咲き守(さきもり) (太ましき猫 作)
粟立ちが羽元を揺らすようだった。
コポリと内側から湧いてくる、コポリ、コポリ、湧き上がってくる。弾けるたびに広がる感覚に、何が起きているのかを理解した。
サキゾメが始まったのだと。
咲き守
世界には稀に、翼を持つ者が現れる。
彼らは空人と呼ばれ、その翼を以って世界の中心にそびえる大樹へと発つことが習わしとなっていた。
「……裏腹に、晴れ渡る空か」
ヴァンナ村から西に数キロ、ホーリッシ山の切り立つ山肌から突き出た大岩を儀ノ平と呼ぶ。大樹の根が絡み支える大岩は、手の平を上に向けた様な形状をしており、母の手とも呼ばれ神聖視される場所だ。
そこに一人、私は立っている。
ずっと、夢見ていた。
自らが空人かどうかは、サキゾメを迎えるまで分からない。いや、認知されないという方が正確かもしれない。空人となる者は、自らの翼の在り様を感じている。
しかし、サキゾメを迎えなければ翼は顕現せず、誰の目にも見えない。まして、飛ぶことなど叶わず、その感覚を持て余しながら自らに勘違いと諭し、唯人として一生を終える。
それもまた、ありふれた人生の一つ。
待ち望んでいた。
羽元から羽先へ、個々人固有の色が滲むように広がり、その背に染め上げられた翼を顕現させる。その自らの姿を想像した。
空人となった先人の言葉が思い起こされる。
【光糸ニ触レ翼顕現セシ者 儀ノ平ニテ発ツ
恐レニ閉ザスコトナク 光声ノ導キノママ広ゲヨ
ソノ翼描ク軌跡コソ 輝キヲ放ツ咲キ守ノ証】
雲の上に枝葉を伸ばす大樹の花は、咲き守となった空人にしか咲かせることが出来ないとされている。その様を見ることもまた、空人にしか出来ない。
とは言え――。
「飛べと言われても……」
空人として認知されたからといって、ほれ儀ノ平に行けと放られても、翼広げてバサッとすぐに飛べるかって冗談じゃない。
飛べるという直感と何故と問う思考のせめぎ合いに頭を抱えていると、不意に何かが視界に入ってきた。細い糸の様な何か、陽光の様に煌めきながらふわりと流れ、その先端が翼に触れる。
その瞬間、フラッシュバックする感覚。
これが光糸、サキゾメをもたらしたものだ!
誘われるように手を伸ばし、私は迷わず光糸を掴んだ。
視界が白に染まる。掴む手を弾かんばかりに光糸は輝きを放ち、光が円状に広がったかと思うと、私は突如として上空へと吹き飛ばされていた。
「なっ……嘘⁈」
戸惑いが音となっていたかは分からない。聞こえようもない程に風は強く、その轟音と逃れようのない状況に怯え、両の腕や足を丸めるように身を固くした。
何も考えられない頭が、無意味に言葉を繰り返す。
コワイ、コワイ、コワイ。
終わりのない一瞬を転がされる私の耳に、その声は響いた。
『広げなきゃ』
その声はあまりに穏やかで、ギュッと閉じていた瞼が緩む。
『広げなきゃ、飛べないよ』
薄く開いた私の視界に、煌めく光糸が交差し布の様にたなびく様子が映る。
あの言葉が脳裏に木霊する、光声ノ導キとはこの事ではないかと。
私は両の腕と共に、翼を目いっぱい広げた。腕につられて伸ばした足の心許なさとは裏腹に、翼に感じる確かな力強さ。その強さをしっかりと受け、羽は風を上下に流しふわりと浮く。
「飛んで、いる。飛んでいる!」
高く心地よい音を立てて、風が耳の傍を駆け抜けていく。うねり始めた風の流れを全身に感じながら、私はその波に乗り滑る様に飛ぶ。変化は常にある、焦ってはいけない、力まずに緩やかに、姿勢を保ち前へ。研ぎ澄まされた感覚で風を読みながら、目的の場所へと飛ぶ。
そして、私は大樹へと到達した。
かつて見た根元の存在感そのままに、雲の上に伸びる堂々たる枝ぶりに感嘆していると、その周囲を飛び交う色鮮やかな光の線が見えた。
「あれが、咲き守」
飛び交う空人の羽先が光を帯び、空中に描かれる軌跡は光の鱗粉となって舞い散る。その光を受けた大樹の蕾が、目を覚ますかのように緩やかに綻んでいく。
一つとして同じ光はなく、咲く花もまた同じ色などなく、光舞う中で咲き染まる大樹の姿は濃緑の葉を縁取りに浮き立つ幻想的な美しさだった。
私も咲かせたい。
内側からコポリと湧き上がる。
それは熱を帯びながら、弾け全身に広がっていく。私の翼はこのためにある、そう確信する直感。
私が咲かせる、私だけの花。
ここは空想の世界。
空想から花を咲かせる空人の世界。
空人はアナタ、翼は筆、軌跡は描かれる物語。
アナタが咲かせる大輪の花を仰ぎ待つ、ある読者のわがままな世界。




