砂塵の声 (狼子 由 作)
落ちる――! 慌てて操縦桿を倒したが、間に合わない。
機体の破損回避を第一と、ロナエは頭を切り替え、不時着姿勢をとった。
止まぬ砂嵐で地表は目視できない。アストロノミカの両腕をコクピットのある胸の前で交差させ、横腹から滑り込むように地上を目指す。
激しい揺れと擦過音。小刻みに揺れるシート。緩和されているはずの摩擦熱が背中に籠もる。
それでもロナエは、操縦桿を握り続けた。
揺れは徐々に小さくなり、最後には静かになった。吹き付ける砂嵐の音だけが、機体を通して鼓膜に囁きかけている。
息を吐いて、操縦桿から手を離した。
砂嵐には辟易だが、その代わり、砂質が柔らかいことは幸いと言えるだろうか。もう何度も、この砂漠はアストロノミカの身体を抱きとめてくれている。
アストロノミカの姿勢を起こし、破損がないことを確認する。
カメラアイには薄曇りの地平線が広がっていた。
重い雲に覆われた空と、吹きすさぶ風しかない砂漠。ちらりと見えた風景が、砂嵐に吹き散らされて消えていく。吹き付ける風で、機体は船を漕ぐように時折軋んでいる。
外に出たい。ヘルメットを取ることすらできないと、知っていても。
左手でハッチレバーを強く引く。サイドハッチがため息のような音を立てて開いた。気圧の変化による眩暈。歪んだ視界を、足を強く踏みしめて堪えた。
コクピットを出た途端、砂嵐がロナエの身体に直接吹き付ける。パイロットスーツで覆われているが、砂の勢いで足元が揺らいだ。靴底が砂利を噛んで滑る。ハッチの鉄板を掴もうとした指先は、かすっただけでそのまま背中から落ちた。
高さにして2メートル程。ロナエを受け止めた砂が柔らかく舞い上がり、そして砂嵐に混じって消えていく。
身を起こし、ロナエは慌ててスーツのポケットを探る。手袋越しの指先が、腰に小さな膨らみを見つける。存在を確認して、ほっと息を吐いた。
どうせなら、パイロットスーツを着込む前に渡してくれれば良かった。考えても仕方のないことと知りながらも、もう何度目かの苦情をこの場にいない相手に投げかける。
頭上を見上げた。見えるのは重苦しい空と吹き抜ける砂。
そして、ロナエの乗ってきた機体――人型宇宙調査艇アストロノミカの姿。
跪いて主を待つアストロノミカは、かつてホロ学習で見た地球時代の騎士に似ていた。
滑らかな脚のライン。引き締まった腰に、緩く巻き付いたソードベルト。剣の代わり、小銃と重機関銃を佩いている。コクピットがあるという理由を知っていても、正面の胸の膨らみは未成熟な女体のように見えた。もちろん設計者にはそのような意図がなかったことを、ロナエは知っているのだが。
黙って見上げている間も、飛び回る砂がコクピットに入り込んでいる。ふと気付いて、ロナエは慌ててアストロノミカの膝に足をかけた。コクピットが汚れればティエリに叱られる――咄嗟にそう考えてから、思わず吹き出した。アストロノミカとロナエをここまでサポートしてくれた彼とは、連絡が取れなくなってもう半月だった。
コクピットに戻る。ハッチを締めると、吹きすさぶ風の音は静かになった。代わりに響くのは、機体の揺れる軋みだけ。難破した船はこんな具合なのだろうか。
危険があることは知っていた。万全に万全を期しても、予期せぬ問題の発生は起こり得る。だからこそ人間が――ロナエが来たのだ。無人調査艇の送ってきた結果を証明するために。
貴重なデータ保持者だ。ロナエの救助は必ず行われるに違いない。
だが――と、砂嵐に霞むカメラの向こうを見ながら、ロナエはシートの肘掛を撫でる。
だが、それまで自分の命は保つのだろうか。この砂嵐の中から抜け出す方法は。
ふと、ポケットの硬い感触が意識された。
指先を当てる。小さく、丸い金属の環が、スーツの硬い外被を少しだけ押し上げている。
なぜ、スーツを着た後なんだ。ロナエの唇に微かな笑みが浮かぶ。ティエリはこの上なく賢いが、時々馬鹿だ。出発から一度も、ロナエはパイロットスーツを脱いでいない。脱ぐことは出来ない。
ロナエはそっと環を辿り、その大きさをもう一度確かめる。
ティエリは、いつロナエの指のサイズを知ったのだろう。思い返しかけて、そもそもフィットするかどうかも、まだ分からないのだと思いついた。
ロナエは再び操縦桿を握る。ラダーペダルに正しく足先を置き、カメラアイを上空へ向ける。スロットルレバーを引くと、アストロノミカが低い唸り音を上げて動き始めた。
砂嵐は止まない。何度もロナエとアストロノミカを地上に引き戻す悪魔の力に、休息はない。
だが、とロナエは唇を噛み締める。
何度でも。
操縦桿を引く。背中に負った羽が開き、炎を噴く。背後から胃を押し上げる浮遊感。ロナエの身体が――アストロノミカが宙に浮く。
砂嵐を越えて、上空高く駆け上るために。
スクリーンを見詰めるロナエの耳に、微かに名を呼ぶティエリの声が聞こえた気がした。




