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【習作】描写力アップを目指そう企画  作者: 描写力アップ企画管理者
第八回 はばたけ、君のはね企画(2019.8.24正午〆)
242/268

いかずちの翼 (深海 作)

※作者本人ページでも同作品を公開しています。

「わあ、すごいね」

 

 足を止めたのは、その人だけだった。豊かな顎髭を蓄えた、壮年の男ただ一人。

 石畳の通りを行き交う人々は、道の脇に散らばるカンバスなど、見向きもしない。

 すりきれたズボンに、ボタンが取れたシャツ。垢で汚れた裸足の浮浪児が描く絵なんて、一体誰が気にとめるというのだろう。


「ずいぶんたくさん……全部、鳥の絵かな」

「ちがう、てんし。でも、うまくかけない」

 

 素晴らしいよと、顎髭豊かな男は目を細めて、子どもを褒めた。

 子どもは、口をむっと真一文字に引き結んだ。不機嫌な顔で黒いパステルをにぎりしめ、白いカンバスにごりごりと描く。

 たしかにそれは、羽を生やした天使だった。

 頭には冠。足には炎。翼からほとばしるのは、激しい稲光。


「このてんし、くちからひをはくんだ」


 子どもは説明しながら、天使の口から炎を吐かせ、翼の周りに雷を描いた。

 

「そんでこの――」

「ちょっとごめん」


 顎髭の男は、黒いパステルを持つ子どもの手をそっと掴んだ。


「なんだよ、じゃまするなよ」

「いやでも、このパステルも紙も、私のだよ。君、私の工房にこっそり入って、盗んでいっただろう?」

「……そんで、このかみなりは、あくまとかびょうきとかをこっぱみじんにするんだ」

「おいおい、無視しないでくれ」


 子どもに手を払われた顎髭の男は、まったく怒らなかった。くすくす笑ってしゃがみこみ、子どもの絵にじっと優しいまなざしを注ぐ。思う存分、これでもかと、隙間無く稲光が描き込まれるまで。

 雷は狂わしく躍り、飛び跳ねて、カンバスの外にまで漏れ、鋭く長く轟いた。それは幾本も太く激しくぎらぎら光って、石畳を裂いた。

 石畳の合わせ目にパステルがあたって、ぽきりと折れた時。子どもはハッと、絵が画面から漏れていることに気づいた。渋々手を止めた彼に、男はにっこり微笑んで、大きな手を差し出した。


「もういいかな? 画材を返してくれ、金髪巻き毛くん」

「いやだ。おちてたからひろったんだ」

「確かに、整理整頓できずに、床にばらまいていた私が悪いっちゃ悪い。でもそれが落ちていたのは道ばたじゃない。私の工房に落ちていたんだから、私のものだ」

「やだ……おれ、もっとかく。またしっぱいした」


 子どもは、目にいっぱい涙をためながら、折れたパステルを両手に握って背中に隠した。


「その天使、実に素晴らしいと思うが」

「だめ。もっときれいなの、かかないと。そんで、びょうきのねえちゃんにあげるんだ」


 人は生まれてから死ぬ時まで、天使の加護と執り成しを受けている。

 天使に祈れば、願いは神に届く。そう信じられているから、多くの人々が、天使の絵を護符にしている。値段はぴんきりだが、薄紙に描き殴られたものすら、この子は買えないのだ。たぶん親がいないのだろう。


「私が描いてあげようか?」

「やだ」

「でもこれ以上の物を描くには、時間をかけて修行しないといけないよ? 病気の快癒を願うのだったら、一刻も早く完成させた方がいい」

「やだ……やだ……」


 歯を食いしばって後ずさる子どもの肩を、髭の男はそっと掴んで引き寄せた。


「じゃあ、一緒に描こう」

「う?」

「君はパステルを持つ。私は君の手首を持つ。さあ、やってみよう」

 

 ましろのカンバスに、勢いよく線が引かれる。

 それはたちまち優美な翼を成して、天を舞い始めた――



   *         *



 鮮烈な金色に染まった大筆が、瑠璃色に塗られた工房の壁を滑っていく。

 金髪の若者は、高価な顔料を惜しげも無く使って、がしがしと描き殴った。

 絹のシャツの袖で充血した目を拭いながら、がむしゃらに。

 

「先生……!」 


 かつて師と一緒に描いた天使の絵は、御利益てきめん。姉の病は完治した。

 師は浮浪児を弟子にしてくれ、手取り足取り教えてくれた。

 お菓子に上等な上着にぴかぴかの靴。何でも買ってくれたから、若き弟子は密かに期待した。

 もしかしたら、先生は自分を養子に?

 だが――


『国王陛下が、君の絵を痛く気に入ってね。宮廷画家として雇ってくれるそうだ』

『お、俺の絵は全部、先生と一緒に描いたものです』

『いや、私は少しも自分で動かしてなかったよ。君が不安がるから、手を添えてただけさ』


 弟子は青ざめて否定したが、師は本当だよと笑った。


『さあ、勇気を出して、ここから飛び立つんだ』


 満面の笑顔に見送られ、弟子は渋々、城に入った。

 だが着いた早々、虫の報せめいたものを感じた。

 急いで工房に舞い戻ったら、師は、血を吐いて倒れていた――



「先生、死なないで!」


 手が震えて、筆が暴れる。色が弾ける。狂おしく。

 寝床で、師が泣き笑いしている。


「断腸の思いで、私の籠から出したのに」

「先生も城に来て。先生の言う通り、俺、一人で描ける。でも、俺の絵を見てよ……俺が描くもの、これからも、全部見てよ!」


 空の高みで天使が舞う。

 若き画家はしゃくりあげながら、瑠璃色の壁面に雷光を轟かせた。

 凄まじい熱量を放つ光が辺りに満ち満ちて、まばゆい神気が師を焼いた。

 奇跡を、起こすために。

2020/12/09 作者本人ページでも同作品を公開のため、注を追記

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