果てしない巡礼 (布袋屋光来 作)
「お客さん、巡礼だね。ノーブールまでかい?」
フロランス王国の有数の景観を誇るミリル運河で、船に乗ろうとしたところ、船頭にそう声をかけられた。
それでロスペルは修道士らしく、丁寧に礼をして答えた。その拍子に彼のささやかな薄毛が揺れて額が丸出しになった。
「いえ、ティヴランまでです」
「ティヴラン! あの礼拝堂へ行くのかい。大変なこった」
船頭は少し驚いたようだったが、神に仕える修道士を粗末にしたら罰が当たると思ったか、負けず劣らず丁寧な様子でロスペルを舟の中に案内し、クッションの上に座らせてくれた。
ロスペルは一息ついて、運河の上の涼しさを楽しんだ。
暑い季節であった。船の屋根の下、水の上は、やはりひんやりとして心地よい涼しさだ。
程なく、船は出発した。
船には他にも何人かの客がいたが、ロスペルは船頭に気に入られたようだった。
ロスペルが船室の外に出て、船上の風を楽しんでいると彼が声をかけてきた。
「ミリル運河は初めてですかい」
「ええ、運河はよく使うんですが、こちらは初めてですね」
「巡礼の旅は最近流行ですねえ。聖堂を巡ると、やっぱり御利益があるんですかい?」
「神の秘蹟のあった場所へ詣で、神に祈りを聞いていただくのです」
「ははあ、なんだかあっしにゃよく分かりませんが……ありがたいことですねえ。どんなお祈りをするんですか」
「もちろん、人類の平和と、そして私個人の願いです」
船は早すぎず遅すぎず、ちょうどいい速度で進んでいって、ロスペルは船頭と仲良くおしゃべりしながら数日の旅を楽しんだ。
やがてティヴランで降りる時に船頭が言った。
「楽しかったですよ。ねえ、あっしの分も、神様にお祈りしてくださいよ。きっと永遠楽土へいけますように」
「もちろんですよ」
ロスペルは快諾した。
最も、彼の信仰する神は、何もしなくても一切衆生を救済してくれる心優しき神だ。ましてや陽気で親切な船頭をどうして救わない事があろうか。
さて、肝心のティヴラン礼拝堂だが……。
ロスペルは、船から下りた何の変哲もない街の真ん中で、その中心にでんと構える異様な光景に言葉を失った。
メルヘンチックな赤い屋根の可愛らしい家々がずっと続くティヴランの街。
その中心に、100メートル近い岩山が突如現れるのである。
その周辺には山も丘も何もない。ただ、岩山だけが唐突にあるのだ。
一瞬、見た時は、流れ星のように、天から降ってきたのかと思った。
だが、違う。
何でも数百年前に火山活動があり、そのため地面が盛り上がって出来たそうである。
そして、天空高く突き出た岩山は、空に近い……神に近いとされ、そこに人々は礼拝堂を建てたのだ。100メートル近い岩山を掘って階段作って、そこを登って一つ一つ石を組み上げて。気が遠くなるような大事業だ。
(時として、人は、神に近い……もしくは神を越えた技を行う)
巨大な岩山の上のロマネスク風な礼拝堂を見上げて、思わず聖印を切りながら、ロスペルはつくづくとそう思った。
ロスペルはその岩山の階段を、これから登って、礼拝堂に参拝するのである。それが巡礼だ。
「268,269,270……」
我知らず、階段の数を数えながら、ロスペルは岩山の階段を上っていった。息が切れて胸が苦しく、関節がきしみ、薄毛が汗でべったりと顔に張り付いた。
現代で言うならば25階相当のビルを階段で登るのと同じである。
だが、ロスペルにはどうしてもかなえたい願いがあった。枯れ葉その難行苦行を耐えきって、ついに頂点の礼拝堂の前に進み出た。
「ああ……!」
思わず感動して涙がこぼれそうになる。
ロスペルはふらついた足取りで礼拝堂の中に入っていった。
彼は這うようにして神像の前に進んでいった。巡礼の祈りを捧げるためにここまで来たのだから。
岩山の上の礼拝堂は、人の手により細心の注意をこめた設計で建てられており、ステンドグラスが光を浴びて神々しく輝いていた。
その輝きの中で神像は優美な笑みを浮かべている。
ロスペルは神像に跪いた。
「ああ、神よ。偉大なる神よ、我が旅に、そして人類の兄弟の行く末に光がありますように! そして私の薄毛の悩みが解決しますように!」
神は偉大なる神である。いかなる命にも平等に慈愛を注ぎ、必ず救ってくださるという神である。
特に奇岩の上に立つ礼拝堂は、確かに神に近いようであった。
へろへろだったロスペルは祈りを捧げた途端にたちまち回復し、頭は綺麗さっぱりとなって美しい後光を放つようになった。しかし頭頂から放つ神々しい光は色々な誤解を招き、旅の最中に目立ってかなわず、別の礼拝堂で勘弁してくださいと祈ったところ、今度は一晩で何十㎝も髪が伸び続ける御利益を授かってしまい、それを解除するために、彼の旅は永遠に続いていくらしい。……誰にとっても、神に祈りを聞き届けていただくのは、至難の技なのかもしれない。




