エルヴェに降る雨 (七ツ樹七香 作)
※本作は作者ページでも加筆して公開予定です。
殺伐とした世の中だ。
親は子を売り、子は親を殺す。
母は子を愛さない。父も子を求めない。
気に食わなければ排除、茶飯事だ。
私はよどんだこの街が、心底嫌いでならなかった。
母は忘れた。死んだと聞いた。父はいるがよく知らない。
広い屋敷で育った私は、幸福も辛酸も知らぬまま――。
ただ、売られはしなかった。
「エルヴェ、お前は選ばれた」
父の口が三日月のようにとがって引き上がるのを、感慨なく眺めたのを覚えている。
人形のような子どもたちと机を並べ、学を授けられ、鞭を振りかざす大人から隷属と従順を叩き込まれた。
そして、この腐臭漂う街の「支配者たち」になることを命じられたのだ。
皆の顔は日に日に死んだ。
けれど、私の心は生きていた。
古い書架の隅で一冊の本に出会った時に、いつか旅立つと心に決めた。
この街から失われた「おとぎ話」に、憧れた。
懸命のふりをして劣ってみせて、私は落伍者になった。
人工物まみれの街で、なり手のない植物学者の座に収まれば、研究にかこつけた旅の許可は簡単だった。もう私がどこで野垂れ死のうと、誰も構わないのだ。
街の外は、穢れていると聞いていた。
触れれば指先を黒く汚す土、雑菌で汚染された水、何の映像も映さないつまらない空。自然の脅威に怯え、賎民の住む「ひどい世界」だと、そう教えられていた。
「見ろ、これが青いクソったれな空だ」
細めた目に日差しがしみて痛い。こわばった表情筋がぎこちなく動いてみせた。
古いスカイスクーターを駆り、外の世界を海沿いに西に向かう。
うしろに、少女を乗せて。
「エルヴェさん、なんて言ったの?」
「何も」
胴に回った細腕が、抗議するようにグッと強く締まった。
『お願いです。助けてくださいっ』
ファナとは四日前に出会った。
ボロをまとい肩をいからせた少女は、必死な青い目をしていた。
『トトの村へ、帰りたいんです』
無言でいると駆け寄られて、汚れた手が私の服を無遠慮に掴んだ。
『なんでもします、なんでもしますから』
少女は震えながら私の衣服を手繰り寄せるように、するりと腰に手をかける。その意図を汲んでゾッとした。むしるように手を引き剥がす。
『そんなこと、しなくていい』
彼女の肩はストンと落ち、途端に赤ん坊のように泣き出した。
目を腫らした少女を、気まぐれに愛機に乗せて今だ。
水辺で森で、標本でしか知らない樹木や草花をサンプリングし続ける。自分の仕事がこんなに面白いとは思いもしなかった。
「エルヴェさんは街が好き?」
街が遠ざかるにつれ緊張をほどいていったファナは、昼食に与えた携帯食を口にしながら少し甘えた声で尋ねた。
「……いや」
「じゃあ怒らない? あの街は、地獄だと聞いてたの」
「へえ、同じだな」
外は地獄だと。
「奴隷が足りないと人狩りに来るの……私も、それで」
私は、薄汚れた笑みが浮かぶのを恐れてうつむいた。
人狩りじゃない「人買い」だ。この少女は、奴隷として売られた。
親は子を売り、子は親を殺す。同じだ。
幼い日の憧憬は――、ここにもない。
「どうして村に帰りたい」
「お母さんとお父さんが、待ってる」
私は残酷な返事をしなかった。
「おとぎ話」は存在しないと知ったのに。
「なぜ、私が君を助けると?」
「エルヴェさんは、街の人の目じゃなかった。だから」
細い素足を抱えた少女は、そう言って膝頭に顔を埋めた。
無理に変えた話題に、疑いなくかろやかな声で……。
ファナはよく笑った。
体が汚れたと言っては川に飛び込み、湧き出る水を素手ですくって喉を潤した。咎めたが、彼女は平気らしかった。
私の飲む精製水をあまりにまずいと彼女がいうので、試しに生水を口にしたら、たちどころに腹を下した。やはり汚染されている。
「いい水なのに。エルヴェさん、ちょっと弱いんじゃない?」
からかう言葉に私は眉を寄せた。
確かに、水は不思議なほど甘く冷たく……美味しかったのだけれど。
「エルヴェさん、何か声が……?」
その日の採取の時だった。
森の奥に耳をすませば、数人の声がする。誰かを呼んでいる。
戦慄した。親兄弟のはずがない。奴隷一人に追っ手が?
ここは村から、まだ十マール以上離れている。
「おかあさんっ!」
叫んだファナが走り出す。追った。
背の高い草を分けて、木の枝に頬を打たれ、彼女を引きとめようと。
絶望から、救おうと――。
「ファナ!!」
棘だらけのヤブの先に居たファナは、母親らしき女の首にすがりつき、それをやつれた女が強く抱きしめ続けていた。
母は子を愛さない。父も子を求めない。
そうだろう?
稲妻に打たれたように動けない。
土汚れのついた女の頬に、滂沱の涙が流れて汚らしい。遅れて来た父親らしき男は指を組み合わせて祈り、顔をくしゃくしゃにして、妻と娘を力強く両腕で抱いた。
木もれ日が静かに彼らを照らしている。
あれが、『家族』だろうか。
「エルヴェさん、来て! お母さんも、お父さんも、お礼をしたいって!」
目の奥と、胸の奥底が、熱くて息苦しかった。
ああ、――雨だ。
2019/03/24 作者本人ページでも同作品を公開予定のため、注を追記




