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7.主人公の恋とライバル

『どんなやり方でも勝ちは勝ち、負けは負けだからね。私が勝ったんだから、エルはもう無闇にここに戻ってきたら駄目だよ。わかるよ。忘れるのは難しいだろうけどさ、そろそろ解放されていい頃なんだと思う。亡くなった人たちも、きっと許してくれる。供養は責任を持って私が引き受ける。そのくらいは任せて』



 いくらエルが反撃できなくても、こんな短剣ひとつで私が圧勝するのは無理だろう。だけど掠り傷のひとつでもつけて、格好つけるくらいはやってやる。

 用意していた科白を言って、颯爽と別れを告げるのだ。幼少時みたいにみっともない真似はしない。笑顔でさよならをする。



『元気で。エルがどこにいても応援している。頑張って。またいつか会おう』



 今なら言える。

 意固地だった昔の自分は、とっくに卒業した。あの日、扉を開けて笑いながら手を振れたなら、後悔を引き摺ることもなかった。同じ過ちを避けるのは当然だ。



『さよなら。……ずっと好き、だったよ』



 ……待て。


 最後のは要らない。

 そこはナシ。無理。絶対。


 馬鹿か私は。

 今更何を自覚しているんだろう。

 子どもの頃の淡い初恋が続いてました……って、少女漫画か。いや、もともとは漫画なのかもしれないけど。


 余計なことを考えるな。

 私はボツになった設定――お姫様の恋のライバルキャラからは、多分程遠い。


 同じ縋るにしても幼馴染みの情ではなく、主人公の初期のライバルというポジションに誇りを持とう。そして今度こそちゃんと彼を送り出すんだ。


 コンマの秒数だけ、脳内を妄想が巡る。後で思い返してみれば、それが良くなかった。

 集中しなければ駄目な場面にあって、私は迂闊にも隙を作ってしまった。よりにもよってエルの目の前で。


 短剣が空振りする。

 そこまでは想定内だった。

 大きな動作はせず死角を抉るように振るったけれど、エルのレベルなら避けるのは容易い。


 私は体勢を殆ど崩さなかった。

 なのに――。



「……ツェット」



 名を刻む唇が、凄く間近に見えた。

 気がつけば指一本の隙間もないほど、エルの端正な顔が迫っていた。


 吐息がかかる。

 同時に両手首に強い力を感じた。

 押さえられている。


「!」


 次の瞬間には、生々しい感触が口元を覆った。続いて口腔内に滑りが侵入する。


「!?……!?」


 最後に下唇に痛みが走る。

 口の中に血の味が広がった。


 は?

 え……ええ?


 噛まれた? 今、噛まれたの!?

 唇を!?



 ていうか、これ、キ、ス……。



「な……な……」

「……僕の勝ちです。ツェット」


 エルは私の腕から手を放さず、満面の笑みを浮かべて言った。正確には笑っているのは表面だけで、目にはむしろ怒りのような感情を湛えている。


「君は狡い」


 ヤバイ、めっちゃ責められている。

 昔からそうだ。エルは普段とても柔和な印象だけれど、キレると静かに怒るタイプだった。そんなときは周りみんな背筋を凍らせていた。


「あの、ごめ……いや、聞いて」

 ビビって手を振り解こうとするも無理だった。どんな腕力なのか全然びくともしない。

「きっと君はいつだって……平気でひとりで決めて、ひとりで立って、ひとりで生きていける。強くて狡いひとだ」


「僕が故郷(ここ)から去ってからも、多分記憶を失ったときも、皇太子を追い詰めたつい先日も、今も、全部ひとりで、何でもないことのように受け止めて立ち向かえる。君のその強さが腹立たしい。僕を……必要とはしてくれないから」


 一息に告げられた言葉は、私の耳には必死過ぎる愛の告白に聞こえた。

 先程の唐突なキスといい、もしかしてもしかしたら、信じ難い憶測が成り立つのではなかろうか。


「エル……エルは、まさか」

「――……」


「私が、……好きなの?」



 +++++



 数秒の間、エルはポカンとしていた。


 あー……これは、間違えた?


 ですよねー、ナイですよねー。

 錯覚とか幻聴とか、そういう類いに違いない。世迷言を申し上げました。深くお詫びシマス。


「ごめん、勘違い……」

「気づいてなかった……んですか?」

「はい?」

「そうか……確かに昔も今も、ちゃんと伝えたことはありませんでした。すみません」

「はい?」


 何と返していいか判断がつかず、今度は私が呆然とすることになった。


 えーっと、えっと。

 いったい何が起こっている?


「好きです」

「……あ、う」


「子どもの頃から、ずっと。初恋でした。君は帝国のせいで死んでしまったと、そう思っていました。でも僕は忘れることはできなかった」


 言われている内容の意味は辿れる。なのに理解が追いつかない。私はしばらく間抜けに口を開きっ放しだった。


 本当に……本当に?


 エルが、私を……?


