表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【習作】描写力アップを目指そう企画  作者: 描写力アップ企画管理者
第六回 キラキラ☆ワードローブ企画(2018.11.24正午〆)
203/268

桜の卒業 (北瀬多気 作)

 梅原(コウ)は音もなく暗転転換を済ませて裏へ走った。

 市民会館の小ホールでも、舞台は舞台。本番でのミスは許されない。今日は特に。

「紅ちゃん。ヅラがチャックに絡まった」

 先ほどまで舞台に立っていた女性が、眉を下げて紅を見上げていた。

 上品なバラ色のシフォンドレス。胸の繊細なレース編みも、腰に巻かれた黒いサテンのリボンも、既製品にも劣らない自信がある。黒いレースの手袋に、首元までレースで覆った堅苦しい衣装だが、あえてこのデザインにした。オフショルダーでは隠せないから。

「着替えあるのに!? 次十分後っすよ」

 紅は背中側に回ると、急いで衣装と格闘し始めた。「痛いかも。ヅラだけど」呑気に笑っている場合ではないのに。舞台を降りると、この看板役者はポンコツだ。

「髪、少し切りましょう。処刑シーンだし、乱れてるくらいがちょうどいい」

 言いながらハサミを動かし、紅は一気にドレスを脱がせた。背中が露わになり、

「紅ちゃんのドレス壊しちゃったね」

 へらりと笑う女性が振り返った。いや、女性らしいのは圧倒的な美貌のみだ。女性特有の柔らかさとは無縁の胸板が紅を向く。華奢な印象とは裏腹に程よくついた筋肉。骨ばった手。声は高めだが、よく聞けば紅と同じ、男のものとわかる。

「いいから早く着替えて、桜井さん。最後の舞台でしょ」

 子供のように笑ってうなずくと、桜井はドレスを床に放って新しい衣装を受け取る。手が震える紅と違い桜井は平然としていて、どこまでも通常運転だ。

 演技だろうか。

 紅がそう願っているだけかもしれない。

「本当に辞めるんですか」

 気付けば紅はそう口にしていた。背中のボタンを留めながら弱々しい声でつぶやく。

「看板役者ですよ。昔大手事務所のスカウトとか来てたくらいの。それが……」

「俺がいなくなるの寂しい?」

 恥ずかしげもなく言う桜井に、紅は口を尖らせる。

「そりゃ、八歳からの付き合いなんで」

 生まれつき体が大きく、周囲と馴染めなかった紅にとって、劇団は居心地がよかった。趣味の裁縫は馬鹿にされるどころか歓迎され、がっしりした体は裏方で長所に変わった。誘ってくれた桜井のおかげだ。

 その桜井がいなくなるのに無関心ではいられない。

「ごめんね。前から決めてたんだ。芝居は十九までって」

「どうして」

「十代の魔法が解けてしまうから」

 芝居がかった台詞をごく自然に吐きながら桜井が笑む。

「周りの期待は理解してる。でも、俺も歳をとればおじさんになる。紅ちゃんのドレスが似合わない俺になって、美しさは過去になる。俺という輝きは永遠に失われるんだ」

 桜井に悲愴感はない。事実を淡々と述べるだけ。傷ついているのは紅だ。

「美しさって永遠じゃないでしょ。老いれば枯れて、誰の目にも映らなくなる。枯れた花に水をやっても咲かない。そこまで縋りつくつもりないよ」

 桜井は鏡の前で背筋を伸ばした。

 今までのどのドレスよりシンプルな白い服。意図的な汚れとほつれ。端的に言えばみすぼらしい。看板役者の最後には似つかわしくない衣装だ。

 死を決意した罪人の服。

「今日の俺を覚えていて。明日からの俺を殺して。もう会えないだろうけど」

「えっ」

「海外に行くんだ。留学」

 向かいの袖で合図があった。間もなく舞台へ戻る桜井は優しく、子供に語りかけるように続けた。

「ね、お願い。女の子より女役が似合う、看板役者と呼ばれて輝いていた俺のまま、紅ちゃんの記憶を終わらせて」

「……」

「紅ちゃんの初恋の女の子のままで、さ」

「っ忘れてやる! あんたの存在全部!」

 二度目の合図と同時に、紅は桜井の背中を押した。思いの外強く押しすぎたのか、桜井がよろける。紅がサッと青ざめた途端、桜井は笑みを浮かべて、踊りながら舞台に出た。世界で一番幸せだと言いたげに、見えない死神とのダンスを披露する。

 狂った殺人者の最期に、観客が魅了されているのがわかる。トラブルすら演出に変えてしまう桜井は本物の役者だ。

 忘れるなんて嘘だ。

 出来るものか。


 ――美しさって永遠じゃないでしょ。老いれば枯れて、誰の目にも映らなくなる。枯れた花に水をやっても咲かない


 命尽き果てる直前、とびきり激しく燃え盛る炎のように。長い人生の、ほんの始まりでしかない十代の終わりを、それが終幕とばかりに全力で駆け抜ける。


 ――十代の魔法が解けてしまうから


 美しさとは何だ?

 限りあるものでなければならないのか?

 桜井の言う美しさは、きっと若さとか好奇心とか、生命力みたいな、大人になるほど失われていくもののことだ。

 でも、それだけが美しさではないと思う。

 薄汚れた罪人の衣装でも、断頭台に向かう桜井は誰より美しい。

 美しさは永遠だ。老いても美しい人はたくさんいるし、今が人生で最も美しいかなんて、誰にもわからない。

 紅の中で、桜井は美しい。永遠に美しい。その輝きをずっと追いかけていたい。彼のための衣装を作りたい。これほどまで引き寄せられる存在を、終わらせるなんてありえない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