子ギツネは忙しい
ティーナさんやウッドバウムと別れた私は、砦の廊下を爆走しながら隻眼の騎士を探した。
「せきがんのきしー! せきがんのきしー!」
こうやって目的の人物の名前を叫んでいると、通りすがりの騎士たちが居場所を教えてくれるから便利なのだ。
「副長なら、今そこで擦れ違ったぜ。階段を下りてったぞ」
「ありがとー!」
指さされた方へ向かうと、階段の途中で隻眼の騎士はこちらを振り返って待っていた。私の声が聞こえていたようだ。
「どうした? ティーナのところへ行っていたんじゃないのか?」
「うん、ちょっと、せきがんのきしにも聞きたいことがあって。あのね、昨日、レッカさんから『一人べやにしてほしい』ってたのまれたでしょう?」
隻眼の騎士はきょとんとした顔をして、私を抱き上げた。
「どうしてそれを?」
「ないしょ。それでね、レッカさんはどうして一人べやがいいって言ってたの?」
「ティーナが気にしてたのか」
「どーしてそれをっ!」
今度は私がそのセリフを言う番だった。
けれど冷静に考えれば、ティーナさんのところに行くと言った後にこんな質問をしていれば予想されるのも仕方がない。うっかりしてた。
「レ、レッカさんに言っちゃだめだよ」
私はあわあわと前足で隻眼の騎士の口を塞ごうとしたが、悲しいかな腕が短いので届かない。
「言わないさ。レッカは理由は言わなかったから俺も知らないな。問い質したが言葉を濁された。あまり話したくない理由のようだ」
「そうなんだ」
「だが、レッカに関しては俺も少し気になるところがあってな。こちらに移ってきたばかりだし不安もあるだろうと注意して様子を見ていたんだ。今回の件と関係があるかは分からないが……」
そこで中途半端に言葉を切る。
私は小首を傾げたが、隻眼の騎士の中でもちゃんとした答えが見つかっていないようで、考え込んだままそれ以上は言葉にしなかった。
「でも、レッカさんはけっきょく、へやは変わらないんだよね?」
「そうだな。理由によっては部屋の変更を許してもいいが、その理由を話さないんじゃ許可できない。レッカに限らず、他の騎士たちだって本当は一人部屋がいいだろうしな」
「わかった、ありがとう」
私はお礼に隻眼の騎士の頬を一度舐めると、お泊りの許可を取るために一旦母上のところへ戻る事にしたのだった。
住処にいる母上のところへ戻った私は、ティーナさんの部屋へ泊まる事になった事情を話して、母上に許可をもらった。
「まぁ、構わぬが。朝にはこちらへ戻ってくるのじゃぞ」
母上は人型になって私を膝の上に乗せると、顎の下をさわさわと撫でながら言った。ちょっとくすぐったい。
「レッカさんはどうして一人べやがいいんだと思う?」
母上にも意見を求めてみたが、「さぁ、知らぬな」と興味なさげに返された。
「そんなこと言わずに、いっしょにかんがえてよー」
膝の上でひっくり返ると、白くて綺麗な母上の手を前足で抱え、甘噛してよだれまみれにする。
「わらわは人間の気持ちはよく分からぬ。国王と話しておっても、なぜそういう考えになるのか理解できぬ時があるぞ。あれらの思考はややこしい」
「じゃあさ、精霊でにんげんのきもちがよく分かる人っている?」
本当はティーナさんたちの事をよく知っている支団長さんや隻眼の騎士、砦のみんなに相談するのがいいのかもしれないが、近い人間だとティーナさんが嫌がるかもしれない。だから精霊だったらいいかなと思って聞いた。
私も人間の気持ちには詳しいはずだけど、レッカさんは何を考えているのか、二人の仲を取り持つためにはどうしたらいいのか、大人の見解ってものが欲しい。
「人間の気持ちか。はて、そんなものに詳しい精霊はおらぬと思うが」
「父上はだめだよね」
