減りしても構わない。

 自分に皇帝の座が回ってくるのならば、尚更だ。


 のんびりとお茶を嗜みながら彼は、


「本当に兄は統治が下手糞だった。私も色々なお手伝いをさせていただいたが、とうとう国を分裂させてしまったようだ。もう少しケンネルの状況が落ち着いてから、帝国の部下がまとめた竜人の軍隊を迎えに行こうと思う。次に皇帝の座に返り咲くことはないだろうけどね」


 と穏やかに述べて、私の仕事がまた増えたと、ため息をついたのだ。

 表では従った振りをして、どこまでも兄を嫌っていた公爵。


 ――――以前、その仲にさらに亀裂を入れさせていただいたが。


(公爵の愛妾が勝手にご協力くださり、実に簡単な仕事だったな)

 そう色気の塊のようだった女性の顔を思い出していると、公爵はポツリと呟いた。


「なあ、ボルゾイ卿。結局は軍事力を手中に収めたものが勝つのだと思わないか」

「場合にもよりますがね。今回のような形もあります」


 そうだなと、羨ましそうに窓の外に見える子犬隊プッピーズを眺める公爵。 

 だが、と彼は続けた。 


「結局世界を支配しようとも。お前ら犬人に大陸一つを、巨大な多人種国家を統一できるわけがない」

「私もそう思いますね」




 犬人はあまりにも同一な思考に囚われやすい。


 かいぬしを至高とし、忠誠心を第一とする国民性。

 そのまま支配者側に回ってしまえば、憲兵のごとく、王に尽くすことを他人種に強制するだろう。

 近い将来に軋轢が生じることは、誰にでも想像が出来る。



 

 やがて公爵が静かに大使館へ消え、誰もいなくなった貴賓室。

 そのテーブルの足をじっと見つめた。

 見事な緋毛氈ひもうせんの足マット。


 かの方の足を思い出し、ゾクゾクと背中を駆ける快楽。

 ああ、いつになったら、これになれるのだろうな。








 傲慢だが多様な欲望を許容できる帝国と比較して、我が国は。

 ずいぶんと脆い、砂上の楼閣だ。


 どんなに優れた人種だと言われようと。

 理性を支える王族かいぬしがいないと、野犬になるだけなのだ。


 王族はそれこそ昔はたくさんいた。

 犬人にも色々いるように、王族かいぬしだって様々な好みと考えの者がいたのだ。


 正直人間としてどうかという王族かいぬしも、結構いた。

 だがそんなもの、犬人にとっては関係ない。

 この人だと思ったら一途に慕い、従う。下にいたい。


 それだけが全て。




 そして今。

 この世界で発見されている王族はただ一人。


 過去に虐待され、死にかけていた寂しい少女。


 過酷な状況と飢えによって、すっかり収縮してしまった胃。

 ここに来てからはようやく正常な生活に戻り、顔や四肢に順調に肉が付いてきた。


 だが。心が完全に元気になったとは、誰も安心してはいない。


 リーゼロッテ様は気の毒なくらい不器用な子供だ。

 生真面目過ぎて、他人の言葉を、適当に受け流すことが出来ない。

 

 ――――そして、「友達」に飢えている。


 マルチーズ卿やシバ卿のように、年の近いものには親近感を抱いているようだ。 

 だが、これ以上フランクになってもらっては困る。

 

 彼女にとっての「愛犬」とは「友達」の意味。

 ケンネルにおける愛犬とは定義が違う。

 

 —————本当に申し訳ないが。

 犬と人との間には、しっかりとした線引きをしてもらわねばならない。


 脳裏に浮かぶ、彼女の義兄だった少年。

 あのふてぶてしい目つきに、犬人をいち早く理解した頭脳。

 彼にはこっそり期待をしているのだ。早く出世して使いやすい地位を得て欲しい。

 



(私は彼女に、さらなる覚悟をしてもらう)


 宰相は優しすぎるし、団長は盲目だ。

 ついでにピットブル侯爵は性根がひねくれ過ぎて、暴力的な意味しか伝わっていない。


 心に素直になればいいのだ。

 そう。私の様に。






 そして冒頭に戻り、理想の毛並みへの妄想から立ち返る。


「マゾ様! 聞いておられますか!?」

「ご主人様、そもそものお話なのですが。

 ……どうせ宰相は優しすぎて言えないと思いますので、一つお聞きしても宜しいか?」

「え? あ、はい」


 表情の代わりに、心を雄弁に語るスミレ色の瞳。

 いつだって真面目で。そのせいであらゆる失敗をする、不器用な子供。


「私たち犬人を人だと思いますか? それとも犬だと思いますか?」

「え……」

 

 困惑して言葉のでないご主人様。

 私はふっと笑う。


「ご主人様はようやくご自身を客人とは思わなくなりましたが、私たちを人として扱いたいと思っている」

「だって、皆さん人の姿で生活していますし、国民の殆どが人として暮らしているではありませんか」


 そこが、そもそもの間違いですよ。 


「ご主人様は考え過ぎなのです。はっきり言いましょう。私は犬です」


 私は低く体を伏せ、ご主人様の小さなおみ足を取った。

 誰よりも愛情が欲しいくせに、強烈な愛の押し付けには慄いてしまう彼女が、とても愛おしい。


 そっとおみ足を頭に載せた。


「!!??」


 混乱を極めるご主人様。


「この国の犬人は、いや全ての犬人は、犬なのです。

 王族としてではなく、純人なる人として生きてきた貴女の価値観が理解できず、ただひたすら愛を捧げようと暴走しているだけ。

 本当はごくシンプルな話なのです。犬は自分が飼い主の下であると実感させてくだされば、それでいいのです」


 片足をプルプルさせる彼女は、「純人なる人の価値観」という言葉に強く反応された。 

 そこに、更にアドバイスを付け加える。


「ただ、私はただ踏みにじって欲しいだけなのです」


 激しく動揺し、プルプルしつづける片足。


 諦めてくださいご主人様。

 犬人など、所詮は犬。

 本当に欲しいものなど、ほんの単純なものなのだ。



 —————私の場合はただ踏みつけられて貴女の下でいる自分を実感したいだけ。

 ―――――ほら、単純でしょう?



