6.主人公の傷とライバル
「ツェット」
背中に突然、気配を感じた。
え……ええ!?
確かに泣いてて注意は疎かになってたけど、こんな何も遮蔽物がない場所で、まったく気づかれずに近寄ってくるなんてアリ!?
忍か? いやいやいや、さすが主人公だよ。身体能力どうなってるの? 先日の戦闘も人間離れしてたし、努力とか訓練とか抜きにしてもチート補正あるよね?
私はすぐに振り返ることができなかった。
二度と会えないと言った口で、いったい何を話せるだろう。まともに対峙するのは気が引けた。
「ツェット」
呼び掛けは、今度は耳元で囁かれた。
……ひぃぃっ!?
ナニソレもしかして……え、超絶至近距離にいるってことじゃん。嘘でしょ。なんで? 今ほんとに動いた!? 足音なかったよ!?
「ツェット」
近い近い近いヤバイ。
何これホラー? ジャンル違うんデスガ!
項にかかる吐息が生々しくて、心臓がバクバクする。三度目はさすがに無視したら駄目な気がした。
「エ……ル」
ゆっくりと振り返ると、エルはほっとした様子で微笑んでいた。相変わらずキラキラ光線の幻覚を背負っている。
くっ……!
これはこれでヤバ過ぎる。
不謹慎にも胸がときめいた。さっきまで怖い感じしかしなかったのに、この落差は何なんだ。
「良かった、ツェット。きっとここに来るだろうとは思っていたんですが、姿を見るまで不安でした」
「なんで私が……ここに来るって?」
「普通にわかりますよ」
あー……うん、そっか。
別に不思議ではないか。
曲がりなりにも敵討ちを終えた人間が、次はどこに向うのか。ちょっと考えれば簡単に予想できる。
待ち伏せされたと言うと語弊があるけど、期間バイトのういのサンの情報なんてあの街にもロクになかっただろうから、確実に会うのならこの方が早い。
「でもツェットは……僕には会いたくなかったんですよね。だから偽名を使って、他人のフリをしていたんでしょう」
「え」
「もちろん約束を破った僕が悪いんです。大口を叩いておきながら、肝心なときに役に立たなかった。君が怒っても仕方がない」
「え……いや、ちょっと待って」
しゅんと項垂れるエルの顔色に驚く。
沈み過ぎ! ソレ違うから!
私は凄い勢いで自分に起こったトラブルを説明せざるを得なかった。
六年前の帝国侵攻のとき辺境軍で一兵卒として戦ったけれど、乱戦の最中、崖から転落したこと。
運良く一命を取り留めたけれど、記憶喪失になり別人として生きていたこと。
つい先日エルと会ったのをきっかけに記憶を取り戻したけれど、混乱もあり名乗るのを躊躇してしまったこと。
誤解されないよう巧く話せたかな。不安だ。何しろ前世云々は話せないし、素性を隠した理由は大嘘だし。
「記憶喪失……」
事情を聞いて、さすがのエルも愕然としていた。気持ちはわかる。にわかには信じられないよね。でも、そこは本当なので。
「うん、まあ、証拠とか言われると困るけど」
「もちろん疑っている訳ではありません。ただ、ツェット、君にそんな辛い想いをさせてしまったのが、僕は……」
「いや、幸い親切なひと達に助けられて無事だったし、逆に記憶なかったから辛いも苦しいもなかったよ。それに……もともとエルのせいじゃないし」
慰めではなく、淡々と事実として言ってみる。エルの責任はない、と。
「私が弱かっただけだよ。身近なひとの誰も守れず、死に損なっちゃって……惨めだよね。けどさ、あの場にいなかったエルに責任を擦り付けるほど、恥知らずじゃあない」
「ツェットは弱くもないし、悪くないです。戦場で個人ができることなんて限られています」
「うん、それはエルもだよ。まあエルは英雄になっちゃったから、自分ならもっとやれたはずって思うのかもしれないけど」
我ながら狡い言い方だと思った。
エルの気持ちもわかるんだよ。程度の差はあれ、抱いている罪悪感はきっと私と同種のものだから。簡単に拭われることも軽くなることがないのも、心情的に理解できる。
「傲慢だと思いますか?」
「あー……そういうのとも違くて」
何だか余計にエルの表情が悲愴になって、私はちょっと焦った。やっぱり言葉選びを間違ってしまったみたい。
「エルがさ、私のせいじゃないと言うのと同じくらい、私もエルのせいじゃないと思っているってこと。むしろエルは国を救えるような一廉の人物になった訳で、充分責任を果たしてるでしょ」
精一杯伝えたけれど、エルは頭を振る。柔らかい髪が風に揺れた。
「僕は間に合わなかった。もっと早く、もっと強くなっていなければならなかったのに」
「何言ってるの。六年も前だよ? 若輩だよ。子どもと大差ない。国境から帝国を退けるのだって、何年もかかったの知っているよ」
「それも僕が無力だったからです」
「エルが無力なら、私はもっと駄目な人間になるんだけど。無力が悪いなら、私の方がずっと罪深いはず」
「ツェットは悪くない。命を賭してくれた。約束を守ってくれた。なのに僕は」
「だから、守れていないんだよ。結局さ、私は何もできなかったの」
「違います。ツェット、君は悪くない」
エルは暗い顔つきのまま何度も首を振って否定する。まあちょっとね、予想はしていた。
故郷が滅ぼされて六年、積み重なってきた想いをたかだか幼馴染みの一言でどうこうするのは無理っていう。
敵を撃退しても――他の誰を助けても、エルの胸中にある救えなかった故郷という名のしこりは消せないんだろう。
ただね……どうにもね、うん。
スッキリしない。
あーもう、何だかな。
まったくスッキリしないじゃん。
私とエルは幼馴染みと言えど今は立場が違うから、今日サヨナラしたら会う機会は殆どなくなる。それは仕方ない。
え、このまま?
