【未知のニンジン】 (梨鳥 ふるり 作)
それはとろみが舌に優しく纏わりつきます。よくなめされたとろみです。舌の付け根が、きゅんと泣きたくなる味をしています。耳の下を指でそっと触り、下降させて下さい。首だか顎だかのその辺りに、脈打っている所があるのですが、ここの奥が幸せになります。第二の心がここにあると、私は信じています。
そしてとろみは魔法の様にさらりと変わり、喉をくすぐりながら通ります。その時、喉に味覚が覚醒し、驚く事になります。喉はあまりの美味に、それを飲み下したがりません。
窒息して死ぬかも知れないので、ここは落ち着いて飲み下さなければならないのですが、死んでも良いかな、と、私と喉は思うに違いありません。身体の全機関が、その行為を許す筈です。
さぁ、消化器官の事は良く解りません。ただ、心がきっと、叫ぶでしょう。それを身体に取り込んだ素晴らしさに、舞の一つでも踊るかも知れません。(実際のところ、身動き一つ取れずにいるのは分かっているのですが、ここは見栄を張らせて下さい)
それはそれは、きっと途轍もなく美味に違いないのですが、私はそれを味わえない事を知っています。
『if』はいつだって『if』です。
* * * * *
私の『if』に似たものは、この世にたくさんあります。
初めは与えられていました。美味しかったです。何度も何度も味わいました。
いつしか自分で選ぶようになりました。そうして人には好みがあるのだと、自覚するのです。そして発します。『これが好きです』と。
なんでそんなものが、と、時に笑われ、時に思わぬところで共感を得、私は新たなそれを探し求めます。
ある時、なにかが足りないと餓えた気分に焦りました。
濃い味過ぎたり、嘘だろなんでこの具材にアレが無いんだよとなったり、焼き過ぎだったりと、まぁ、色々不都合がありまして、与えられるそれらでは満足出来なくなったのです。
これは不幸な事の様に思えました。
探しました。探し続けました。財産を投げ打って着の身着のまま。
しかし存在する筈の素晴らしい味は見つかりません。
そして気付きました。
そんなものは無いと。
在るとしたら、目と目の間に浮かぶそこに在ります。
そのままでは食べられないので、作らなくてはなりません。
なので、面倒臭いのですがお料理します。とっかかれば割と楽しい作業です。
けれども晴れて出来上がる頃、とても悲しくなります。
料理の腕とかそういう次元の話ではありません。
自分で作ったものは美味しくないという法則と、一生懸命お料理した後、何故かお腹がいっぱいになっている『おかしいな……お腹減っていたのにな』という魔法が、私を悲しくさせるのです。法則と魔法には勝てません。
出来上がったものが、勝手にお皿に乗ってやって来れば良いのに。
何が出てくるのか、ドキドキして銀の蓋を取り、どんなに好みの味かを知らないまま、わくわくしてスプーンで掬う……ああ、バットで殴られない限り不可能です。私はバットで殴られたくはありません。
ですから私は、まだ見ぬ『if』を夢見るのです。
そこに完璧があり、私だけが愛してやまない究極の味があるのです。
永遠に未体験の味が、目と目の間に、いつも美味しそうにぶら下がっています。
まるでニンジンを追う馬です。
馬はニンジンに前脚が届いたら、走らなくてよくなります。
しかし走らない馬は頓馬です。
私は世にも不幸な、幸せ者です。




