ティーナさんの悩み
レッカさんが来てもウッドバウムが来ても、砦は変わらず平和――なはずだった。
けれど今日は何だかティーナさんの様子がおかしい。何かに悩んでいるような顔をしているのだ。一昨日、泉に行った時には、いつも通りの明るいティーナさんだったのに。
見張りの交代に行くのか、今も門の方へ向かってとぼとぼと砦の外を歩いているけれど、思い詰めた様子で表情は暗い。どうしたんだろう。
私はすぐにティーナさんに話を聞こうとしたけれど……
「あの、クガルグ、ちょっと」
困った事に、クガルグが私を毛づくろいしていて離してくれない。
地面に並んでごろんと横になり、私とウッドバウムが一緒にうとうとしていたところに現れたクガルグは、「こんにちは」と挨拶したウッドバウムを「おまえ、まだいたのか?」とひと睨みすると、いきなり前足を私の首に回して、後ろから頭をベロベロと舐め出したのだ。
逃げないようにホールドされた上での強制毛づくろいである。
「くるしいかも、首が……」
私の訴えを聞いていないのか、クガルグは延々と毛づくろいを続けている。そんなに熱心にやらなくても今日は寝ぐせはついてないよ。
ああ、ティーナさんが行っちゃう……。
「泉に行った時も思ったけど、本当に仲がいいんだね。可愛いな。でも雪と炎じゃ相性が悪いよね」
「悪くない!」
噛みつくようにクガルグが言う。
「そう? まぁ、性質は関係なく仲良しなのはいい事だよ。だけどクガルグ、あまりくっついているとミルフィリアがそろそろ暑くて茹だってきたみたいだ。それにもう少し腕を緩めてあげた方がいいかも」
ウッドバウムが心配そうに言う。
けれどその有り難い忠告を無視して、クガルグはずっと私の頭を舐めていた。後ろから舐め上げられると、毛が逆立っちゃうんだけどな。
そしてやっと毛づくろいが終わったと思ったら、今度は私の胸毛を探って埋もれていたネックレスを掘り出し、ペンダントトップの赤い石をウッドバウムに見せつけた。
「おれの目と、おなじ色」
「あ、本当だ。赤色だね」
「おれがあげた。ミルフィーに」
「そうなんだ。いいね。贈り物か」
もしかしてクガルグはウッドバウムを牽制しているのだろうか。しかしウッドバウムは幼児な私に恋愛感情なんて持っていない上に、ちょっと天然で鈍感なので、クガルグの嫉妬には全く気づいていない。にこにこしながら赤い石のネックレスを褒めている。
やがてクガルグもウッドバウムはライバルにはならないと悟ったのか、安心したように自分の毛づくろいを始めた。
あの、私の頭の逆立った毛を直して……。
クガルグが帰ると、私はティーナさんと話をするために門の方へ向かった。けれど今は門の前に誰も立っていない。門番のアニキも今日は違う仕事についてるみたいだ。
ティーナさんは門の隣にある小さな詰め所の方にいるのかも思って、そこの扉の前でお座りして大きな声を出してみる。
「ティーナさぁん!」
すると、すぐに扉が開かれ、ティーナさんが出てきてくれた。
「ミルちゃん、どうしたの?」
私を見るとほほ笑んだけど、やっぱりいつもの明るさはない気がする。
狭い詰め所から出てきたティーナさんは私の前でしゃがんだので、その表情を注意深く観察しながら単刀直入に尋ねた。
「ティーナさん、げんきないように見えたから、ようすを見にきたの。なにかあったのかなぁと思って」
「え、私……そんなに分かりやすかった?」
ティーナさんは自分の頬を両手で包んで眉を下げた。
「なやみごと?」
「うん、ちょっと……」
言葉を濁すティーナさんの手を元気づけるように舐めてから、顔を見上げて言った。
「わたしでよかったら、聞くよ!」
「ミルちゃん……」
普通の人間なら、こんな頼りない子ギツネに相談なんてと思うかもしれないが、そこで真面目に打ち明けてくれるのが純粋なティーナさんのいいところである。
「あのね、実は」
ティーナさんは寂しそうな声で話し始めた。
「昨日、見ちゃったの。レッカさんが副長と話しているところを。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、私の名前が聞こえてきたから思わず耳をそばだてちゃって……」
「レッカさん、せきがんのきしとなにを話してたの?」
うつむいて地面をじっと見たまま、ティーナさんは続けた。
「レッカさん、副長に部屋を一人部屋にしてほしいって頼んでいたの。私と同室は嫌みたい……」
そう言い終えて私を見た時には、ティーナさんは泣きそうな顔をしていた。私がおねだりの時にする瞳うるうるより、よっぽど深刻なうるうるだ。
私も思わず動揺してしまって、その場で意味なく右往左往したのち、しゃがんでいるティーナさんの膝に前足を置いて立ち上がった。
そしてティーナさんの目尻を舐めて、こぼれる前に涙を奪う。
ティーナさんに泣かれたらどうしたらいいか分からないよ。
「いやみたいって……。レッカさんがそう言ってたの? ティーナさんと同じへやはいやだって」
