門出の朝に (たびー 作)
どの曲にしようかな。
きっと再生できるのは、あと数曲だけ。記憶のリストの中から、慎重に選ぶ。
バラードは最後に取っておきたい。ラブソングがいいかな、だったら……よし、決めた。
腰をおろした丘のうえから、三角の小さなテントが螺旋状に建てられた集落が見える。中央の広場には村じゅうの人が集まって、煮炊きしている。
ここなら、奇妙な物を使うのを、見とがめられずにすむ。
こっちの『お母さん』が縫ってくれた衣装と帯の間から取り出したピンクのイヤホンを、耳にはめる。首を傾けると、ビーズを編みこんだ髪が頬にふれる。見上げる空には白い大きな真昼の月。
あたしはメタリックブルーのミュージックプレーヤーの電源をそっと入れた。
液晶ディスプレイの文字、薄いなあ……やっぱり使っていなくても、少しずつ放電するんだ。
リストから素早く曲を見つけて再生。音量を高くしすぎると電気を使うから、小さくしてしぼって。
大好きな男性ボーカルは、校舎の窓から片想いの子を見つめる男子生徒の詞を歌う。聴いているうちに自然に体が揺れる。懐かしい、通っていた学校の教室からの風景を思い出す。駅から遠くて、田んぼに囲まれていてコンビニだって近くにない。
何回も何回も聞いた。通学中も、宿題するときにも。あのころは、毎日が退屈で。代わり映えしない日々を恨めしくさえ思った。口うるさい両親と、決まらない進路にいら立って、世界なんか終わっちゃえって。けど……。
うん、とあたしはうなずく。
思い切って使って良かった。惜しんでいたら、もう使えなくなってた。
一曲目が静かに終わる。反応が鈍くなってるけど、長めのバラード。二曲目、聞けるかな。
かすかに浮かぶ文字をクリックすると、ゆったりとしたイントロが流れてきた。
しばし音に身をひたす。
ああ、ミュージックプレーヤー、傷だらけだ。
中一の誕生日に何が欲しい? って聞かれて、ミュージックプレーヤーってお願いしたら、手渡されたのが中古のこれ。エンジニアの父さんが改造した型落ちでみんなが使っているのより大きくてかさばる。
ダサ! って思ったけど、ずっと使った。通信機能はないから、みんなから離れて一人きりになれた。
……今は……みんなから離れてしまった。
とん、と肩を叩かれて慌てて目を開けると、先のとがった大きな耳に優しいとび色の瞳の彼がいた。褐色の肌に、長い黒髪。彼はあたしの隣に座る。あたしは彼の耳に羽飾りをかきわけて片方のイヤホンを入れてあげた。
一瞬、彼の目がパチクリしてあたしを見つめる。
どうかな、別の世界の音楽は。お気に召しまして?
そのまま彼の胸に寄りかかって、二人でだまって歌を聞いていた。彼の腕が、背中からそっとあたしを抱く。
ね、いい曲でしょう? プレーヤー、こんなに小さいのに何百も曲が入っているの。ところどころ色が剥げちゃっていて、あたしの扱いが乱暴だから、あちこちにキズがついて、みんなから今どき遅れてるって言われたけど、いつも一緒で。
音がちいさくなっていく、遠ざかっていく。
ディスプレイの文字がもう消えそう。
あたしは聞こえなくなっていく歌に合わせて歌った。
イヤホンをはずして、あたしは立ち上がる。かすかに聞こえていた歌はもう聞こえない。ただあたしの声だけが乾いた風に乗る。
集落と反対側の丘は、はるか下に一すじの青い川が流れている。イヤホンをプレーヤーに巻き付けて胸に抱きしめる。
ありがとう、知らない場所に来たあたしを支えてくれて。
スマホは「来る」途中になくしたから、これが向こう側の最後の痕跡。
あたしは思いきりプレーヤーを川へと放り投げた。きらりと光りを反射させて、プレーヤーは川の中へと消えていった。
さよなら、さよなら。
あたしを抱き止めた彼の胸に顔をうずめて涙をこらえた。大きな手が、あたしの頭をやさしくなでる。
まだ耳の奥に好きだった歌が聞こえている。
なんども大きく呼吸をする。胸から顔を上げてあなたを見上げる。
「ま、な」
あなたはまだ、あたしの名前を呼ぶのが精いっぱい。こっちに来て初めて会ったのがあなたでよかった。
あなたの正装に合わせて、あたしも色鮮やかな糸でビーズがたくさん縫い付けてある、特別な衣装。体をゆするたびに、チリチリと鳴る小さな鈴たち。
さあ、みんなのところへ戻ろう。今日の主役がいなくちゃ何も始まらないもの。
歌はぜんぶあたしの中にある。今日でよかったんだ。
あなたと手をつないで丘を下る。村のみんながあたしたちを見つけて手を振る。
……あたしはここで生きていく。




