舞台から去るまで (雨宮吾子 作)
窓ガラスにくっつけた素足が真夏の日射しを存分に浴びている間、彼女は何事かを考えていた。千々に分裂しつつある自我を何とか縫い止めながら、何事かを考えていたのだ。その運動の極点に達し得ていない今だからこそ、自分の人格がとうとう女としての属性を帯びてしまったことについて、動揺することができた。彼女にしてみれば、自分はこの人生を人間として生きてきたのであって、必ずしも女として生きるべきだとは思っていなかった。だが、俗世間の男はどうしても彼女を女というものに仕立て上げたいものらしく、性悪説よろしく彼女は女として生まれながら女として目覚めていないだけなのだという論法で、これまでに幾人もの男が迫ってきた。
生の極点への道を歩むことは自然とそこに付きまとう死を思わせるもので、彼女は走馬灯のように今までの人生を思い浮かべていた。両親の顔がまず浮かんだが、そこに罪悪感を覚えることはなかった。彼女がこの世に生を受けたとき、やがてはどこかの男に明け透けな姿を晒す運命にあることを彼らは知っていただろうか。それはもちろん知っていた。だが、彼らが思い浮かべたのは彼女が築き上げる家庭の美しさであって、その過程の醜さは全く無視されていた。彼女は、自分の醜い姿を彼らに見せつけてやりたいくらいには強く、また人生を自分のものとして生きてきた。だから新しい性質を帯びた自分の人格について、彼女は悲嘆することはなかった。
彼女が凡俗と思っているこの男は、世間では重用される類の人物だった。仕事も恋も手抜かりなく、自分の欲するものへ至る最短の道について熟知している男だ。あるとき、男はこんなことを言った。
「恋は盲目と最初に言った人物は偉大だな。唇を重ねる心地良さに比べれば、君の瞳の美しさはどうということもないさ」
気障なセリフ、と思いながらも彼女は身を捻った。まず間違いなく快い気分ではないが、不快に思うほどのものでもない、不思議な居心地の悪さがあった。それが今では肌身を接しているのだから、それこそ不思議なものだった。
海に行きたいと言ったのは彼女の方だった。彼女は不意にそのことを思い出して、せっかくここまで来たのだからと海を見ようとした。そのためにいつかのように身体を捻ったとき、男はそれを一つの合図と捉え、彼女が珍しく積極性を発揮したものと思い込んでにやりと笑った。彼女はそれを見ないふりをして、物陰に停められた車の中から、先程まで素足をくっつけていたせいで指紋が付いた窓ガラス越しに、何でもない海を眺めた。それはまさに、何でもない海だった。女として生きなければならなくなった今、己の身の内に意識した海と比べれば、外界の海などいかに波濤を打ち立てようとも、凡俗なものとしか映らない。何故、人はその向こうに理想を見るものだろうか、今の彼女は不思議でならなかった。……
『家に帰るまでが遠足です』
……鏡の前で汗ばんだ身体を拭うとき、どこかの誰かが言ったそんな言葉が思い出された。そして今まで何度も見てきた自分の顔が、何だか新しく生まれた人間の顔のように見えた。彼女も強がってはいるが、支離滅裂とした思考でいることは、その動揺の証拠であった。それにしても、その言葉には今の彼女の心に迫るものがある。全てが終わった後に縊られはしなかったものの、何か一つの生が終わってしまったような気分でいる。しかし、一日限りの小旅行は未だ終わったわけではないのだ。旅も半ばを過ぎて、後は帰るだけだと思い込んでいる男に何事かを言い含め、彼女は一人で砂浜の方へと足を踏み出した。
彼女には、以前から逃避したい欲求があった。どこか見知らぬところへ、見知らぬ景色のある場所へ、飛び去ってしまいたいと思うことがあった。それは地に足の着いた生活をしている者だからこそ、贅沢な欲求ではあった。このまま家に帰って、両親の顔を真正面から見ることもできないままに眠りに就いて、やがてあの男か、また別の凡俗な男と暮らさなければならないのかと思うと、夏の日射しに毛を浮き立たせるような思いがした。彼女が決心するのに、時間はかからなかった。彼女は思い浮かべたばかりの両親の顔に向かって今生の別れを突きつけて、身に付けている水着を砂浜に投げ捨てた。
周囲に人の気配はなかった。彼女が様子を伺ったのは、羞恥心のためではなく、これから行うことが止められはしないかという心配によるものだった。幸か不幸か、彼女はムルソーのことも知らなければカミュのことも知らない。だから唯一つの他者としての太陽に見つめられていることには気付かなかった。その太陽の眩しさも、今の彼女の新しい輝きには勝るものではなかった。そして彼女は、その女としての輝きを捨て、一人の人間としての生を全うするために、静かに海の中へと身体を進めていくのだった。
「舞台から去るまでが人生なのです」