「え……いやいやいや、ナイ、でしょ」

「あります。どうして否定するんですか」

「そんな……だって子どもの頃なんて、私、どう見ても男の子みたいだったよ。大人は兎も角、同年代には男と間違われていたんじゃないかな」

「そうかもしれませんね」

 ふっ、とエルは苦笑した。

「男子の中に混じっても違和感がないくらい、君は強くて逞しかった」

「いや、ガサツで乱暴と言うのでは……」


 昔の自分を思い返すと赤面するしかない。いったい全体どこにエルが惚れる要素があるのか。ほんと意味不明だ。


「だけど僕には可愛い女の子に見えてましたよ。何より僕に真っ直ぐに向かってくれた。他の皆は敬遠するばかりだったのに」


 それ、エルが優秀過ぎて逆に引かれてただけだと思う。子どもは正直というか残酷というか、自分たちとは異質な存在に敏感だったんだろう。

 なるほど、天才は孤独って本当なんだ。かつての私は単にプライドと負けん気で喧嘩腰に接していたに過ぎない。そんなクソガキに情を抱くくらいには、幼少期のエルは寂しかったのか。


 女だとバレていたのはエルの観察眼が凄かった(いや偶然かも)として……我々のシチェーションが恋愛フラグと問われれば、確かに片鱗はあったのかもしれない。


「だとしても……さ、今のエルを遠ざけるひとなんていないでしょ。逆にエルと違って、私はこの通りごく普通の、何の変哲もない平凡な女だし。むしろ再会したとき、ういのがツェットだって、よくわかったよね」


 自嘲でも照れ隠しでもなく、私は純粋に疑問を口にした。今更訊くのもなんだけど、先日からずっと気になっていたことだ。


 昔の私は男の子みたいな風体だった。今は身体つきも雰囲気も大分変わっている。さらに再会したばかりのときは髪も長くて、バイトの兼ね合いから意図的に可愛らしく振る舞っていた。

 多少顔立ちに憶えがあったとしても、なんで気がつくの? 十年以上経っているのに? エルみたいに圧倒的な容姿と存在感もない。男装を止めた私は取り立てて特徴もない、どこにでもいるつまらない女だと思う。


「見くびらないでください。何年離れていても、君が誰だかわからないほど愚鈍ではありません」


 心外とばかりに、エルは語気を強めた。


「昔からずっと、想像していました」

「想像?」

「ええ。故郷を去ったあの日から毎日」


「君がどんな風に成長するのか、いつも考えていた。一年後の君も、二年後の君も……三年後四年後五年後の君も。そして十年後の君も。未来の君をいつも思い描いていました。だから僕が君を見間違える訳がないでしょう」


「え……」


 重過ぎる言葉の羅列に、私はよろめいた。すかさずエルの手が腰に回る。いつの間にか、かつてないほどお互いの身体が密着していた。

 服越しに感じる熱と鼓動から、エルの本気が伝わってくる。もう誤解しようがない。



 どうしよう。

 どうしたらいいんだろう。



「信じられませんか?」

「それは……。だって私は、その、エルは将来お姫様と結ばれると、そう思っていて」

「アウムラウト姫? 何故?」

「えーと……う、噂?」


 漫画の設定とも言えず、私は口ごもる。

 そもそも自分が生きている時点でストーリーは変わっている。そのうえすでに結構な改編をしてしまった。人間関係や心理だけがそのままである理由はない。


 もちろん今もなお、エルの想いを例の隠し(ボツ)設定と関連付けるのは容易だ。

 お姫様の恋のライバル――になるかもしれなかった私だから、エルの心に留まっていた。そんな解釈だって成り立つ。でも。


「僕が好きなのはツェット、君です」

「……うん」

「さっきの勝負も、君が僕のことを心配してくれて言い出したのはわかっています。だけど僕は、故郷も、過去も……君も、全部負いたいんです。僕を英雄と呼ぶなら、真にその名に相応しい男になりたい」

「エル……」


 真摯な眼差しだった。

 設定なんかで片付けていいほど軽くない。


 私は真っ直ぐ過ぎる視線を正面から見返す。綺麗だ。顔貌でなく、多分、彼の心根が美しいんだろう。昔も今も、エルは私の大好きなエルのまま変わらなかった。



 ――きっと、未来もずっと。



 心臓がぎゅっとなる。

 私の腕が自然とエルの背を抱き締めた。




 好きだ。




 少年のエルも目の前のエルも、私の主人公で永遠のライバルで、かけがえのない存在だった。



「……駄目だよ、エル」

「ツェット?」

「ひとりでなんか、背負わせないから」

「ツェット……」

「一緒にいよう。私たち、たくさん失くしちゃったけど、大丈夫。二人で分かち合おうよ。だって……」


 言い終わらないうちに、再びエルの唇が私の口を塞いだ。長く深く、優しく激しく。いつまでも終わらないキスに、私は言葉を紡ぐのを諦める。






 いずれ私は彼にも真実を話すだろう。

 前世を、漫画(ものがたり)の世界を、エルが主人公であったことを。


 そのときはきっと、自分のことも笑いながら語れるようになっているに違いない。抱き合いながら確信する。


 私の誇り。私の最愛。

 架空の物語の中でも現実世界でも、エルは紛れもなく私の主人公だった。


 そして私は――……。






『私? 私はね』


『主人公の初期のライバル――だよ』






<完>

ありがとうございました


ブクマ、評価にも感謝いたします

大変励みになっています


実はしばらく入院するのですが

無事に次作でお会いできればと思います

ではまた



〔2021/09〕

ご心配おかけしましたが、退院しました

ありがとうございました

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― 新着の感想 ―
[一言] ずっと切なさがつきまといつつのじれいじれ展開?ながら 最後のハッピーエンド!感動しました!! ご入院するとのことですが次作も本当に楽しみです。待ってます!
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