落日のディーランドジア (七ツ樹七香 作)
<作中の用語について>
尼寺:修道院的なものをご想像ください。
※本作は作者ページでも加筆して公開予定です。
カアン、カアンと鐘の音が、十重二十重に鳴り響く。
ザン、ザン、ザザン——。
荒野。そろいきった長靴の足踏み。
手にした武器を天にかかげ、万の兵士の、地鳴りのような鬨の声。
「我らは鷹、猛き鉤爪!」
「我らは獅子、みがかれし牙!」
南北に陣取る二つの軍勢が、ともに咆哮のごとき重なり合った気勢を上げる。
両軍のありようは、まるで合わせ鏡のようだった。
土踏み鳴らし、地を埋め尽くす兵士たち。
怒涛のその数、十万と十一万。
黒地に染め抜かれた深紅の鷹、蒼き獅子。
意匠を違えた二種の戦旗が、折からの西風にあおられてはためいていた。
蜘蛛の子のように蠢く将兵たちは、二百メルテの間合いを保って並び立つ。
噴き出すような戦意と熱気のその中心に、皇帝の使者が割って入る。
それを挟むよう、五〇メルテの間を取り、ひと筋の乱れもなく金髪を結い上げた長身の女と、風に吹き乱されるままの赤毛の男が向かい合う。
花模様の彫り込まれた薄手の甲冑と、蔦のからむ鷹を染め抜いた深紅の外套を背に着けて、ぐっと男をにらむ女は隻眼だった。
「戦神マリア!」
「闘将ガウェイン!」
鉄さびた匂いに煽られるように、口々に彼らは己の戴く将の名を高らかに呼ばわった。
国を割る戦い。その終わりは確かに近づいていた。
抜き身の大小の双剣を手に、戦神と呼ばれた王女マリアが紺碧の片目を眇めた。
その傷ついた美貌を、男が嗤う。
今しがた戦地から帰った風のマリアと裏腹に、男は雪白の官服の軽装だ。
ディーランドジアの狂王子。猛将と名高きガウェインは、暗緑色の眼光を鋭くして長剣をかざす。
戦いの合図の鏑矢が、高く晴天に向けて放たれた。
「マリア、片目を失い背に傷を負い、哀れな妹よ」
「我が兄は、父に弓引きし時。死にたもうた!」
矢の鳴き声が途絶えると同時、とぎすまされた短剣の切っ先が、西風を切って男の鼻先をかすめた。
男は不敵に笑む。紙一重のあざやかな身のこなしにも、マリアは眉ひとつ動かさない。
返すガウェインの一閃は大剣で受ける。
鍛え上げられた男の膂力が、剣ごしにずしりとのしかかった。
ニッと犬歯をみせて笑う男が、即座に剣を引く。
間合いには長居しない。女は短剣を、決して遊ばせたままにはしないからだ。
瞬息の打ち合いのたび、すみきった鋼の音がキーンと耳奥に響きわたる。
快いと思うほどの共鳴は、交わらぬ道に立つ兄妹を、迂遠に慰めるかのようだった。
『雌雄を決せよ』
彼らの間に下された詔勅は、簡素だった。
王国の承継。
半ば消耗戦になりかけた不毛な内戦を、どちらがどうでも構わぬものと、暇な皇帝が余興にした。
「王の眼は老いて曇った! いくさのほかに能無きマリア。戦いと死に憑かれた悪鬼を、戦神と祭り上げて戴くは罪。その穢された身体を恥じよ。尼寺に行け、父の御霊に寄り添うがいい!」
「かつての兄よ。父を弑し、民をなぶり、くらんだ目に映るはいかなる国か。二つ名のまま来し方の血だまりを見ずして、行く末を蒙昧に夢見るか! 『かの地』に生き、わが背を守る兵を見よ!」
ちらりと彼女の背後に目をやった男は、音が鳴るほど歯を食いしばり、がなるような叫びとともに、重たい剣を風鳴りさせて振り下ろす。
豪腕の一撃に、受ける紺碧の隻眼にも苦渋がにじむ。
だが瞬時の隙に男の長剣を地に逃し、体幹の揺らめきに右手の短剣の柄でしたたかに打撃を打ち込んだ。
息を詰めるガウェインに、霜剣の二撃で襲いかかる。
冴え渡る剣技は、傷深しといえど彼女から失われてはいなかった。
拮抗。
退屈そうな騎乗の使者の目の色が変わり――。
見世物をはやし立てるような将兵の歓声も、ひと打ちごとに凪いでいく。
打ち合い、打ち合う。
汗を散らし、つばを飛ばし、髪を乱して地を蹴った。
憤りも、嘆きも、誰にも届かぬこの地でふたり。
やがて——。
深閑が、兵の谷間に満ちていく。
息をのむ音を誰もが自身で聞くころに、一羽の猛禽が、空高くでひとこえ鳴いた。
屍の上に片足をつき、己の戦旗を掲げるときまで。
卑怯の名を着てもと、引き絞る矢も、剣で語らう彼らの間に入れなかった。
王はひとり。国にひとり。
そして一人が地を舐めた。
逆光に黒く縁どられる影。
夕陽を背に浴び、あわれな亡骸を踏みしだき、我が王ぞと、空に吠える。
そらした喉まで流れる涙も。
遠のいた日にはせる思いも。
届かず、独り。
高い空を——、鷹が一羽舞っている。
2019/03/24 作者本人ページでも同作品を公開予定のため、注を追記




