3.主人公と無茶なライバル
漫画の中のワンシーンを思い出す。
多分、終盤くらい。
主人公のエルと宿敵の皇太子レシュが対峙し、タイマン勝負するところだ。もちろん互いの生命をかけて。
『英雄気取りも大概にするがいい』
傲慢な皇太子レシュは、上から目線で告げる。国力の差もあり、出自も違う。帝国の世継ぎがエルを軽く見ていても仕方がなかった。
『何故わからぬ。我が属国となった方が利が生じると。貴様とて我が配下なるのであれば、今より余程マシな待遇を約束してやろう。諦めて我がものになれ』
『……貴方には理解できないんですね』
もちろん甘言には乗せられず、エルははっきりと首を振る。むしろ口調には呆れが含まれていた。
『他人の大事なものを踏み躙って平気な人間に、誰が唯々諾々と従うものか』
『大事? 王国が、か。それとも姫か?』
くく、と皇太子レシュは鼻で嗤った。
『あんな小娘に興味はない。まだ手を付けてもおらぬ。何なら払い下げてやっても良いぞ』
誘拐同然にアウムラウト姫を帝国に連れ帰ったにも拘らず、冷酷過ぎる物言いだった。
自分以外、帝国の都合以外は考えていない。
義憤と愛する者のために戦うエルとはまったく異なる。相容れない宿敵同士は睨み合った。
『やはり……わからないのですね。貴方のような方には永遠に。憶えているかは存じませんが、貴方は私の故郷を壊した。大事なひとを奪った。許し難い事実です』
このとき、普段は穏やかさを保っていたエルが、作中で初めて怒りの感情を露わにした。
『何だ、私怨か』
『ええ、私怨です』
両者は剣を構える。
殺し殺される未来しか、そこにはなかった。
『死ぬがいい、皇太子レシュ。かつて貴方が奪った同胞の生命と同じように、貴方の生命は僕がいただく――』
決着がついたかどうか、前世の記憶は曖昧だった。もしかすると完結する前に、自分が死んだのかもしれない。
それは王道だけど古臭くて、打ち切り寸前の漫画だった。絵は上手くて綺麗だったから、今も現実とキャラとが照らし合わせられる訳だけど。
懐かしくも厭わしい。
まさかその世界に転生するなんて、当然ながら想像の外だった。ていうか未だに信じ難い。
だから現時点ではこの記憶が役に立つのか無駄になるのか邪魔になるのか、私にはまるで判断がつかなかった。
◇◇◇◇◇
午後遅い時間、やっと解放されてフリーになった私は、仕事もそこそこに切り上げて、とある店に寄った。
エルは何故かしつこく私と居たがって、ちょっと困った。例のあの男のせいだよね、やっぱり。
あれは……昼間通り向こうで見かけたのは、お忍びでやって来た敵国の皇太子レシュだ。見失っちゃったとはいえ、豊穣祭の人出に紛れて、街に滞在してるのは確かだった。
レシュは冷酷で支配的で傲慢で、帝国の版図を拡げることに熱意を燃やす、如何にもな敵キャラクターである。超絶美形なのは認める。エルとはまた異なるタイプで、女性には人気がありそう。
だからエルへの誤魔化しでもそう告げたけど、頭悪そうな軽い感じが却って心配させてしまったんだろうな。要注意人物に無警戒で接近しそうな顔見知りがいたら、人として気に掛けるに決まっている。
奴の正体を知っている私は、もちろん丸腰で相対なんてしない。エルの懸念は杞憂だ。
……と正直に白状する訳にもいかず。
雇い先に報告が……とか何とか言って、どうにか撒いた。入り組んだ街の地理は、当然に私の方が詳しいからね。
そして立ち寄った店で数点商品を購入し、バイト仲間が詰める事務所にもちゃんと戻ってから、いったん宿舎の寝床部屋に帰った。
期間バイトだから相部屋(というかタコ部屋)必須の劣悪環境だったけど、幸い他に誰もいなかった。ほっとする。
私は荷物の中から購入品を取り出した。
何の変哲もない――短剣である。
さっき行ってきたのは武器屋だ。
昔とった杵柄とはいえ、剣を持つのは久々で緊張する。女の細腕じゃあ重量のある大剣は振り回せないので、軽めの武器を買った。ブランク長いからなー。扱えるかなー。
着替えてから、姿見の前で、その短剣を使ってとりあえず髪を切った。切れ味は悪くない……かな。
鏡に映った自分の姿は、短髪になると思ったより以前のツェットの面影がある。スカート姿だから、さすがにもう男には見えないけどさ。
六年前、辺境軍にいたときを思い出しながら、短剣を構えてみた。まあまあ様になってる。服装もそこまで動き難くはない。
ちょっと考えてから、カッコつけて素振りをして、剥き出しの刃をベッドの枕に突き立てた。破れた箇所から勢いよく蕎麦殻が溢れたので、慌てて手で掴んだ。
あー……マズイ。これ備品壊したと言われて弁償させられるよね。ううむ、そのくらいの損失は仕方ないか。必要経費と考えよう。
「さて、行くか」
気合いを入れる意味で、私は声を出した。
誰も聞いてないから完全に独り言である。
「……記憶なんか戻らないで、前世のままでいられたら、こんな感情とは無縁だったのにね。皮肉だよ」
けれど鏡の中にいるのは紛れもなくツェットとしての自分だ。悔恨も憎悪も今世の私が抱いたもので、前世とは関係ない。
それでも前世の記憶があったのは幸いだった。客観的な視点がある。ツェットでしかなかったら、行動も選択もやっぱり今の自分とは違っていた。
無茶だというのもわかってるけどね。
こんな小さな剣ひとつで何かできるなんて、前世と今世、どちらの私も楽観視していない。
「大丈夫。怖じ気づくな。私はこれでも、主人公の初期のライバルなんだから」
+++++
ヤツの滞在場所はすぐわかった。
何しろ今回の仕事はお祭りの観光客向けガイドだ。バイト仲間から情報をリークしてもらえば一発だった。
お忍びスタイルとはいえ、あれほどの美形がその辺を歩いてたら目立つに決まってる。女の噂好きを舐めんな。
少し裕福な層が使う宿屋の前まで、怪しまれないようゆっくりと歩いて辿り着く。
セキュリティは大したことないと思っても、正面突破はリスクが高いので躊躇する。聞いた限りでは、祭りの当初から滞在していて、夜な夜な出掛けているらしいから、待った方が良さそう?
