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【習作】描写力アップを目指そう企画  作者: 描写力アップ企画管理者
第八回 はばたけ、君のはね企画(2019.8.24正午〆)
245/268

幻翅痛 (Veilchen(悠井すみれ) 作)

 幻翅痛(げんしつう)、という広く知られた病がある。とうに退化したはずの(はね)が引き裂かれるかのような、幻の痛みを感じる病気だ。特に思春期の少年少女に多く発症する。幻の翅は痛みだけではなく、空への強い憧れをもたらす。患者は、時に見えない翅を広げて空へと飛び立とうとさえするほどだ。

 無論、今の人間の背に翅はない。地に叩きつけられた若者の悲報に、大人たちは必ず痛ましく眉を顰めて俯き、哀悼の意を示す。若い日の憧れは、老いた者の胸にも確かに甘く疼いているから、それを宥め鎮めるためにも。




 研究所と聞いて訪ねた場所は、ほとんど森だった。辺りを見渡しても、木々の間にそれらしい建物はない。本当に、ここで幻翅痛の有効な治療法が発見されたのだろうか。もっと楽な格好が良かったな、と考えていると、微かな羽音が私の耳をくすぐった。


「虫……?」


 鳥の羽ばたきではない、もっと密やかな振動を思わせる細く高い音は、蜻蛉(トンボ)あたりの羽音のようだった。でも、こんなにはっきりと耳に届くような音を奏でるのは、どんな巨大な虫だろう。太古の密林に迷い込んでしまったのか、などという埒もない空想に囚われかけた時――眩い煌きが、目を射った。次いで、羽音が耳のすぐ傍で鳴り、子供の甲高い笑い声が弾ける。


「あ、お客さんだ!」

「キシャさんだよ、センセーが言ってた」


 声は、空から降ってきていた。楽器の弦を擦り続けているかのような、陽気な音楽めいた羽音も、また。煌きの源もそうだ。そうと認識してなお、信じ難くて私は喘ぐ。


「嘘……」


 陽を透かす翅は、箇所によって翠や碧や紅の色を帯び、羽ばたきと共に虹色の光を振りまく。翅脈が描く細かな模様は、ステンドグラスさながらの美しさだ。中空で震え歌い、煌く翅を纏うのは、無邪気な笑顔の子供たち。創造主が拵えたという夢物語の、妖精が現実に現れたかのようだった。


「案内してあげるね」

「競争だよ!」


 呆然と佇む私に、子供たちは得意げに宙返りをして見せた。一瞬見えた背中には、確かに翅が直に生えている。機械の仕掛けではないのだ。目眩を感じる間にも、翅の煌きと笑い声は遠ざかってしまう。


「待って――」


 慌てて足を踏み出した瞬間、背中に痛みを感じた。空を飛ぶ子供たちが、青春時代に少しだけ罹った幻翅痛を蘇らせたのか。羽化の時の痛みにも似て、私にも翅が生えるのではないかとあり得ない夢を抱かせる。

 私たちは、自ら翅を捨てたのに。




 森の奥にやっと見つけた建物に、先生と呼ばれる人物はいた。白衣を纏った彼の前には、椅子に座らされた少年が私に背を向けている。裸の上半身に萎んだ花のような襞が垂れ下がっているのを見て、胸と背がまた痛む。あれは、翅だ。幻翅痛によるものだけでない、嫉妬が私の身体を苛んでいる。自分でも訳が分からないが、翅を持つ子供たちが羨ましくてならなかった。


「ここは――」

「すみません。今、大事なところなので」


 「先生」は私を一顧だにせず、挨拶さえさせなかった。彼の神経はただ少年だけに向けられているようだった。


「――今、君の体液が翅脈に通っていっている。翅の感覚は、あるかい?」


 先生の言葉通りだった。最初は萎れていた少年の翅が、みるみるうちに()()()。白っぽく不透明だった翅がぴんと伸び、透き通っていく。いかにも柔らかく脆そうだった膜が翅脈が、飛行に耐える硬質さとしなやかさを帯びていく。その目覚ましい変化は、枯れた花が水を得て蘇る様を見るようだった。

 少年は背に生えた翅を数度羽ばたかせると、跳ねるように立ち上がった。


「すごい、先生。もう痛くないよ!」


 もう、ということはこの子も幻翅痛の患者だったのか。私の背中の皮膚が攣るように疼いた。私の幻翅痛は、もう収まったと思っていたけれど。

 ひと段落がついたと見て、私は先生に歩み寄ると口を開いた。


「これが、治療なのですか?」

「翅がないから痛むのです。もともと我々にあった器官だから、実は飛ぶための筋肉も残っているのです」


 私たちの横で、少年は歓声を上げながら真新しい翅を羽ばたかせている。宙に浮く爪先や自ら起こす風になびく少年の髪が視界を過ぎると、私の幻の痛みが記憶の底から呼び起こされた。


「だから――翅の移植もできる、と? とうに退化したものかと」

「退化させた、のでしょう」


 「先生」はさらりと述べたけれど、私は室内の温度が一気に下がったように感じた。彼が触れたのは、誰もが知っているけれど敢えて口にはしない類のことだから。


「創造主の姿を真似て、虫から作られたことを恥じて、二本の手と二本の足に自身を閉じ込めたのです。けれど、人間の姿はこうと限ったものではないでしょう。創造主だって偶然そのように進化しただけだ」

「…………」


 何も言えないでいる私に、先生は微笑んだ。私の背中の疼きを見透かしているのだ。


「幻翅痛は、我々の本能の悲痛な叫びなのかもしれません」

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