有翼人種同好会 (さかな 作)
『いつか僕も飛べるかな』
河川敷に並んで座ったいつかの日の夕暮れ。
気弱な僕の言葉を蹴り飛ばすように朝日は訊き返す。
『いつかって、いつ?』
いつだろう。とりあえず天気の話をするのと同じ、間を持たせるための形だけの会話で、未来の話をしてるわけじゃない。
僕がつるりとした背中を丸めていると、朝日はじれったそうに立ち上がり、僕の目の前に堂々と立ちはだかった。
『夕ちゃん。飛ぼうよ、一緒に』
真っ赤に燃えた空を背に立つ彼女のシルエットが今でも眼裏に焼き付いている。
ボーイッシュな短髪、すらりとした手足。
竜を思わせる一対の羽――。
「梶浦夕陽君。では、志望理由を聞かせてもらおうかな」
「は、はい。私が御社を志望したのは――」
目の前の長机にずらりと座るスーツ姿の面接官に向けて、僕は頭の中の履歴書を必死で読み上げた。いくつも就職試験を受けてきたが、大本命は医療器具メーカーであるこの会社だ。
「有翼人種用の義翼開発に興味が。なるほど。ちなみに全人口における彼らの占める割合は?」
「約五%、です」
その通り、と面接官は教鞭を執る教師のようにはきはきと返した。
「コウモリに似た翼を持つ彼らは症例も少なく、介助の環境も揃っていない。今後更なる医療器具の開発が求められるでしょう。ただし有翼人種の大多数は嫡出後に除翼が行われています。それはご存知ですか?」
「は……はい」
除翼。それは文字通り対の羽を切り落とし、健常者として生きること。成長してからでは処置が難しいので、ほとんどの場合生後間もなく除翼される。
「なぜ除翼が必要なのかと言うと、世の中の多くが無翼に適した作りになっているからですね。他にはご存知ですか?」
「翼起因の病気を未然に防ぐ為……それから現在の法律では有翼人種は自由に空を飛べず、あっても邪魔になるだけだから、です」
ドローン等と同様、いやそれ以上に羽ばたける場所は限られている。翼は淘汰され損ねた不必要なパーツなのだ。
右端に座る髭面の面接官が興味深げに頷く。
「さすがに詳しいね。『有翼人種同好会』とやらに所属してたんだって?」
「はい、大学在学中に……」
メンバーは出身地も性格もバラバラで、だけどそれなりに有翼人種に興味があって、彼らを尊重していた。卒業後にOBで集まることも多く、最近ではこの同好会が各々の人生に多少なりとも影響を及ぼしていることを実感する機会も増えた。
秀才のヒロは生物学の准教授になって有翼人種の研究をしている。お洒落好きのマコは最近有翼人種専用の服飾ブランドに転職したし、真面目が取り柄のエイタは公務員になり、今は飛行施設の建設を計画しているらしい。
そして朝日。
翼と共に生きることを選んだ彼女は、陸上界に彗星の如く現れた有翼の美女として連日メディアに取り沙汰されている。
僕だけだ。翼も未来も、何もないのは。
「話を戻します。率直に聞きますが、除翼文化は今後下火になると思いますか?」
僕は言い澱んだ。情けないことに答えが口から出てこない。
面接官はつまり会社としての発展性を言っているのだ。翼を保持したまま大人になる人口はコンマ以下の割合だ。そこに賭けるメリットはあるのか? と。
面接官が手元の紙面に目を落とした。きっと非正規雇用で埋められた職歴欄を眺めているのだろう。
駄目だ。
落ちた。
耐えきれず僕は視線を逸らした。
窓の向こうは快晴で、晴れた日にはよく朝日が「飛びたい」と口にしていたことを思い出す。僕はその度に夢想した。背中の翼を力強くはばたかせ、空を掻いて風になる。勢いよく青い世界に飛び出していく自分を。
――私、時折どうしようもなくはばたきたくなる時があるの。きっと本能なんだよ。生物の本能まで、人は管理できないよね。……空を飛びたいって思うのはダメなことなのかな?
僕にも分かるよ。青い空を見ているとどうしようもなく飛び出したくなる、その気持ちが――。
「……有翼人種には、飛行本能が備わっています。それがなくなることはありません」
ぽつりと呟いた僕の言葉に、面接官たちが静かに目を瞬いた。
「翼を切り落としても、飛びたいという衝動までは消せないんです。真に義翼を必要としているのは除翼された有翼人種です」
「なぜそうと、はっきり言いきれるのですか?」
試すような目を向けた面接官に、僕は今度こそしっかりと向き合った。
「それは――僕が、除翼された有翼人種だからです」
*
「あの赤い輪っかが二ポイント、ポールを旋回すれば十ポイントね。来月から始まる新競技と同じルールだよ!」
「ちょ、引っ張らないで」
「朝日ってばテンション上がってるう」
「だってマコ、今日は夕ちゃんの外での初飛行なんだよ?」
天井のない、芝生が広がるスタジアム。
あれから六年。フィールドサイドには馴染みの顔が並んでいる。
一足先に朝日が飛び立った。
僕は急いでその背を追う。
助走をつけて、一、二。ギシギシ音を立ててはばたく翼。勢いよく地を蹴り、そして――。




