誕生日の魔法 (北瀬多気 作)
魔法そのものみたいな時間が訪れる。
おまじないのように、ルーシィは何度もささやいた。エメラルド色のテントをくぐると、月のない夜に放り出されたと錯覚するほどの暗闇が広がる。
「誰かいないの?」つぶやくと、闇の奥からくすくす笑う声が響いた。「やっと来た」
声は二つ重なっていて、やがて二人分の声の主が姿を見せる。
「ようこそルーシィ」
「今夜は月が綺麗よ」
ラベンダーのドレスを纏った双子がお辞儀した。それぞれ金と銀の髪飾りを揺らして微笑む。十三歳のルーシィより、頭一つ分小さい。十歳くらいにみえる。
「歓迎するわ」
双子のどちらかが言った。ドレスと同じ色の目を、心を見透かすように細める。
「招待状を見せて」
また、どちらかが言う。双子は同時に手を差し出した。ルーシィは真っ暗闇でポケットを探ると、満天の星空色のチケットを見せた。
「これは魔法のはねよ」
「終わるまでなくさないで」
チケットを返す双子から、かすかにバラの香りがした。それを嗅ぐと、ああ、本当に来たんだと実感する。祖母から聞いた話の通り――星空のチケット。バラの香り。妖精の双子。
「席へどうぞ」
「チケットはなくさないで」
念を押すように告げた双子に手を引かれ、ルーシィは席についた。すると、暗闇に浮かんだ双子の姿はみるみる遠ざかり、煙に包まれるようにぼんやりしてしまう。
「誕生日おめでとう、ルーシィ」
同時に声を響かせたあと、双子は見えなくなった。
パッ!と強い光が現れたかと思うと、琥珀色の帽子をかぶった小人が言う。
「誕生日おめでとう!」
それを合図に、闇はチケットと同じ星空に変わった。星々の光がルーシィを優しく包み込む。外から見たテントは、大人は十人も入らないくらい小さかったのに、今は終わりを感じさせないくらい広い。あの狭い町から宇宙に招待されたよう。
上品なバラの香りが空間全体に満ちている。琥珀の小人が仲間を引き連れて愉快な音楽を奏でる。不思議な色の鳥たちが飛びまわるそばで、音に合わせ踊っているのは、最初の妖精の双子だ。華麗にターンを決めると腰のリボンがひらひら舞った。その向こうでは、ルビー色の苺が敷きつめられたふわふわのケーキが用意され、森の動物たちがお茶会を始めている。
どこを見ても見たことないものばかり。とても綺麗だけれど、綺麗と表現するだけでは足りない。幼いルーシィが持つ言葉だけでは、この美しさは表せない。
ずっと見たかった、夢見た世界。
「誕生日おめでとう、ルーシィ!」
出会うすべての生き物が、ルーシィに祝福の言葉を贈る。幻想的な色のたてがみの白馬や、尻尾をくるくる回して空を飛ぶネコも。
十三歳の誕生日は、欲しいものがなんでも手に入る。
祖母の言葉を信じてこの日を待っていた。顔をしかめる母を横目に、夢が叶う日を待ち望んでいた。招待状が届くと、祖母は「楽しんでおいで」と微笑み、母は「恐ろしい」と吐き捨てた、特別な日。
「魔法使いになりたい」
不意に背後から、歌うようにささやかれた。びっくりして振り返ると、ルーシィと同じくらいの歳の少年が、優しい目を向けていた。顔を見てルーシィはもう一度驚く。妖精の双子も、琥珀の小人も、ここにいる人はみな綺麗だけれど、少年は飛びぬけて美しかった。これほど美しい人を見るのは初めてで、つい見惚れてしまう。双子と同じ心まで見透かすように輝く瞳は、愛情を注がれたバラそのものの深紅色。
「夢じゃないよ」天使がいるとしたら、こんな声かしら――聞き惚れて返事を忘れそうになるルーシィに、少年はそっと手を差し伸べた。「ここは君の魔法で満ちている」
ルーシィは誕生日に、魔法使いになりたいと願った。狭い町から抜け出して、広い世界を見たいとも。
「魔法使いになれたの? なんでも叶うの?」
「心から望めば、すべて」
魔法使いになったら絶対に使いたい魔法があった。
ルーシィは少年の手をとり立ち上がった。踵の低い靴は輝くガラスの靴に。つぎはぎのワンピースは軽やかなヒスイ色のドレスに。地面を蹴ったら――宇宙を自由に飛んでいける。
ふわりと体が浮いて、誰より高い場所に飛びだした。未知の高揚感! このままどこまでも行ける気がした。世界の果てにだって。
とびあがって喜んで、叫びだしたい衝動に駆られた。ドレスのリボンを翼のように煌めかせ、どこまでも、どこまでも!
手を握る少年と目が合って微笑む。世界で一番幸せだと、胸を張って言える。
――あんなものがあってはいけない
ふと、母の低い声が浮かぶ。チケットを憎らしげに見る母の顔も。
――チケットは肌身離さず持っておいて
――チケットはなくさないで
母の声と、双子の声が同時に響く。そういえば、ドレスに着替えたあと、チケットはどこにしまったかしら。
「ルーシィ。誕生日おめでとう」
少年の心地良い声が、小さな不安をかき消してしまう。厳しい母のことは忘れて、今はただ楽しめばいい。誕生日の魔法は、まだ始まったばかりだ。




