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【習作】描写力アップを目指そう企画  作者: 描写力アップ企画管理者
第四回 サヨナラ相棒企画(2018.3.24正午〆)
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最後の七分 (冴吹稔 作)

 壁に掛けられた古風な機械式の鳩時計が十六時半を指した。象牙に似せた練り物の、小さな鳩がばね仕掛けで飛び出してきて、澄んだ声で一回だけ鳴いた。


 ティモシー・マクブライド警部補は作業中のワークステーションから顔を上げて眉根を揉んだ。

 彼は本日付けで定年退官することになっていた。この引き継ぎ書をまとめ上げて後任に渡せば、三十年続けた仕事もいよいよ終わり。明日からは悠々自適の毎日だ。


 といっても、今後の見通しはごく地味なものだ。帰るところといえば分署から徒歩十五分の、狭苦しいアパート。終日手入れをして過ごせるような庭も垣根も、お茶を入れてくれる伴侶もありはしない。


 ティモシーは首を振って目を閉じた――なに、俺の人生も最悪というほどじゃない。

 行きつけの店で買うバゲット風の自家製パン。それにお気に入りのハイランド・モルト――ほのかな泥炭(ピート)の香り。


 感傷に浸るティモシーの耳元で、ふいに小さな警告音(アラーム)が鳴った。年来の相棒、キースからの呼び出しだ。


「どうした?」


〈ティモシー、仕事を少し急いでください〉


「……何だ?」


 妙なことを言い出す、とティモシーは怪訝に思った。キースは人間ではない。分署のネットワーク・サーバー内に常駐した個人用のサポートプログラムだ。

 人間に極めて近い仮想人格を持ち、現在では対ティモシーに最適化されている。だがこれまでこんな風に彼の行動を指図してきたことはなかった。


〈二ブロック先の監視カメラが、不審な人物を捉えました。すでに一時間の間、付近を移動しながら当署の方向をしきりにうかがっています〉


「犯罪者データベースに該当者は?」


 形式的な質問だった。キースならその程度、自力で判断してとっくに済ませているはずだから。


〈ネイザン・コナー、麻薬密売の罪で12年前に収監。一週間前に刑期を終え、ベッドフォード刑務所を出ました。つまり前科者ですね〉


 ああ、それなら納得できる――ティモシーはうなずいた。コナーを逮捕したのは誰あろう、ティモシー自身だった。キースと組むようになる以前に挙げた、さほど多くない功績の一つだ。


「なるほど、大体読めたぞ」


〈ええ。市警の広報サイトがあなたの退官を報じたのは、コナーが出所した二日後でした。彼の意図は間違いなく、あなたへの意趣返しでしょう〉


 やれやれ、ひどいことになったものだ。ティモシーはぼやいたが作業の手はむしろ早くなった。

 出来あがったファイルをオフィスのネットワーク内に置かれた共有領域に保存し、後任者にはパスワードを記したメールを送った。終業。退勤まで十五分――


「終わったぞ。俺はどうすればいい、キース?」


〈いったん表玄関から出て、地下駐車場に向かってください。そこで彼を待ちましょう〉


「なるほど」


 ティモシーにも、キースの立てたプランは大体想像がついた。




 駐車場の薄暗がりには、数台の乗用車がうずくまっていた。その一台の傍らに立って、ティモシーは煙草に火をつけた。

 ひょろりとした長身の人影が、夕暮れの黄ばんだ光を背にこちらへ近づいてくるのが見えた。


 ネイザンは自分から先に声をかけてきた。


「久しぶりだなあ、マクブライドの旦那。元気そうで何よりだよ。あと十分早いが、退官おめでとう」


「何の用だ? ねぎらいの花束でももらえるのかな?」


「人を十二年もぶち込んどいて、そりゃ虫が良すぎだろ」


 ネイザンの右手にはいつのまにか、三十八口径のずっしりした拳銃が握られていた。


「両手を頭の上にあげな。ゆっくりだ」


 ティモシーはその通りにした。


「やっとこ楽隠居の身分になったところで、あんたは死ぬってわけ――」


 勝ち誇るネイザンの顔をふいに光が射た。


「うっ!?」


 たじろいで左腕を顔の前にかざした彼へ、無人の乗用車が突進する。


「突っこめ、キース!!」


 衝突を避けてバランスを崩し、ネイザンは無様にコンクリートの床に転がった。ティモシーはその機を見逃さず、飛びついて腕をねじり上げ手錠をかけた。


「残念だったな。十七時までは、この覆面パトカーは相棒がコントロールできるんだ……十二年前にはこんなものはなかったが、お前はムショの中で少々勉強が足りなかったな」


 いくら前科者でも、不審だというだけでは逮捕できない。ティモシーの退官後は、キースが彼を守ることもできない。


 だから、キースはあえてネイザンに手を出させたのだ。



「お疲れ様でした、ティモシー。退官おめでとうございます」


「ああ。ご苦労だった。お前さんはいい相棒だったよ」


 キースの通報で外回りの巡査たちが駆け付け、ネイザンを確保した。そして、残された七分は何事もなくゆっくりと過ぎていった。


「……何かあったら、いつでもご自宅の端末から呼び出してください。市民への行政サービスという形に限定されますが、これからもお役に立てると思います」


 ティモシーは無言で煙草に火をつけなおし、深々と吸った。時計を見ると十七時を一分回っていた。

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