第039話 『賢者カイン』⑥
内在魔力を空にするまで振り絞って生み出した光球の数は三桁に届いていたと思う。そのすべてから容赦なく光線が照射され、私の方へ向かってきているスフィアの歩を止めんと貫き穿つ。
今度もスフィアは一切の防御行動をとらず、ただされるがままだった。ただの子供の体を光線は何の抵抗も受けずに破壊してゆくが、その端から再生されてゆくのだ。
確実に死に至るはずの血を伴う破壊と、そこからの完全な再生。
それはもはや現実とも思えない、神々しさとグロテスクさが綯交ぜになった――そう、まさに高熱に浮かされてみる悪夢のような光景だった。
光線による弾幕によって例外なく破壊と再生を繰り返す頭部でゆっくりと周囲を確認したスフィアは、なにかに合わせるように歩調を修正した。
それは均等に減りゆく私の放った光球が小さくなっていく速度に歩調を合わせたのであり、それと同時に敢えて自身の頭部に浮かんでいる天輪も小さくなっていくように調整したのだと、今では知っている。
一歩も動けず硬直していた私の目の前までスフィアが到達したタイミングで、いっそ見事なくらいに私の創り出したすべての光球と、スフィアの頭上で輝いていた天輪が同時に消失した。
そしてあの美しく優しげなよくとおる声で、こう言って優雅に跪いたのだ。
「賢者様。私が女神様から与えられていた奇跡は、たった今尽きてしまいました。これ以上は賢者様の魔法に耐えらそうもありません。私の負けでございますね」
と、清楚可憐な顔でにっこり微笑みながら。
嘘だ。
スフィアの奇跡に底などなく、その気になれば内在魔力が尽きて唯の人になった私をいかようにでも蹂躙できただろう。
それは対峙した私こそが一番よくわかっていた。
「――どうしてわざと負けるような真似をする?」
だから私も跪くふりをして遮音魔法を展開し――その程度の内在魔力は生成できていた――いかにも全裸でありながらも清らかな聖女然としていたスフィアに問うた。
「あら、さすがは賢者様。そんなもの決まっているではございませんか、その方が生きやすいからでございます」
スフィアは一切表情を変えることなく、私にだけ聞こえるようにそう囁いた。
駄目だ、これには生涯勝てないとその瞬間に確信した。
私は今でもスフィアとクナドのことを、実は人生何周目なのだろうかと疑っている。
その時から私も、生きやすいように擬態をすることを決めたのだ。
スフィアよりずっと弱い私は、スフィアよりももっと徹底して。
「聖女様。私も魔力が枯渇してしまいました。ですから引き分けですね」
だがその時の私は、できるだけ天才児らしく振る舞いながらそう返した。
そしたらスフィアの奴、とびきりの笑顔を浮かべたまま舌打ちをしやがったのだ。
冗談ではない。
聖女、というかスフィアに勝った天才賢者などという肩書、今よりもいっそう生き辛くなるだけではないか、絶対にごめんだ。スフィアとしてはどれだけ神の寵愛を独占している聖女でも、『魔導塔』の天才賢者には敵わないという結果を望んでいたのだろうが、そうはさせるものかと思ったのだ。
それでも私の『自動追尾光線』とスフィアの加護が尽きるまでは維持される不死性は、私とスフィアを利用し尽くそうとしている大人たちを警戒させるには十分だったらしい。皮肉なのは双方ともに仮想敵である相手よりも、飼い犬に手を嚙まれる可能性をより強く危惧、警戒したことだろう。
要は私に対す抑止力としてスフィアを、スフィアに対する抑止力として私を計算に入れるようになったのだ。その結果、それまでわかりやすく敵対していた『魔導塔』と『聖教会』は、王家が驚くほど急速に良好な関係を築くことになった。
少なくとも表面的には。
そのおかげで私はスフィアから「想定していた展開とは違いましたけれど、結果的によしとしましょう」とお目こぼしされたのだ。
そんなスフィアは勇者との顔合わせでも全く変わっておらず、勇者も剣聖もなんの疑いも持たずにスフィアの被った仮面を信じ込まされていた。私ももちろん余計なことなど一切言わず、魔法だけが得意な、クナド曰くコミュ障のように振る舞っていた。さすがに見た目については擬態することは赦されなかったのだが。
それが王立学院に入学する直前、勇者アドルの親友かつ師匠としてクナドを紹介されてから、スフィアは別人かと思うくらいに変わったのだ。まあそれは私もなので人のことなど言えないと言えばそうなのだが、あのスフィアがこうまで変わるなど、自分の目で見ていなければとてもではないが信じられなかっただろう。
クナドと知り合ってから一度だけスフィアに「一人で来てくださいませ」と呼び出された時はわりと真面目にいろいろと覚悟を固めたものだ。
まさか真顔で「カイン様は私の裸など見ていません。よろしいですね?」と言われた時には、なにを言われているのかすぐには理解できなかった。
つまりは幼いあの日の手合わせの際、私や立ち合いの大人たちがスフィアの全裸を目にしたことを、口が裂けてもクナドには言うなということだったらしい。いや全裸どころか中身まで見せられた私には結構重い精神外傷なので、忘れられるものなら忘れたいところなのだが。
気になって調べたら、当時立ち会った聖教会はもちろん魔導塔の関係者も、その全員が王都どころか国外へ移動させられているのを知ってぞっとした。いやまだ生かされているだけ感謝すべきなのかもしれない。
私の場合はうっかり口を滑らせたら、本気でこの世とさようならになる可能性も否定できない。
なので毒を食らわば皿までよとばかりに「あのことは口が裂けても言わないと誓うが、あんな子供の頃のことなど、今のスフィアの全裸でも見せておけばクナドも笑い飛ばしてくれるるのではないか?」と言ってやった。
ぶっ飛ばされることくらいは覚悟していたのだが、まさかあのスフィアが真っ赤になって「カイン様は本当にそう思われますか?」と聞いてきた時には幻覚魔法にかかったのかと思った。スフィアの正体を知っている私からすれば、申し訳ないけど本気で気持ち悪かったくらいだ。
クナドのなにが凄いといって、スフィアのことを「腹黒」と呼ぶほどあっという間に理解しておきながら、どうやらそういうアプローチに対して普通にテレていることだと思う。
まあだからこそスフィアも、本気でクナドを好きになってしまったのだろう。
聖女スフィアの正体を知ってなお普通の女の子扱いできる奴など、私もクナド以外には絶対にいないと思う。
正体というのはクナドがよく言う「腹黒」だとか「あざとい」だとかスフィアという人格のことなどではなく、その身に宿している純然たる力――まさに奇跡としか呼びようがない能力のことだ。
普通はあれを目の当たりにしてしまえば、私のように内心で怯えて化け物扱いをするか、神に愛されし真なる聖女としてスフィアに心酔し、崇め奉るかのどちらかにしかなれない。あの人間離れをした美しい容姿は、どちらにせよそれを助長するだけだ。
『賢者カイン』⑦
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