「いいえ、嫌とは言っていなかったわ。ただ、私と同室じゃなく一人部屋にしてもらえないかって言ってたの。私、気づかないうちにレッカさんの気に障るような事、何かしてしまったのかも」
「そ、そんなのわかんないよ。なにか、ティーナさんとはかんけいない理由があるのかもしれないし。ね?」
おろおろしながら言う。
「そうかな……」
しゅんとしたままのティーナさんをどうやって元気づけようかと考えている時だった。
「ティーナ! ミル様も」
タイミング良くというか悪くというか、砦の方からレッカさんがやって来たのだ。まだ距離があるので今の話は聞こえていなかっただろうが、噂をしていた本人が急に現れたのでびっくりしてしまった。
「レッカさん、どうしたんですか?」
ティーナさんは立ち上がって、ぎこちなく尋ねる。
一方、レッカさんはいつも通りの態度だ。ティーナさんに対して何か思っている様子はなく、苦笑しながら言う。
「警備、オルクスと交代したんだ。あいつ腹が痛いって。昨日、腹を出して寝ていて冷えたらしい」
レッカさんは他の騎士の事を「あいつ」と気軽に呼べるくらいは仲良くなっているようで、そこは嬉しいのだが、
「そうなんですか。もうすっかり夜は寒いですもんね」
ティーナさんの方はレッカさんに変に気を遣っている感じだ。嫌われているかもと思ったらそうなっちゃうよね。
だけどレッカさんはやっぱり、ティーナさんを嫌っている様子はない。一人部屋がいいって申し出たのは、何か違う理由があると思う。
私は二人の仕事の邪魔になるから帰ろうかと思ったが、ティーナさんが視線で『行かないで!』と懇願してくるので、しばらく門番をする二人に付き合った。
手持ち無沙汰で退屈そうなのに、ずっと門の付近でうろうろしてどこにも行かない私をレッカさんは訝しがっていたが、「せきがんのきしが見まわりから帰ってくるのを待ってるの」と言って誤魔化した。
が、しかし。
「副長なら執務室におられるはずですよ。今日は見回りの当番ではないので」
と冷静に言われて結局誤魔化せなかった。私は慌てて違う名前を出す。
「せきがんのきしは違った。えーっと、キックス」
最初は支団長さんと言おうと思ったが、支団長さんは基本的に砦にいる事が多いのでキックスの名を上げてみた。
しかしレッカさんは困惑しながら砦を指差す。
「キックスも中に」
「あー、ジルドも?」
「はい」
「グレゴリオは?」
「中です」
その後も次々に騎士たちの名を上げていくが、なかなか見回りに出ている人物に当たらなかった。ティーナさんがひやひやしながらこちらを見ている。ちょっと待って、次こそは当てるから。
「じゃあ、エノーは?」
「はい、エノーならこの時間は見回りに行ってます」
「やった!」
……じゃないや。そういうゲームじゃないんだった。
「私、エノーをまってるの」
私は堂々と言った。こういう時は自信満々に言った方が嘘がバレにくいのだ。
「そうなんですか。意外ですね。私が砦に来てから、ミル様とエノーが喋っておられるところはまだ見た事がなかったので」
エノーは顎に傷がある金髪の騎士だ。確かに隻眼の騎士たちに比べたら、エノーとの関わりは薄い。
前に喋ったのはいつだったかな。砦で一人で遊んでたらいきなり連れ攫われて、宿舎のエノーの部屋に十分ほど監禁されてひたすらモフモフされた時だったかな。
「ちょっと、用事があるの。エノーに」
「なるほど」
どうやらレッカさんもなかなか純粋というか、真面目系天然らしく、私の嘘を疑う事なく頷いてくれた。
もしかしたら精霊は嘘なんてつかないと思っているのかもしれない。ごめんね。
なんて心の中で謝っていたら、エノーたち見回りに行っていた騎士たちが帰ってきてしまった。
早いよ!
「お疲れ様です」
ティーナさんがちらちら私を見ながら、門の鉄柵を開けて馬に乗ったエノーたちを通す。
大丈夫、分かってるって。レッカさんと二人きりは気まずいんだよね。こうなったら、やっぱりエノーに用事はなかったという事にして――
「エノー、ミル様が用事があると」
「え、俺に?」
しかしレッカさんが親切にもエノーにそう伝えてしまったので、私は訂正できなくなった。エノーが何だか嬉しそうな顔をしているせいもある。
「何だよ、どうした?」
馬から下りると、片手で綱を引きながらもう片方の手で私を抱き上げる。そして厩舎の方に歩きながら、ティーナさんたちから離れて行ってしまったのだ。ティーナさんは心細そうな顔をしてこっちを見ている。
門から離れてしまい、ああどうしようと思っていたところで、ゆっくりと散歩をしていたウッドバウムと擦れ違った。
「あ、ウッドバーム! いいところに!」
私はウッドバウムに門のところへ行ってほしいと伝えた。
「門? 別に構わないけれど。僕、そこで何をすればいいの?」
「なにもしなくていいよ。のんびり座ってて」
何も知らないウッドバウムはよく分からないお願いに首を傾げつつも、ポクポクと蹄を鳴らして門の方へ向かってくれた。
これでティーナさんは大丈夫だ。
「で、俺に用って?」
わくわくした顔でエノーが言う。
私はとっさに頭を巡らせて答えた。
「あー……ジャーキーもってない?」




