第038話 『賢者カイン』⑤
クナドはおかしい。
ほぼ初対面で私の擬態を見抜いただけでも相当におかしい。
それだけにとどまらず、私が生涯をとおして絶対に勝てないだろうスフィアを初対面の時から夢中にさせているのだから、私だけの思い込みということはないと思う。
ちなみに勝てないというのは純粋な戦闘力でという意味で、すべての魔法を司る賢者などと呼ばれているこの私でも、正面からやりあったら最終的に拳で殴り倒されて負ける。恐ろしいことにこれは予想などではなく、すでに実証されている事実なのだ。
清楚可憐な見た目にみな騙されているが、怖いのだよスフィアという女性は。
多分本気で敵対してしまったら、勇者も剣聖も勝てない。1体1はもちろん、2人に私が加わって3対1になっても結果は変わらないだろう。
そんなスフィアを戦わずして完封できるのだから、やはりクナドはおかしいのだ。
どうやらクナドは自覚していないらしいが、聖教会はその一点だけでクナドを勇者や剣聖、賢者(私)よりも重要人物だと見做している。あそこはもはやスフィアの機嫌こそが魔王よりも恐ろしいのだろう。
だが冗談などではなく、魔王や魔人がとんでもない技や魔法を駆使できるだけでベースが私たちと同じ人間だったなら、スフィア一人で本当に倒せてしまうと思う。要は勇者、剣聖、私の役目は、あらゆる能力を剥ぎ取られた魔人や魔王の素体にとどめを刺す事に過ぎないのだ。
ほんの幼い頃から私は『魔導塔』の天才児、スフィアは『聖教会』の秘蔵っ子としてお互いのことを知ってはいた。それが当時犬猿の仲だった塔主と教皇が、私たちのどちらがより優れているかをはっきりさせようと試みたのだ。
もちろん極秘裏に行われたので、その事実を知る者は今でも極少数に限られている。
ある意味、魔法vs奇跡の決着がついてしまうのだから、それも当然だと思う。
秘匿公式資料という矛盾の塊のような書面には、魔導塔、聖教会、王家それぞれの印とともに結果は引き分けだったと記されている。少なくともお偉い人たちはそれを信じているらしいが、実際は私の完敗だった。
手合わせという名の決戦当時、私はすでに禁呪と古代魔法、光系統の大部分と闇系統――いわゆる逸失魔法とされている以外の相克相性五芒星系統魔法は、すべて構築可能になっていた。
自他ともに認める天才、どいつもこいつも私の足元にも及ばない。
増長も極まっていたその頃の私は、いかにも尊大な天才少年らしく振る舞うことが楽しくてたまらなかった。
「なるほど」をわざと口癖にして、魔法以外のよくわからない事にでもとりあえずきりっとしてそう言っておけば、周りが勝手に天才と誉めそやしてくれた。自分が容姿にも恵まれていることを自覚していたのでなんといかこう、黒系のコーディネート――いやはっきり言おう、闇の申し子みたいなのを格好いいと本気で思い込んでいた。
……クナドの言うところの「黒歴史」というやつなのだろうが、それを話したら大笑いしてくれたので、今ではどうにかまあいいかと思えるようになれた。以前は鮮明に思い出すと、ベッドの上で転げまわりたくなっていたものだ。
別に相手を殺しても構わないと言われていた、そんな自分が天才だと信じていた度し難い当時の私は深く考えることもなく、本気で死んでも構わないつもりで複数の魔法をスフィアに向かって撃ち放った。
そのすべてが幼いスフィアにすべて直撃したのだ。
複数の属性魔法を多重構築できることが自慢だった私だが、まさかそのすべてが直撃するとは思ってもいなくて、とんでもなく焦ったことを覚えている。
魔法が劣ると思ったことなどないとはいえ、奇跡のとんでもなさも嫌というほど学んでいたので、初手で多重属性の魔導弾を撃ち込む程度、苦も無く無力化するだろうと思っていたのだ。
幼いながらも聖女の正装に身を包んだ、華奢なスフィアの躰に直撃する5発の魔導弾。
相性を利用するために時間差で土、金、水、木、最後に火を着弾させる連撃は当時の私が得意としていたもので、対象の弱点属性を最後に着弾させることによってその効果を極大化させる。
時間差とはいってもそんなものは刹那でしかなく、傍目には一瞬でスフィアが燃え上がったようにしか見えなかっただろう。人の形をしたものが燃えるということがどれだけ恐ろしいか、どれだけ悍ましいか、その時に私は嫌という程心に刻み込まれた。
自分が自慢げに魔物を消し飛ばしてきた魔法を人に向ければこうなる。
そんな当たり前のことをこの時まで私は、本当の意味で理解できていなかったのだ。
だがそれで終わらなかった。
燃え上って真っ黒な蠟燭の芯みたいになったスフィアは、そのまま私の方へしっかりとした足取りで歩きだしたのだ。二歩目で魔法の火は消え、真っ黒になった外側が剥がれ落ち、傷一つない全裸のスフィアが無表情で私の方へ近づいてくる。
羽根こそ生えていなかったが、頭上には奇妙なほど純白の光で形成された天輪が浮かんでいた。天使とも見紛う程の美しさなのに、漆黒の髪とすべてを飲み込む黒洞のような瞳と純白の天輪の組み合わせが、とてつもなく禍々しく私の魔眼には映った。
それも当然だろう。
内在、外在を問わずに魔力の流れを可視化するだけではなく、魔力を変換して行使されるあらゆる技や魔法の構築術式を捉えるはずの私の魔眼に、なにも映っていなかったのだから。魔法に焼かれて確実に一度消し炭になったスフィアの体を完全に再生させ、今この瞬間にも圧倒的な力を感じさせる天輪を浮かべているにもかかわらずだ。
私は当然、恐慌状態に陥った。
人を焼く恐怖、悍ましさなどという上から目線の感傷など瞬時で消し飛んだ。
訳の分からない上位存在が自分の方へ歩いてきているのを止めることこそが私のすべてとなり、そのために自身が有する全戦力を投入することに対する躊躇いなどいとも簡単に蒸発した。
とんでもないと言われていた自分の内在魔力を空にする覚悟を一瞬で決めて、巨大な光の塊を無数にスフィアの周りに展開した。
それはあの時点での私の最強魔法だった『自動追尾光線』。
私が再構築に成功していた唯一の光系統魔法であり、創り出した光球が尽きるまで私が敵と見做した対象に直線的な光線を照射し続ける。本能でスフィアを邪悪な存在だと捉えた私が、その弱点属性である光魔法を選択したのだ。
『賢者カイン』③
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