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【習作】描写力アップを目指そう企画  作者: 描写力アップ企画管理者
第五回 旅の一幕企画(2018.7.28正午〆)
152/268

ねじ伏せる、深緋の (狼子 由 作)

 目の前に広がる森はまさに花の盛りで、瑞々しい()()()の葉が風にそよいで心地よさそうに揺れていた。

 私の両手に余る程に大きい六芒星の形をした真紅の花がその隙間から顔を覗かせ、艶めく花びらを時折、ひらりと舞い散らせる。


 背負ったリュックの中、かさりと音が鳴った。食べ終えたサンドイッチの包みだろう。

 今となってはただのゴミだけど、この赤い森の中にゴミを捨てていく気にはなれない。


 いつの間にか、私の髪に花びらが引っかかっていたらしい。

 隣で甲冑姿の美女――騎士スヴァンフヴィートがくすりと笑って、伸ばした指先で鮮やかな紅を摘み上げた。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 正面に視線を戻せば、赤みのかかった視界がどこまでも続いている。

 それは、私の知る森の風景では決してなかったけれど――瞳より先に私の全身が理解していた。

 ここが、私の世界。私の生まれた場所なのだと。



 ()()は――私が両親だと思っていた人は、多分、私を愛したと思う。

 甘やかし過ぎもせず、虐待も放置もせず、ただ一途に私を育ててくれた。

 だのに、私ときたらどこか頼りない思いをずっと抱えていた。

 いつだって、地面から数センチ浮いているような気持ちだった。


 昨日は愛されていた。

 今日も愛されているみたい。

 じゃあ、明日は?


 不安定な私の違和感は、ある日私を訪った客によって唐突に瓦解した。

 普通の日本人の、一般的な3LDKの間取りの、何の変哲もない玄関に立っていたのは、明らかにこの国の――ううん、この時代、この世界の人ではない女性だった。


 長い金髪を一つに束ね、銀に輝く紋章の刻まれた青いブレストプレートを身に着け、重い両手剣を腰に佩いて。彼女は、ノックに応えて扉を開けた私に向け、スヴァンフヴィートと名乗った。

 端正な顔を上げ、ガラスのような青い目で私を見た後、私を追ってきた背後の両親へと向き直る。


「……通りすがりのお二方に長い間重い役割を託し続けていたこと、深くお詫び申し上げます」


 背中に感じる。

 母が息を吸う音。父の喉が詰まる音。

 スヴァンフヴィートはそのまま玄関先で跪き、深く深く頭を下げた。


「――合わせて、我らが玉座へ座るべき第一王女を、かくも立派に育て上げてくださったことに心より感謝を」


 途端、背中で獣の吠えるような慟哭が響いた。

 泣き崩れた母を、隣に立つ父の両手が支える。

 スヴァンは頭も上げぬまま、じっと2人が落ち着くのを待っていた。



 私は、スヴァンフヴィートと共に行く――ううん、()()ことを承知した。

 自分が王女だなんてすぐに信じた訳ではないし、今更玉座に相応しいなんて少しも思わない。

 けれど、この世界で足元が不確かな理由が、すっと胸に落ちたような気がしたから。



 旅立ちは慌ただしかった。

 小さなリュックにタオルと着替え、それに母が慌てて包んだ弁当箱と水筒だけを入れて家を出た。弁当箱の中身が、私の好きなハムときゅうりのサンドイッチなのだということを、私は経験から知っていた。

 玄関先でいつまでも見送る母の姿に、スヴァンフヴィートは角を曲がったところで改めて頭を下げた。



 スヴァンフヴィートの――私のいた異世界は、日本の()()にあると言う。

 それがトンネルのようなもので繋がれていることを、王国の一握りの人間だけは知っている。そこを通って赤ん坊の私を日本に亡命させたスヴァンフヴィートは、国が安んじられた今また、そこを通って私を連れ帰ろうとしていた。

 時空が()()()いて慣れない人は()()のだ、と――これは、スヴァンフヴィートの言葉だ。私は両目をぎゅっと閉じ、スヴァンフヴィートに手を引かれてトンネルを通った。

 温かくて少し荒れた指先に何かを思い出しそうになったけれど――それより先に、スヴァンフヴィートの声が私を呼んだ。


「……着きましたよ、姫」


 目を開けた時には、紅燃える森が視界に広がっていた。



 しばらく歩くと泉があったので、そこで休憩を取ることになった。

 紅の森に相応しい、緋色の泉のほとりで。


 森を抜け、その先の街道を行けば、後は王都まで馬車で移動するらしい。 

 私達の足元に広がる泉は青い空をちらりとも映さず、内側から湧き上がる濃い緋色に濡れている。


「喉が乾きませんか? どうぞ」


 勧められて、毒々しい泉から水を汲み上げ、両手に満ちた赤い液体に唇を近付ける。

 滑らかな液体が喉を通り落ちていった瞬間、喜びが内側から湧き上がった。

 この水――冷え切った深緋こきあけの滑らかな感触から、私は生まれたのだ。


 隣で微笑むスヴァンフヴィートへと視線を向けた時、リュックの中でサンドイッチの包みがぐしゃりと鳴った。

 母の泣き顔が脳裏を掠める。さっき食べたあれが、最後の母の料理になるのだと――上書きした水の味を喉奥に感じた瞬間に、瞳から押し出されるように涙が零れ落ちた。

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