(たびー 作)
※作者本人ページでも同作品の完全版を公開しています。
コンビニの袋がズボンにかすかに触れているところからも、冷気は遠慮なくやってくる。
両手をオーバーのポケットに突っ込み、転ばないように下だけを見て歩く。
「しくった……日本酒にすりゃよかった」
昨日の講義の終わり。帰り支度をしていたら、ナオトに声をかけられた。明日鍋にしないかという誘いにうかうかとのったけれど、初めて訪ねる奴の住まいは行き慣れていない住宅街。似たようなアパートやマンションが立ち並ぶ一角だ。
夕暮れどき、小雪の降る中をもう三十分ちかく缶ビールの入ったレジ袋をガサガサいわせて迷っている。たのみの綱の電話はなぜかつながらず、昨日上の空で聞いていたおぼろげな道順を思い出し、ようやくナオトのアパートを見つけた。
敷地には一戸当たり一台分と思われる駐車スペースがあって反対側の道路とはフェンスで仕切られている。
築浅だな。シミのないグレーと白の横縞の外壁、エアコンの室外機が壁面に上下二段でずらと取りついている。
思わず舌打ちする。オレの住むアパートより上等じゃないか。でも、狭そうだよな……と悔し紛れにケチをつけて、階段を上がる。「階段をあがってすぐだから」とナオトは言っていた。
階段を上がり切ると、屋根付きの通路がまっすぐに続いていた。
「あがってすぐ、あがってすぐ……」
おれは一軒目の呼び鈴を押すと、ドアの前で背中を丸めイライラと足踏みした。早く開けて欲しい、もう体が冷え切ってる。
中で人が動く気配がして、重めの金属音とともにドアが開いた。
「遅せーよ!」
ドアに手をかけ鉄の扉を大きく開くと、甘い香りのする湯気が顔にあたった。
はっとしてよく見ると、三和土には女物のロングブーツと華奢な靴。赤く塗られた爪先と白い足が視界に飛び込んできた。
「え?」
白く長い脚は膝上のハーフパンツをはいていた。頭からふわりとかぶったベビーブルーのバスタオルで風呂上がりの濡れた髪を拭いていたのだろう。髪の先と長い睫に雫が光った。体からは甘い香りとともにうっすらと湯気があがっている。
口元をタオルで隠し、下がり気味の目をパチクリとあけて入り口でおれを見あげてたのは若い女性だった。
「あ、あ……!」
思わず半歩後ずさる。かきあわせたバスタオルから胸元がちらりと見えた。タンクトップの襟ぐりは胸の谷間の上側ギリギリ。自分でも気づいたのか、女性は素早くタオルを頭から外して上半身を覆った。
「どちらさまですか?」
固まったまま動けないおれに、戸惑うような視線を向けてきた彼女のふっくらとした口元には小さなほくろがあった。かたちのよい額に、濡れた前髪がかかる。背丈の割に、胸にボリュームがある。
冷たくなっていた頬が一気に熱くなり、鼓動が早くなる。
「ナオト、いや、山崎さんの部屋じゃ……」
「ちがいます」
整った顔から発せられた声は硬質の響きだった。
あけ放たれたドアからはキッチン奥の部屋まで見えたが、小さなテーブルの上にある読書灯が照らし出す空間は淡い色でまとめられた家具があるだけで、男っ気は感じられない。
あからさまに不審者に向けるような視線におれは胸が詰まった。
「す、すみません、これ、お詫び!!」
手にしていたレジ袋を彼女に半ば押し付けるようにして渡すと、いそいで扉を閉めた。
がちゃん……という音が重なって響き、隣のドアが開いた。
「なに騒いでんだよ」
ナオトが扉のすきまから顔を出して、半分腰を抜かして通路の手すりにもたれかかるおれに声をかけた。
嘘じゃないんです、不審者じゃないんです、ほんとナオトのところに来ただけで。
弁解させてほしい、あんな目で見ないでほしい、もういちど……声を聞かせてほしい。
なぜか苦しくて、涙がにじんだ。
なんてこった、このドアのむこうに彼女はいるのだ。
2017/04/09 作者本人ページでも同作品を公開のため、注を追記




