レッカさんの謎(1)
ウッドバウムが砦に来た翌日、私は木陰で地面に座って、彼とのんびり会話をしていた。
「ウッドバーム」
子ギツネ姿の私が彼の名前を発音すると、牡鹿姿のウッドバウムは軽く首を振って発音を正す。
「ウッドバウム」
「ウッドバーム?」
「ううん、ウッドバウム」
「ウッドバー……ウッドバァム」
「惜しい。ウッドバ、ウ、ム」
「バ、ウ、ム!」
「そう、バウム」
「バウム!」
「ウッドバウム」
「ウッドバーム!」
駄目だ、戻っちゃった。悔しまぎれにごろんと転がり、芝生に体を擦りつけながらうねうねと動く。今日は天気はいいけど肌寒く、私にとっては心地いい気温だ。
ウッドバウムは奇妙な動きをする私をしばらくほほ笑ましそうに見ていたが、やがて目尻を下げて言った。
「可愛いなぁ」
我慢できないというように私のおでこをペロペロ舐める。鹿も毛づくろいとかするのかな。
「昨日のクガルグも可愛かったね。僕は木だし鹿だし、大きくなったらちょっと怖いけど、まだ小さくて」
クガルグは火だし豹だしね。
「僕も子どもを作ろうかなぁ。でもまだ早いかな。精霊の知り合いも少ないし。頼んだら、スノウレアは子作りに協力してくれるかな?」
「え! だ、だめだよ」
がばりと起き上がって言う。
「母上はわたしの母上だもん。それに母上には父上がいるから」
「父上?」
「そう、水のせいれいの父上」
父上の事を説明して、本当の父親のように思っている事を伝えると、やっぱりウッドバウムも他の精霊と同じように驚いた。
「おかしな考え方だけど、面白いね」
けれどもう母上の事は諦めてくれたようなので、私は安心して再び地面に寝転がる。するとちょうど鼻先のところで、細長い葉がたくさんついた雑草が一本生えていた。
それが風に揺れて私の鼻をくすぐると、むずむずと痒くなって、寝転んだまま「クシュッ!」とくしゃみをしてしまう。
その勢いに乗って口から飛び出してきたのは、小さな白い光の玉、つまり私の妖精だった。
妖精は自由に動ける事を喜んでいるみたいに空を飛び、地面を滑り、私の周りをぐるぐる回る。
「よかったね……」
自分の妖精の元気っぷりにはもう慣れたし、決して落ち着かせる事はできないとも学んだので、放置だ。好きにやって。
「すごいね、今、口から妖精を生んだ?」
ウッドバウムは目を丸くしてこっちを見ていた。
「うん、くしゃみをしたら出てくるの。いつもじゃないけど……」
あまり格好良くない妖精の出し方だけど、ウッドバウムは感心したように言う。
「へぇ、僕は手からしか生み出した事ないな」
そうして人型に変化すると、自分の右手を持ち上げ、手のひらを見た。
するとそこから、私の妖精より大きい深緑色の光の玉がゆっくりと出てきた。ウッドバウムが病にかかっているからか、光は濁っていて暗い。
「ウッドバーム、弱ってるのにようせい作らないほうがいいよ」
妖精は精霊の力を分けて作り出すものなのだ。作れば作るほど精霊の力は減っていく。
「いや、作るつもりはなかったんだけど――わっ!?」
戸惑うウッドバウムの手のひらから、続けて二個、三個、四個、と濁った光の玉が飛び出してきた。
「ウッドバーム!」
「どうすれば……っ」
結局、ウッドバウムが拳を握って妖精の放出を止めるまでに、十二の妖精ができあがっていた。大人の精霊が十や二十の妖精を作り出したって本体には大きな影響はないけれど、ウッドバウムは今、病気なのだ。不可抗力だったみたいだけど、たくさんの妖精を作ればその分疲れるに決まっている。
案の定、ウッドバウムは「うぅ……」と顔を青くして地面によろりと倒れてしまった。
「ウッドバーム、だいじょうぶ?」
「うん。しばらく休んでいたら回復してくると思う……」
「わかった、じゃあそのままうごかないで――ん?」
ウッドバウムと話している私の頬に、マリモみたいな緑の光がふわっとくっついてきた。
「ウッドバームのようせい? なに?」
何か用があるのかと振り返ったら、残りの十一の妖精たちも体にくっついてきて、私は全身に光るマリモを装備しているような、おかしな見た目になってしまった。
妖精たちは言葉を喋らないけど、私に対して好意を持ってくれているのは分かった。『かわいい、かわいい』と撫でられている感じ。
ウッドバウムは寝転んで疲れた顔をしたまま、うっすらと笑った。
「僕の妖精だから、僕と似ているんだね。ミルフィリアの事も可愛がりたいみたいだ」
それは嬉しいけど、こんなにたくさんの妖精に囲まれるとちょっと困るよ。動きにくいし。
しかもそこへ私の妖精も『なにしてるのー? まぜてー!』とばかりに参加してきて、うろちょろとまとわりつくので、私は一人で十三の妖精たちを相手に孤軍奮闘する事になった。
けれど、走って逃げてもすぐに追いかけてきて体に張りつかれ、前足でペンペン叩いたって怯まない。
どうしようかと思っていたら、急にウッドバウムの妖精たちが私から離れ、すごい速さで一斉にどこかへ飛んでいってしまった。
残った私の妖精も慌ててみんなの後を追いかけていく。
別にお前はついて行く必要ないんだよ!