悩んでいたら、物凄いタイミングで契機が訪れた。こちらの狙っていた相手が――帝国の皇太子レシュが、宿屋から出てきたのだ。
見間違えるはずもない。
二次元でも三次元でも視覚的イメージは同じだ。エルもそうだった。主人公とその宿敵は、どこにいても存在感を放っていた。
当事者たちが自身をどう認識しているかは知らない。こうも無防備に彷徨いてるところを見ると、意外と無頓着なのではと推測する。
皇太子レシュは周囲を警戒する素振りもなく、淡々と夜の街を歩き出した。
もちろん、周囲に護衛はいる。
ただし距離を取っている者も含めても十人かそこらなので、身軽過ぎると言っていい。
まあ敵国に潜入してる身では、あからさまに配下をぞろぞろと連れて歩けないだろう。逆に考えれば、私のチャンスはそれしかなかった。
私はさり気なくヤツを追った。夜でも賑やかな大通りを抜け、路地に入る。
時折、街中で遭遇する顔見知りに、なるべく自然な感じで話し掛けた。二言三言交しつつ、対象を見失わないよう注意する。
バレてるかな。バレてないかな。
……わからない。
所詮は素人の尾行だし。昔はそういう訓練も受けた気がする。実戦で使えるかと訊かれると、うーん微妙。
皇太子レシュと随伴の家来は、どんどん人通りが少ない方へと向かっていった。
逃げられてるのか、誘い込まれてるのか。
いきなり斬り付けられる虞は……まだないと信じたい。敵国内で派手に殺人するのはリスキーでしょ。
それに、あちらさんが把握してるかは知らないけど、この先は袋小路だ。この街は古いから変な裏道が多い。
曲がり角で、私は壁の影から様子を窺った。
多分、そろそろ――。
「……そろそろ、姿を現したらどうだ?」
唐突に、低い声が響く。
向けられているのは……私だ。
「何か用でもあるのか?」
「――……」
落ち着いたトーンで、その男――皇太子レシュは不審な尾行者である私に問い掛ける。
まだ事を荒立てたくないと思ってるみたい?
だったら、ここは演技の見せどころだ。
「あの……私は、その」
おずおずと、恥じらう乙女のような動作と表情で、私は彼らの前に出た。
「……女?」
「えっと、すすすスミマセン。私、あの、お見掛けしたときから素敵な方だなって。それでお近づきになりたかっただけで。ごめんなさい、決して他意は」
何というか、あからさまなストーカー宣言があまりに胡乱過ぎて我ながら苦笑しかない。
アホっぽくていいのだ。
頭の弱い、浮かれた地元の女と見做されれば。
悟られない程度に歩を前方にずらしていく。
ヤツからは蔑みの視線が降ってくる。
警戒は解かれていない、が……。
「くだらぬ。立ち去れ」
予想通りの科白を吐かれ、私はびくりと肩を震わせ、脅えた風を装った。
「ご、ごめんなさい……」
しおらしく、落胆を見せる。
そうして踵を返す――フリをした。
「……………」
間合いは詰まっている。
後は――瞬発力の勝負だった。
「!!」
明らかに相手の意表を突く形で、私は踏み込んだ。そして隠し持っていた短剣を振るう。
「……ッ」
当人も、護衛連中もさすがに素早かった。
鉄同士の摩擦音が空気を裂く。
ちっ、やっぱり阻まれた。
体勢を崩しながら、私は後退した。
「女、貴様ッ」
「何処の刺客だ!?」
「ご無事ですか、殿下!!」
反撃を食らいそうになったけど、紙一重で躱す。うわぉ、昔とった杵柄スゴイ。ちょっとは身体が覚えてるらしい。
「お前――」
皇太子レシュが一瞬、瞠目する。
そりゃあそうだろう。嫌でも勘付いたはずだ。私の後ろに集まる人々の気配に。
「!?」
何事か、とこちらを窺う視線がいつの間にか増えている。よし、このタイミングしかない。私は背後に向かって声を張り上げた。
「気をつけろ! 帝国の侵入者だ!」




