ふたりの誕生日 (Veilchen(悠井すみれ) 作)
こういうライバル、こういう戦いもあるよね、と思って書いてみました。
柳貴妃様が宮のお庭を早足で歩いておられる。同じところをぐるぐると、麗しい方にとてもとても無礼な物言いだけど、お腹を空かせた熊のように。細い眉をきりりと吊り上げて、薄絹の衣の裾を蹴立てて。黒曜石の瞳もぎらついて、咲き乱れる牡丹の花も、そよ風が池の水面を揺らすさざ波も、お目に入っていないみたい。
「貴妃様、もうお休みくださいませ!」
艶やかな黒髪が踊る主の背に、春は必死に呼びかけた。すらりとした貴妃様は、おみ足もすらりと長くていらっしゃる。ちんちくりんの春が追いつくには、小走りどころかかなり本気で走らなければ間に合わない。
「いいえなりません」
息を切らす春に対して、貴妃様のお声は常と変わらず凛々しく涼やかだった。いえ、少し焦りや苛立ちが滲んでいるかしら。でも、何もかも美しい方だから、聞き苦しいことなんて全くない。思わず頷いてしまいそうになる威厳もいつも通り。でも、今に限っては。春だって貴妃様に楯突かなければ。そのために、勇気をかき集めないと。
「でも、大事な御身ですのに!」
貴妃様のお腹は、満月のように大きく丸く膨らんでいる。皇帝陛下の御子様が宿っていらっしゃる。ご懐妊が分かった時に、陛下も貴妃様もどれだけ喜ばれたか。今日までどれほど大切にお腹の御子様を愛しんでこられたか。春もよく知っているだけに、気が気ではいられないのだ。
「だからこそ。この子は陛下の最初の御子でなければなりません。沈の女狐が先に産気づくなんて何ということ……!」
沈貴妃様も陛下のお妃のお一人で、ご懐妊中。でも、それが分かったのは柳貴妃様の後だった。だから、春の御主人も安心していらっしゃるようだったのに。
涼やかな美貌の柳貴妃様に対して、沈貴妃様は香る花のような柔らかい美しさ。ご気性もおっとりしていらしゃるそうだから、女狐なんて呼び方は似合わない。でも、それを言っても柳貴妃様の御不興を買うだけ。だから春は聞こえなかったことにした。
「ええと……でしたら沈貴妃様は早産でいらっしゃいますわ。柳貴妃様の御子様の方がお身体も大きく丈夫で、健やかな御方になるに違いありません」
「陛下は優し過ぎる御方。弱い御子を気遣ってあちらに多く通われてしまうかも」
沈貴妃様に心の中で謝りながら。春が捻りだした理屈は、柳貴妃様に一蹴されてしまった。やはりこの方はとても賢い方。召使いの小娘が考えることでは太刀打ちできない。
「でも、皇子様とは限りませんし。公主様かも……」
「ならばあの女に似て媚びるのが得意になるでしょう。あのようにはっきりしない態度を好む殿方もいるそうですし。わたくしの子がどちらかは分からないけれど――最初の御子という立場だけは譲れません!」
ああ、やっぱり聞いてくださらない。泣きたい気持ちになりながら、春は懸命に貴妃様に追い縋った。
柳貴妃様と沈貴妃様は、いつもこう。ご実家のお力も、お年頃も、陛下に召された頃も皆同じ。それぞれに種類は違うけど、この世のものとは思えないお美しさも。だからお二人とも何かと張り合って。
あちらが花の宴を催せば、こちらは月を見る会を。柳貴妃様が異国の珍しいお酒を献上すれば、沈貴妃様はご実家の倉から百年寝かせたという古酒を取り寄せて。衣装も宝石も、万事がその調子。陛下はお妃たちのお美しさと諸々の趣向に大変満足なさっているから良いのかしら。
でも、御子様が生まれる順番まで争うなんて。どの道同い年になるというのに、ごきょうだいで仲良くされれば良いと思うのに。
沈貴妃様に先んじて御子を産み落とすため、陣痛を起こすため。柳貴妃様がお庭を歩き続けてもう半日。背筋は変わらずすっと真っすぐで足取りも確かでいらっしゃるけど、お疲れになっていないはずがない。
「どうか……」
聞き届けられないことを承知で、春がまた声を上げようとした時だった。
「痛っ……」
貴妃様は抑えた呻きと共に、足を止めてその場所に蹲ってしまった。お腹を抱えたその姿に、春も慌てて駆け寄って衣の袖で貴妃様の汗を拭って差し上げる。
「貴妃様、まさか――」
「ええ、始まったようです」
初めての痛みに顔を歪めながら――それでも心から嬉しそうに微笑んだ柳貴妃様は、震えるほどにお美しい。早く人を呼ばなければ、と逸る春でさえ、一瞬頭が真っ白になってしまうほどだった。
「――お医者様を、早く!」
やっと我に返って、叫ぶ。貴妃様のご様子を固唾を呑んで見守っていた宮の者たちも、慌ただしく動き始める。
侍医たちに手を借りて産屋へと向かわれる貴妃様を見送りながら、春は両手を胸の前で握り合わせた。どうか元気な御子様がお生まれになりますように。それに、できれば沈貴妃様より早く。あの方が御子の誕生を、心から喜べますように。
初産は時間が掛かるものと、春だって知っているけど――でも、柳貴妃様のご気迫なら、少しの遅れなら取り戻してしまわれそうだった。
2018/05/23 作者名変更のため更新




