熱い血潮のゴシック&ロリータ (zooey 作)
目の前の姿を、じっと見つめる。
青いワンピースの長い袖は肩口の膨らみが可愛らしく、スカートは腰のあたりでこうもり傘みたいに広がっている。膝丈のスカートはひだが幾重にもなっていて、裾にあしらわれた大きめのフリルが金魚の尾びれを連想させる。でも、その裾から伸びる足はドレス風ワンピースの可愛らしさに似つかわしくない太さだ。しかも木の幹みたいに厳つい。
ワンピースから視線を上げる。鏡の中の自分と目が合った。艶のある丸いボブカットの中央に大ぶりのリボンを付けたその顔は、やはり綺麗さとか可憐さとは無縁の、男のものだ。
初めてワンピースを着たのは今から一年ほど前、大学四年生の時だ。演劇サークルで、男が女役、女が男役、という定番のネタを披露した。
初体験のスカートは、とにかく太もも辺りがすーすーして妙にそわついた。身につけていると周囲にほとんど人がいない時ですら、誰かの視線を感じてしまう。こんなこと早く済ませてしまいたい。そう思った。けれど、全身から火を吹くのではないかと思いながらなんとか演じ終え、ワンピースから私服へ戻った時、
虚しさが突き上げた。
熱い血潮が一気に冷めていくような、自分の体が突然縮んで平凡な枠に納まっていくような、そんな感覚だった。
あの日以来、こうして偶にワンピースを着るようになった。大学生の頃は一人でこっそり高揚感を楽しんでいただけだったが、働き始めてからはそれでは足りなくなってしまった。日々の疲れやストレスがずしりとかかった体は、まるで鉛でも飲み込んだのかと思うほど重かった。その何倍にも増した重力は、ワンピースを纏ったくらいでは消えていかない。そこで、もう一歩を踏み出すことにした。ワンピース姿で外を歩いたのだ。
あの気持ちの高ぶりは、忘れられない。
視線の熱は酷いくらい肌へ貼り付き、心臓の位置が分かるほどに鼓動は打った。それは言いようのない興奮を生み、日頃の鬱憤で増したあの重力が、ぱっと体を離れた。心は澄み渡り、胸には大空が広がった。
それからは、週に一回、日曜日に、こうしてドレス風ワンピースに身を包み、外を歩くようになった。ワンピースに似合いそうな女性用ウィッグもいくつか買った。最近はずっと欲しいと思っていた全身ピンクのお姫様風ドレスも手に入れた。ここぞという時に着てみようと思って。
だからといって、自分はゲイでも、性同一障害的なものでもない。大学時代には好きな女の子もいた。当時、学内のマドンナ的存在の子だった。けれど彼女は高嶺の花すぎて相手にされず、一つ年上の先輩と付き合っているのを遠くで見つめる他なかった。身近には、同じ演劇サークルの地味で冴えない女子ばかりいた。
鏡に映る自分が口角を上げた。行こう。声に出してつぶやくと、玄関へ向かう。
ドアを開けると、ひやりと空気の冷たさに、全身の毛穴が縮み上がった。心地よい緊張。よし。今度は心で声にし、歩を踏み出す。つま先がふっくら盛り上がった厚底の靴が地面を叩く。コツコツといい音がして、心が弾む。音楽に乗るように闊歩していると、
ドン、と胸に重さがきた。ぶつかったのだ。しまった。視線を下げると、思いがけず相手と目が合った。
見覚えのある顔だった。大学時代、演劇サークルにいた女子だ。名前はなんだったか。一瞬の内に頭の中をさらったが、思い出せなかった。
「ごめん」
口を開いたのは、彼女だ。このロリータファッションに身を包んだ男が誰なのか分かったような口ぶりだ。気まずくて、つい目を逸らしてしまう。
「あんたのこと、見てたんだよ」
予想外の言葉が飛んできて、彼女へ視線を戻していた。化粧っ気のない顔がゆるゆるほどけた。
ここ何ヶ月かずっと、見てたんだ。日曜になるとそういうカッコで歩いてるでしょ。それ初めて見た時、私、感動したんだ。
私、働き始めてから、リスカするようになっちゃって。腕切るとさ、皮膚に赤い線が入って、その真ん中の方に小さく血の玉ができることがあんの。つやつや光を映す、真っ赤な真珠みたいな、丸い玉。それがすごく綺麗で、眩しくて、これが私の体を巡ってるんだなって思ったら、感動しちゃって。だから仕事で嫌なことがあると、腕切って、自分はこんなに生きてるんだって思って、安心してた。女装したあんた見て、それと同じくらい感動できたんだよ。ゴスロリでしかも男って。怪物じゃんって感じだけど、すごい生きてるなって、思えたの。すごい迫力っていうか、生命力、ヤバい。それで、あんた見てると、リスカなんかしなくても平気になったんだ。
目の前の、名前も覚えていない女の子の言葉が胸の奥へ奥へと染み通り、心のやわらかい所をつついた。目の縁に熱さが滲む。
「じゃあ、お前もやってみれば?」
気がついたら言っていた。彼女の目が丸くなる。結構可愛い。
「可愛いワンピース、買ったんだよ。お前にやるからさ、着てみろよ」
言った時、心がふわりと浮かんだ気がした。