お互い罪悪感を引き摺ったまま?
こんな蟠りを残したまま?
気まずさを解消できないまま?
うん、嫌だ。
凄く嫌だなと思った。私はまだしも、エルが一生過去に囚われて生きるのはどうよ?
帝国の脅威が去ったとしても、エルは国の中心で活躍を続けていく。アウムラウト姫との輝かしい未来もある。ちょっと寂しいけど、次代を担っていく人間は振り返っちゃいけないんだよ。
押し付けがましいのは承知のうえで考える。
たとえば私が――主人公の初期のライバルが、彼にしてやれることは何なのか。
「エル……エル、あのさ」
「? はい」
「……いきなりだけど、お願いがある」
「お願い?」
「うん、そう。あのね……言い難いんだけどね、今からさ、私と勝負してほしい」
思いつきを口にしながらも、私は切り出し方に迷った。唐突過ぎて、案の定エルは戸惑っている。
「勝負? ツェット、それはどういう……」
「……私たち、昔はライバルだったよね」
「ツェット?」
一歩下がりつつ短剣を取り出すと、エルは瞠目した。混乱している。当たり前だ。
「一度だけ、手合わせしてほしいんだ。勝敗は、そう、相手に一撃を与えたり、ちょっとでも傷をつけたりした方が勝ちで」
ひと呼吸置いて、私は続けた。
「自分のせいだとか誰かのせいじゃないとか、お互い言い合っていても不毛だし、意味ないでしょ。今更戻れやしないのに。そうは思わない?」
「だからと言って、何故……」
「私もエルも、自分が悪くて相手に責任を負わせたくないんだよね。平行線。それならいっそ、タイマン勝負して負けた方が主張を引っ込めるのはどうかと思って」
「……は?」
意味がわからない、とエルは呆けたように後ずさる。詭弁もいいところだったと知っていたけれど、私はエルの返答を待たなかった。
「勝った方がここの墓守りを引き受ける。そういう勝負をしよう」
「待ってください、ツェット――」
「待たない」
私は短剣を鞘から抜いた。
そして、エルに真っ直ぐ向かう。
――無謀にも。
+++++
勝算? さてね。
真っ当な対戦なら、私が瞬殺されて終わり。そんなことは百も承知だった。
「っ……ツェット!」
エルは即座に私の攻撃を避けた。
力量の差は歴然だ。
だから彼自身は剣を構えたりしない。
「止めてください。僕に……君を傷つけることができると思っているんですか」
「思っていないよ」
「な……」
「エルは優しいから、女子どもに手を出せる訳がない。友人なら尚更ね」
卑怯極まりない回答は、エルを絶句させた。
ホントごめん、こんな非道な手段が作戦なんだ。勝負を持ち掛けた私自身、エルが本気で戦わないと信じている。手出しできるはずがない、と。
主人公の初期のライバルが機能していたのは、子ども時分だけの話だった。男女の別もない、才能の差もあまり問題にならなかった幼少期に、対等な時間を共有した。私の価値はそれに尽きる。
最早今や非力な女性――守られるべき存在である私は、彼の攻撃対象になり得ない。
ちょっとの傷、或いは僅かな打撃を食らわせて、エルが適当に勝つのは簡単だ。でも多分やらない。そんなあっさりと自分のポリシーを曲げられるなら、最初から苦悩はなかっただろう。
そんなの認めない?
構わない。最初から相手の納得は不要かつ無用だった。どんな方便を使っても、エルが過去より未来を向いていくきっかけにさえなれば、別に何だっていいんだ。
「それにさ、一度くらい勝たせてよ」
私は未だ困惑したままのエルの懐に飛び込む。
握った短剣の刃が煌いた。




