夢のたまご (梨鳥 ふるり 作)
爽やかな五月、トネリコの木の根でたくさんの卵がプチプチ割れた。
たくさんの卵からは女の子達が産まれ出て、冒険の末にトドマツの木の根に落ち着いた。
女の子達は生まれた時からお腹に赤ちゃんがいたので、五月の末にその子達を産み落した。それからトドマツの為の、ほんのちょっぴりの養分になって消えてしまった。
その赤ちゃんのお腹にも赤ちゃんがいて、六月の末に生み落とし、その時期にやって来る大雨と一緒に何処かへ流れて行った。それらは、六月も七月も八月も繰り返された。
この頃辺りから、女の子達はトネリコの木が恋しくなってきていたけれど、生まれる度小さくなっていたので、道のりは長く険しく、空でも飛べない限りは無理な話だった。
女の子達は、遠くに小さく見えるトネリコの木を眺めては溜め息を吐き、トドマツの根に留まっていた。
やがて九月が終わりを迎え、新たな女の子達が生まれた。
その中で、ずっと生まれず十月の半ばに生まれた女の子が、フウだ。
彼女の母体は疲れ切って、皺しわになって風に飛んで行った。
「ごめんなさい」と、ヒラヒラ飛んで行く抜け殻の母体を見送りながら、それでも十月生まれが良かったと、フウは思った。
彼女達はフワフワの綿毛と小さな美しい翅を持って生まれて来る。フウは羨ましくって仕方がない。彼女達は美しいだけでなく、トネリコの木へ帰る事が出来るのだ。
けれども結局、生まれた順番が六番目であるフウは、本当の十月生まれ、特別な七番目の中、普通の女の子として育てねばならず、とても後悔をしていた。
フウは同じ日に生まれたスノーをチラリと見て、キュッと胸の中を窪ませる。
「良いなぁ、スノーは本当の十月生まれで」
「また言ってるの? 十月生まれは、もしかしたら男の子に生まれるかも知れないのよ」
スノーはフウにそう言って、木の根にボンヤリと座っている男の子を指差した。
十月にだけ生まれる男の子には、綿毛も翅も無い。それから口も。だから可愛そうに、食べる事が出来なくて直ぐに餓死してしまう。
フウは身震いした。十月に生まれる事が出来たとしても男の子は嫌だな。
「それに私達、お腹に赤ちゃんがいないんだから」
スノーはそう言って、フウの膨らんだお腹を撫でた。
フウは首を傾げてスノーの平たいお腹を見た。
「じゃあ、生まないの?」
「産むわ。見て」
スノーは笑って、男の子の方へ近寄って行く女の子を指差した。
女の子が男の子の前でフワフワの綿毛や翅を震わせて誘うと、男の子が急に目を輝かせて彼女に寄り添った。女の子も男の子も、とても幸せそうに恍惚の表情を浮かべている。
スノーはフウの手を引いてその場を離れると、言った。
「私達、卵をつくるの」
「卵」
「うん」
「スノーも卵を産むの?」
「うん」
フウは突然男の子を羨ましく思った。
こんなに綺麗なスノーと卵をつくれるのなら、物が食べられなくても平気かも知れない。ううん、もしかしたら胸がいっぱいで食べられないかも。だから男の子達は口が要らないんだわ。
フウはそう思うといてもたってもいられずに、次の日に男の子を生んだ。
そして、フウはスノーに落ち葉を被せて貰い、さよならをした。
スノーは珍しくめそめそ泣いて、嬉しい約束をしてくれた。
「あなたの男の子の卵を産むわ」
「嬉しい。ありがとう、スノー」
「さよなら、フウ」
「さよなら、スノー。私、あなたに生まれたかった」
カサカサ、と微かに落ち葉が鳴った。まだほんのり青い香りがした。
*
目を閉じると、輝く葉脈が瞼の裏に浮かんで眩しかった。
それが何か、フウには直ぐに分かった。
風に煽られ震えるスノーの翅だ。
トネリコの木は遥か遠く、風は気紛れだ。お腹には大事な卵。
ヒュウ、と風に煽られ、間違った気流に乗って飛ばされていく女の子達。
上手く真っ直ぐトネリコの木へ向かう事の出来た女の子達へ、容赦なく飛んで来る鳥たち。
それでも、スノーの翅にピッと力がこもった。翅が地面と水平になってピカリと光を滑らせる。
風を孕む為身体を覆う真っ白な綿毛を膨らませて、「来い」と、スノーの唇が動いた。
立ち込める様に風が吹き、スノーの身体はたちまち上空へ吹き上げられ、翻弄されては白くキラキラ光ってクルクル回る。儚い姿で必死に風を掴まえ、小さな日に輝く翅を力いっぱい震わせ飛ぶ、飛ぶ、飛ぶ。
トネリコの木へ、皆がたくさん入った卵を産みに。
―――どうしてあんなに簡単に羨ましがったのだろう。あんな勇気も無いくせに。
五月から九月の子供達の事、何の為に生きているのかと憐れんでいた。通過点なんて嫌だと怒ってもいた。
けれど、私達は春と夏を楽しんだ。あの楽しみの為には、五月に卵が割れなきゃいけなかった。
フウは恥ずかしくて、悔しくて、本当の最後にこう思った。
次は7番目を私がやります。必ず。
真っ白で儚い初雪が、優しく舞い始めていた。
*
トネリコの木の根に、小さな卵が艶々している。
それは、たった一つだけ誰かの夢が生まれる夢のたまご。