「急にどうしたんだろう?」
ウッドバウムも訝しげに言う。
しかし妖精たちの目的はすぐに分かった。彼らの飛んで行く先に、騎士が二人歩いていたのだ。
ウッドバウムの妖精たちは、その騎士たちにポコポコと体当りして攻撃している。
「うわっ、何だ!?」
「光の玉? 妖精か。でもミルのじゃないみたいだ……ちょ、顔!」
一人の騎士は何故だか顔を重点的に攻撃されている。綿毛がぶつかってくるようなもので痛くはないみたいだけど、鬱陶しいのは間違いない。
「ああ、こら! 何をやっているんだ。駄目だよ、攻撃なんてしちゃ!」
ウッドバウムはよろよろと立ち上がり、そちらへ向かった。
「ウッドバウムか。何とかしてくれよ」
ポコポコと顔にぶつかられながらも、痛くないからか落ち着いた様子で騎士が言う。もう少し慌ててもいいと思うんだけど。
「待って、今体に戻すから」
そう言って、ウッドバウムは手のひらを妖精たちに向けた。
すると次々とそこに吸い込まれて、十二個のマリモは消えていく。上手く吸収できたみたい。
私も、ウッドバウムの妖精がいなくなって一人でブンブン飛んでいる自分の妖精に突撃すると、パクッと口で捕まえて飲み込んだ。冷たい光が喉を通って体に広がっていく。
力を取り戻して、ウッドバウムはホッと息をついた。
「よかった、上手く戻せて。ごめんね、騎士たち」
「面白かったし、いいよ」
「じゃあな」
騎士の二人は軽く手を上げて去って行く。
「どうして攻撃したんだろう。元気になるまでは迂闊に妖精も出せないな」
ウッドバウムがため息をついたところで、私はふと気づいた。目線の先で、木の根もとが浅く掘り返されている事に。
近寄って行って土の匂いを嗅ぐと、ウッドバウムの匂いと、そしてドングリの匂いが残っていた。
そういえばここは、私がリスのためにどんぐりを埋めた場所ではないか。
「ウッドバーム。ここのどんぐり、どうしたの?」
「え? あ……えっと」
ウッドバウムは目を泳がせた。
「もしかして、食べちゃったの?」
「……うん」
リスのために埋めたのにと言うと、ウッドバウムは鹿の姿に戻ってから、後ろめたそうに言い訳をした。
「ごめん、何だかお腹が空いちゃって」
「お腹がすく? せいれいなのに珍しいね」
私は人間の時の常識が残っているからか、毎日空くけど。
「びょーきのせいかな?」
「おそらくそうだと思う。食べる事でも少しずつ力を取り戻そうとしているのかも。僕は森を豊かに保とうと頑張っていたのに、お腹が空いてドングリを食べちゃうんじゃ本末転倒だよね。ドングリは木の子どもみたいなものなのに」
「だいじょうぶだよ。落ちてるどんぐりをウッドバームが毎日たべたって、木になる分はじゅうぶん残るよ」
今はドングリからでもいいから、とりかく栄養を取る事が大切なんじゃないだろうか。
「そうだ、とりでには森みたいにたくさんどんぐりは落ちていないから、ウッドバームにもごはんを用意してもらえないか、おねがいしに行ってみるよ。わたしはいつもお昼にごはんをもらってるんだよ」
「そうなんだ。迷惑ばかりかけて心苦しいけれど、僕も一緒に頼みに行くよ」
「うん!」
そうして二人で歩き出す。最初はウッドバウムと並んでゆっくり進んでいたけれど、私はそのうち一人でタッタッと駆けた。
息を切らせて十メートルほど進むと、後から歩いてくるウッドバウムを振り返って待つ。そしてウッドバウムが追いつくと、私はまた走って先を行き、再び振り返って待機。
それを繰り返しながら、料理長さんを探して調理場の方へ行こうとした。
調子が出てきたのかウッドバウムも軽く駆けると、角に茂った赤い葉が振動でひらひらと落ちていく。
「え、わっ!」
しかし二人で楽しく走りながら砦の裏手へ来たところで、目の前にあった鉄の扉がいきなり開かれた。
私はびっくりして急停止し、少し後ろを走っていたウッドバウムも止まる。
扉から勢いよく外へ出てきたのは、レッカさんだった。
防衛のためか裏の扉は小さめに作られているので、レッカさんの身長だと頭が擦れるぎりぎりだ。
レッカさんは心なしか青い顔をしている。まるで中でおばけに遭遇してしまって、急いで外へ逃げてきたみたいな感じ。
レッカさんは私たちに気づく事なく、外へ出た途端に何故か高速でスクワットを始めた。
一体、何事?




