うけつがれるもの (キュノスーラ 作)
見つけた。
崩れ落ちた《甲虫》生産プラントの瓦礫の隙間、燃え続ける火と真っ黒な煙のあいだに、白いもの。
見慣れた白髪頭。
「エイリーク!」
赤毛の女戦士は夢中で駆け寄り、少年の体を抱き上げた。
その耐えられないほどの軽さに、涙が噴き出した。
いまや頭の上半分をのぞく全ての部分が《竜》を思わせるかたちの深紅の《鎧》に置き換わったエイリークの身体は、まるで、中身が空洞のおもちゃのように軽い。
プラントを稼働させていたエネルギーを喰って巨大化し、3000体の《甲虫》を殺し、この凄まじい大破壊を引き起こした紅の巨人――
それが、今、腕の中にある体なのだとは、ほとんど信じられなかった。
「エイリーク!」
風が吹いている。
炎と毒の煙の及ばない場所まで走った女戦士は、少年の体を地面に下ろし、自分の防護マスクをむしり取るように外して叫んだ。
「死ぬんじゃないよ! あんた、約束したじゃないか!
あたしとあんたで、一緒に《箱舟》を探すんだろうが!」
閉じられていたまぶたが震え、開いて、青い目が彼女の顔を見上げた。
『イーリア』
《鎧》の構造が生み出す、元の彼の声にいくらか似た音声が響いた。
《竜》に似た、牙のある大きな口が開いた。目が細くなった。
エイリークは、笑おうとしているのだ。
『ごめん。僕は、もう、もたない。
《鎧》が、そう言ってる。
僕を完全に取り込んで、休眠に入り、次の宿主を待つって』
遠い昔、一人の魔術師が、この世界の王になろうとした。
彼は、多すぎる人間がこの星を駄目にしていると思い、人間を減らすために、たくさんの怪物を生み出して世界中にばらまいた。《竜》や《泥人》、そして《甲虫》――
だが、魔術師たちの中には、人間を守ろうとした者たちもいた。
彼らは、怪物と戦う無敵の戦士を作った。
それは、人間に寄生する《鎧》。
吸収したエネルギーに応じて巨大化する。
宿主の失われた肉体を補完し、「寿命」のリミッターを外し、宿主が経験する無数の戦闘のデータを蓄積し続ける。
宿主の肉体がほぼ完全に破壊されてしまえば、《鎧》は次の宿主を探し、再び寄生するのだ。
次の宿主は、《鎧》を通して前の持ち主の「経験」を共有し、さらに強大な戦士となる――
「何を言ってるんだい!
あんた、まだ顔があるよ、大丈夫だよ!
あたしと話してるじゃないか! ちゃんと、意識がある!
心があるじゃないか!」
『これは、僕の、心なのかな。もう分からないよ。
だって、僕の名前、エイリークじゃないんだ』
「は?」
涙を流しながら、イーリアは呆れたように笑った。
「何を、言ってるんだい!
あんたは、エイリークだよ! しっかりしなよ!
――そうか。分かった、あんた、腹が減りすぎてるんだ。
また、二人で酒場に繰り出そうよ。
がっつり食って飲めば、頭もはっきりするさ。だから……」
『君に、言わなかったことがあるんだ』
そう言って見上げてきたエイリークの青い目は、遠く澄み切り、輝いている。
まるで伝説にうたわれる、旧世界の空の色のように。
『僕、もう、250年も生きてきたんだ。
自分の名前は、ずっと前に忘れたんだ。
エイリークは、この《鎧》の名前なんだ――
ねえ、イーリア、僕のお願いを聞いて。
この《鎧》を、君が受け継いで。
そうすれば僕は、この《鎧》の一部になって、君とずっと一緒にいられる。
君が《箱舟》を見つけてくれたら、僕は、君と一緒にそれを見られるんだ――』
「そんな……何を……何を、言ってんだよ!?
《箱舟》なんてくそくらえさ……あたしは、やらないからね!
あんたが、やりなよ! 生きて、あんたが!
あんたの夢だろ! あんた自身が叶えずに、どうするんだよ!」
『僕の夢……』
膨大な記憶の奔流の中から、砂漠に建つ壮麗なドームの映像があざやかに浮かび上がる。
銀と、白。
太陽が照射する強烈な毒の光を敢然と跳ね返し、収蔵された旧世界の生命を守り続けている。
どこなのだろう。
じぶんは、あれを、どこで見たのだろう。
『大戦で、荒廃した、この星……
もう一度、緑に……よみがえらせる……
《箱舟》の扉を開いて……あの場所……君、と』
「エイリーク! エイリーク!」
『僕は、もう忘れちゃった……イーリア……お願い』
君が、思い出して。
ふたつの青い目がイーリアの顔を通り越し、遥か遠くに向いた。
次の瞬間、《鎧》の深紅の鱗のことごとくが、音を立てて逆立った。
ばきばきと音を立てて内向きに丸まり、全体が縮んでゆく。
少年の青い目と白髪頭にも、深紅の鱗が食い込む。
骨と肉を砕き、巻き込みながら収縮してゆく。
わずかな血が飛び散り、イーリアの頬にかかった。
やがて、全ての動きが止まったとき、そこには一つの《卵》が転がっていた。
深紅色の表面はおそろしく滑らかで、くぼみや罅ひとつなく、技術の粋を凝らして研磨された鉱物の玉のようだった。
言葉や、笑顔や、生命の気配は消えて、ただそこに転がっているだけの、モノのようだった。