「犬の飼育など、難しく考える必要はないのですよ。

 ただ、はっきりと上に立ってくださればいい。序列の最上位にいてくださればいい。

 それだけで安心できる。だから、可愛がってくださらなくとも結構。

 私たちはただ他国きんじょ迷惑なほど、安心を求めて吼えているだけなのですから」


 私は震えるおみ足を頭部で実感し、誰にも見せたことのない最上級の笑顔で、彼女に微笑んだ。

 





 ――――犬人の性質を考えるにつれ、私は駄犬を高く買わざるを得ない。


 ああ見えて無駄吠えはしない、誰にも噛みつかない。トイレのしつけはなっている。

 そして主人様の威光を後ろにして威張らない(他犬の人間関係など理解していないからな)。


 自分が序列の最底辺だと分かっていて、それでも気にしない。


 どこまでも自由な犬だ。

 あんな犬は滅多にいない。


 愛されても愛されなくとも、抱きしめられようと殴られようと。

 バカだから御主人様の顔を忘れてしまったって。


 ふと主人のことを思い出しては、のんびり御主人様の後ろをついて行くだろう。

 本当に、のびのびとした、バカだ。


 そんな犬を、ご主人様は友達だと思っている。




 他の犬人は、愛されたい気持ちが強すぎて、どこまでも「出来る」犬を目指す。

 それが「御主人様の望まないこと」であっても。

 とにかく最大の成果を、差し上げようとしてしまう。


 ピットブルが敵を求めて殺そうとするのが、良い例だ。

 自分のもつ最大の力で、最高のものを与えたいのだ。


 それが、犬。


 私など、ただ踏まれたいだけなので可愛いものだ。




 犬人にとっては、御主人様から捨てられる恐怖の方が強い。


 次々と王族がなくなられていった日々。

 あれは恐怖以外の何者でもなかった。


 御主人様が私たちを捨てて行ってしまう。

 死の国に消えていってしまう。


 過去に多くの王族がいた中で、「わんこふとんでねてみたい」という素晴らしいお方がいらっしゃったが、彼も消えてしまった。


 王族を失ったトラウマにとらえわれる我々。

 心に負った傷は、そう簡単には癒されない。

 

 そのしわ寄せは、たった十歳の何も知らない子供が受け取ることになる。

 

(ああ可哀想に。王族であったがために、何万という犬に襲われるとは)




 ……だが。

 

 私はどうやら、ご主人様――――リーゼロッテ様を、過小評価していたようだ。


 




 片足をようやく戻せたご主人様は、深く、深くため息をついて、少し間考え込んだ。


 そして、


「分かりました。貴方の罰は爪切りではありません。永遠に足マット禁止です」


 と、非情なる判断をくだしたのだ。


 予想外の反応に、心臓が掴まれたようなショックを受ける。


「そんな……」

「……やはりこれは効果的ですね」

「ご主人様、殺生です。私の心を殺す気ですか?」


 思わず縋ると、御主人様は何かを悟った顔をし、足をぶらぶらさせる。

 私の目は必死にその動きを追ってしまった。


「犬になってください」


 すぐに私は犬に変わり、自慢の敏捷さで足の裏を狙った。

 だが御主人様はすかさず地面を踏みしめて、おっしゃったのだ。


「ボルゾイ卿、貴方に感謝をいたします」


 必死に丸い靴を狙う私に、なぜか彼女が感謝をした。


「今まで私は皆さんに、人と同様の叱責しかしてこれませんでした。

 だから心底犬である犬人には通じず、お互いの愛情が行き違ったのでしょう。

 ――――ようやく理解できました」


 なんという成長の早さ。

 私はくうーんと鼻先で御主人様の足先をつつくが、全く足を上げてくださらない。


 そして泣きそうな顔で、御主人様を見上げると。


 氷のような冷酷な微笑み。


 そこにはあのピットブルを大興奮させた、この世の者とは思えないほどの、残酷な笑顔。

 毛が全部逆立つほど、ゾクゾクしてしまった。


「私に思い切り踏まれたければ、他犬に迷惑をかけてはなりません」


 ご主人様は冷たく(恐らく愛情こめて言っているはずだ)続けた。


「他人と他犬を無選別に貶めるような工作をしないこと。

 他国に仕掛けるのならば、いたずらな死者を作らないこと。

 ……そしてトップである私に、最初からきちんと報告しなさい。そうすれば……」


 氷の女王のような雰囲気のまま、そっと私の毛並みを背中にかけて、優しく梳いてくださる。

そして、両手で私の顔を掬い上げ、頬の毛並みを整えてくださった。


「たくさんなでて、とても良い子だと誉めて差し上げます」


 今にも、首を無惨に引きちぎってくださいそうな、その笑顔。

 

 私は完全にオチた。




 これは将来、いや今だって。

 強烈な踏み付けが期待できる。


 私はどんな絨毯にも、足マットにも負けない毛並みを手に入れる。

 そう決意した。

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