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【習作】描写力アップを目指そう企画  作者: 描写力アップ企画管理者
第八回 はばたけ、君のはね企画(2019.8.24正午〆)
249/268

I Wish You Could Fly (zooey 作)

 『I wish I could fly.』

 黒板に英文が書かれている。

 空気の読めねぇ講師だな。

 予備校の講義を受けながら、そう思った。オレのいる教室でくらい、別の例文にしとけよ。なんせ、オレは兄さんと一緒に空を飛んだことがあるんだから。

 

 兄さんはハンググライダーの選手だった。アルミパイプの骨組みに布を張った機体を使って飛ぶスポーツだ。機体の中心には三角形のパイプが吊り下がっていて、その底辺に当たるベースバーを握って操縦する。ナウシカのメーヴェのような感じだ。兄さんは自分の通っていたスクールの体験ツアーを利用して、何度かオレを二人乗りのグライダーに乗せてくれた。中でも、初めて飛んだ小学五年生の時のあの感覚は、今でも時々皮膚によみがえってくる。

 飛ぶ直前、ベースバーを握って芝生の斜面を目の前にすると、これから飛ぶんだという現実感が押し寄せてきた。離陸にはこの斜面を使う。走って助走をつけて飛ぶのだ。ちゃんとできるだろうか。不安になって兄さんへ視線を向けると、兄さんはすごく落ち着いた、穏やかな表情をしていて、オレと目が合うとにっこり笑ってくれた。それで勇気が湧いてきて、オレはベースバーをつかむ手に力を込めた。二人で頷きあって斜面を駆け下りる。

 足が地面を離れた途端、本当に自分で飛んでいるような、羽が生えたような感覚になった。風を全身に感じる。嬉しくなって兄さんへ顔を向けると、彼も幸せそうな顔をしていた。

 しばらく飛んでいると、急にぐうんとグライダーがより高く舞い上がった。上昇気流に乗ったのだ。風を受けて飛んでいるのが分かった。ひんやり冷たい空気が気持ちいい。その爽快感は身体中に満ち広がって、当時なんとなく憂鬱でいた心が一気に冴えた。オレたちは高く高く飛んだ。高度が増すにしたがって、胸がどきどきと脈打つ。鳥の群れをいくつも越えて雲の上まで来ると、そこで兄さんが口を開いた。

 下、見てみろよ。

 言われるままに視線を下げる。

 

 立体の地球があった。

 

 雲の遥か下で、緩やかにカーブしている地平線。それまで机の上でしか知らなかった地球の丸みが目の前に現れた。鳥肌が立つくらい感動して兄さんを見ると、彼もさっきよりももっと満ち足りた、全身の幸福感をかき集めたような表情をしていた。オレの人生で最高の瞬間だった。

 

 あれから七年がたって、オレは今、大学受験のために必死で勉強している。どんどん体が動かなくなっていく病気の治療法を研究したいのだ。自分で飛ぶのも楽しいけど、世の中にはオレよりもっと飛びたい人がいる。体の自由がきかない人は、きっとそれだけ飛び回ることに憧れている。だからオレは、そういう人たちに空を飛んでほしい。

 そう思い始めたのは十三歳のことで、オレはガキながらいろいろと調べて神経性疾患のうちでも特にALSに力を入れて研究している大学へ絶対に入ろうと思った。そうして治療法を見つけ出すのだと。もう一度、兄さんに空を飛んでもらえるように。

 でも、それが夢物語だとオレが気がつく前に、兄さんは死んでしまった。あっという間だった。あっという間に飛べなくなり、あっという間に歩けなくなり、あっという間に寝たきりになり、あっという間に喋れなくなり、あっという間に死んだ。

 

 兄さんの葬式が終わった数日後、母さんがノートのようなものを手渡してきた。開いてみると直線的で四角い字が並んでいた。兄さんの字だ。胸が絞られたみたいに痛くなって、でも手は自然とページをめくっていた。日々のちょっとしたことを書いてある部分もあれば、病気の辛さを綴ったところもあった。字はだんだんと線が歪みバランスが崩れ、兄さんのものではなくなっていった。

 オレが手を止めたのは、自分の名前が目に飛び込んできたページだ。

『天馬が一生懸命勉強してるのが嬉しい。一つのことに打ち込んで、どんどんすごくなってる。高く飛ぶみたいにすごくなってる。』

 それを見た瞬間、体中が熱くなった。言いようのない感情が、津波みたいに押し寄せてきた。

 ちがう。

 ちがう、ちがう、ちがう、ちがう、ちがう……。

 オレは兄さんを飛ばせたかったんだ。兄さんに飛んでほしかったんだ。オレのことなんかどうでもよくて、ただ兄さんに飛んでもらいたかったんだ。


 オレはそのページを破り取った。


 翌日、学校の昼休みにこっそり屋上へ行き、破ったページで紙ヒコーキを作って飛ばした。

 手を離れた紙ヒコーキは、空気を割くように、まっすぐ進んで行った。風にあおられたり、さらわれたりすることなく、一直線に空の青へ向かっていく。それがどんどん小さくなり、ついに見えなくなるまで眺めてから、オレは座った。

 空を飛ぼうと思った。

 オレの空は兄さんが飛べる世界だから、兄さんみたいな人に空を飛んでもらえたら、オレも飛べると思った。あの紙ヒコーキが真っ直ぐ飛んでいったのを見て、兄さんの気持ちは飛んでるんだと思った。オレも飛ばなくちゃと思った。

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