それは私でも分かった。母上も深く頷く。
「あやつは無駄に長生きじゃが、人間の事にも他の精霊の事にも詳しくはないでの。……そうじゃな、人間の気持ちに詳しいかは分からぬが、相談するのならダフィネはどうじゃ? あやつは面倒見がよいし、よく精霊からの相談を受けておるぞ」
ダフィネさんか。大人だし、客観的に物事を見てくれそうだし、いいかも。
「わかった! じゃあちょっとダフィネさんのところに行ってくる!」
「わらわの子は忙しいの」
苦笑する母上からのキスを受け止めてから、私はダフィネさんのもとに向かった。
精霊同士だと移動術は成功しやすいのだが、こちらから彼女のところへ飛ぶのは初めだという事もあってか、やってみたけど失敗してしまったみたい。移動した先にダフィネさんはいなかったのだ。
代わりにそこにいたのは――
「お! ミルフィリアじゃないか!」
大きな黒豹の姿をしたヒルグパパだ。長いしっぽの先にはクガルグと同じように炎が灯っているが、燃えている勢いがクガルグより激しい。
人型で会う事が多かったので、豹の姿のヒルグパパにはまだ慣れない。のしのしと近づかれて顔を近づけられると、ちょっとびくっとしてしまう。
「ヒルグパパ。……それにクガルグも」
ヒルグパパの体の陰からすぐにクガルグも姿を現した。私を見ると、瞳孔を開いてしっぽを垂直に立て、嬉しそうにする。
クガルグからの歓迎の頭突きを胸に受けながら、私は呟いた。
「ここ、二人のすみかの火山だ」
クガルグたちの住処に来るのは初めてではない。火山といっても今は麓に近いところにいるようで、周りには緑の森が広がっている。縄張りのパトロールでもしてたのだろう。
ダフィネさんを思い浮かべる時にクガルグの事も無意識に思い浮かべてしまったから、こっちに飛んじゃったのかもしれない。ダフィネさんは一応、クガルグの母親だから。
「うぅ……」
頭突きを受けて転んだところにクガルグがさらに頬を擦りつけて大歓迎の気持ちを表してくるので、私はなかなか起き上がれずにいた。
立とうとしたら、こちらに寄りかかるようにして全力で頬擦りされるので、また転んでしまうのだ。
ヒルグパパは大きな声でこう言う。
「ミルフィリアからこちらへ来るのは珍しいな!」
笑ってないで、クガルグをちょっと落ち着かせてほしい。
と、その心の声が聞こえたわけではないだろうが、ヒルグパパはクガルグの頭を舐めて「その辺にしておくのだ」と注意をしてくれた。
しかしよろよろと立ち上がった私を見ると、その毛の乱れっぷりが気になったのか、首の後を噛んで引き寄せられた。
「どれ、せっかく来たんだ。毛づくろいをしてやろう」
いいです、今は毛づくろいいらないです、という気持ちでグルルと唸ってみたけれど、ヒルグパパには通じなかった。
地面にお腹をつくように座り、自分の太い前足の間に私の体を収めると、ヒルグパパは大きな舌で私の頭を舐め上げる。
ヒルグパパと私は向かい合っているので、この前クガルグにされたように毛が逆立つ事はない。
けれどクガルグのものよりさらにザラザラしている舌は、私の細く柔らかい毛をしっかり捉えるので、皮膚までぐいっと引っ張られる。
頬や目元、おでこを舐められると、皮膚が伸びて変な顔になるのだ。
それ自体はマッサージのようで意外と気持ちいいんだけど、ヒルグパパの舌はとっても熱くて私には辛い。舐められているところから溶けてしまいそうだ。
私は何度か逃げ出そうとしたけれど、その度前足で器用に体を捕らえられ、連れ戻される。
最終的にはこの前クガルグにされたようにホールドされ、しかもクガルグまで参加してきて、二人からこれでもかと毛づくろいされたのだった。
何この毛づくろい地獄は。




