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【習作】描写力アップを目指そう企画  作者: 描写力アップ企画管理者
第三回 妄想お食事会企画(2017.11.25正午〆)
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果実の贄 (Veilchen(悠井すみれ) 作)

残酷な描写があります。

 紅く小さな唇が、蜜で濡れて妖しく輝いている。


「美味いか」

「ん、んまぁ」


 彼の問いかけに、()()は舌足らずに答えた。焼き菓子に、桃を氷砂糖に浸けた蜜をたっぷりと塗ったものだ。口に入れれば、熟した桃を頬張るように、噛むまでもなく甘い蜜が染み出すはず。果実の爽やかな香りを蜜に残すのは至難の業で、彼の腕の見せ所だった。


「こら。汚れるぞ」


 匙も添えてやったのに、手掴みで食べるのが良いらしい。その食べっぷりは嬉しいが、高価な薄絹の衣装に蜜の染みができるのは良くない。


「うぅ、やぁ」


 とろみのある蜜が、それの頬や唇をてらつかせるのも。強請るように唇を尖らせるのも、菓子をもっと、と強請っているだけなのに。()()を相手に、劣情を抱くのは絶対に間違っているのに。

 甘い香りが彼の脳を痺れさせる。桃や砂糖が発するのだけではなく、これ自体が纏う芳香だ。


 艶やかな黒髪。大きくつぶらな目。ふっくらとした頬。どう見ても人間の子供――それもこの上なく愛らしい童女としか思えないのに、これは世にも稀なる食材なのだという。信じがたいが、誘うような甘い香りが何よりの証だった。




 食材を育てよ、との依頼が来た時、彼は最初気分を害した。彼は料理人だから、筋違いのことだと思ったのだ。だが、依頼人の美しい女は彼の渋面を涼やかな声で笑った。


「手を掛けた食材ほど美味い、と言うだろう? ()()は愛情を糧に育つ果実のようなもの――そなたの腕によりを掛けた()で育て上げておくれ」


 そして引き合わせられたのがどう見ても可愛らしい子供だったから仰天し――それでも人ではあり得ない芳しい香りに丸め込まれるように、彼は務めを続けている。


 肉や魚は少なく、新鮮な葉物を中心に。与えるのは様々だったが、()()が好むのは何といっても甘い果実や菓子だった。目を輝かせて甘味を貪る姿は特に愛らしく、彼も笑顔が見たいと腕を振るった。愛情を糧に育つと言われた通り、()()は日々芳しく育ち、彼に懐く風さえ見せている。


 強請られるままにより甘い菓子を拵えながら、彼は迷う。依頼人は本当にこれを食するつもりなのか。――そんなことが、許されるのか。




 無理に着せた召使いの服を、それはひどく煩わしがっているようだった。普段着せられているのは、高価とはいえ下着のような衣装だから。その姿もまた、彼を煽って仕方ないのだが。


「静かに。後で菓子を作ってやるから」

「うぅ、きゃあ」


 菓子と聞いて喜ぶ知性はあるのが恐ろしく、しかし一方で希望だった。普通の服を着せてきちんと言葉を教えれば、これも人の子として生きていけないだろうか。人の形をして彼を慕う、しかも愛らしい者を食するなど、彼の心が耐えられない。

 だから新月の闇の中、密かに手を引いて逃げようとしたのだが――


「どこへ行く? 独り占めしたくなったか」


 闇に白く浮かんだ美しい顔に、彼は情けない悲鳴を上げた。依頼人が、氷の刃の目で彼を睨んでいる。


「ち、違う! この子は人間だから……逃がしてくれ!」


 なけなしの勇気を奮って訴える――と、意外にも女の表情が和らいだ。


「なるほど。情が深いこと……良い餌だ」


 咎められると思いきや、異様なほど優しい声に美しい笑みが不審で、問い質そうとする――が、叶わない。


「きゃあっ」


 ひどく嬉しそうな嬌声と、激しい痛みのために。その源を慌てて見下ろせば、信じがたい光景を見ることになる。


 愛らしい子供が、菓子に齧りつく時の笑顔で彼の手首に噛みついている。菓子ばかりを食べていたのに歯は鋭く、彼の手首を半ば食いちぎっていた。熱い血が傷口から噴き上がり、頬に注ぐ。


「んまぁ」


 傷を熱い舌が啜る感触を最期に、彼の意識は途絶えた。




 白い手が品よく匙を握って薄白くぷるりとした軟糖(ゼリー)を掬っている。


「美味いか」

「うん、美味い」


 女の問いに笑顔で答える()()は、幾らか成長していた。言葉遣いも明瞭で、教えていない作法も完璧だ。身を顧みず助けようとした料理人の、情愛の賜物だろう。血と内臓はあらかたあの場で食われてしまったが、脳は器に盛りつけることができた。


 食材の仕上がりに満足の吐息を漏らしながら、女はそれの髪を梳いた。


「またいずれ食わせてやろう」

「ん」


 糧になる愛情とは、単に掛けられる手間暇のことだけではない。心から向けられる愛情こそが、これを完全に熟させるのだ。攫おうとする者や犯そうとする者――これまでの世話人は害虫ばかりだったが、やっと良い食材が現われてくれた。


「っ痛――」


 悦に入って油断していれば、指先に痛みが走る。果実が、いつの間にか女の指をしゃぶって歯を立てていたのだ。いずれは食ってやるという愛着までも食おうとするとは貪欲なこと。それも、有望ではあるのだが。


「早く熟せよ……」


 涎と血で塗れた指を拭いながら、嗤う。早く次の世話人を見つけなければ。

2018/05/23 作者名変更のため更新

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