木の精霊ウッドバウム(2)
「ウッドバーム、クガルグが……」
「ん? 何だい?」
ウッドバウムが小首をかしげて私を見た瞬間、黒い子豹がウッドバウムの背中に着地した。
「うわぁぁ!?」
しかしクガルグの気配に気づいていなかったウッドバウムは突然背中に降ってきた物体に驚いて、前足を大きく持ち上げ嘶いた。
その拍子にクガルグは地面に転がり落ちて、そして私の体は何故か――
「え、なになに……っ!?」
突如地面が盛り上がったかと思えば、そのままぐんぐんと上昇していた。
「ミル!」
隻眼の騎士の背を超え、三~四メートルの高さになったところで上昇は止まったが、私の周りには緑の葉が生い茂っていて周りの景色は見えない。足やお腹の下には細い枝が通っていて、体を支えてくれている。
……これは、木?
どうやらウッドバウムが驚いた瞬間に、私の足元から木が生えたようだった。
そっと下を覗いてみると、木は地面から真っ直ぐに生えているものの、三本の幹が螺旋を描きながら絡まり合って伸びているみたい。ちょっと変わった形の木だ。
「た、たかい……」
私は太い枝に乗っているわけではなかったので足元は不安定で、あまり動くと落下しそうだった。
「ミルフィー!」
初対面のウッドバウムに気を取られていたクガルグだったが、私が木の上にいると分かるとすぐに登ってきてくれた。相変わらず木登りが上手だ。
しかし枝を揺らしながら私のもとまでやって来てくれたはいいが、クガルグだけでは私の救出は難しかった。私の首の後を噛んで引っ張ろうとしているようだが、体の大きさがあまり変わらないので上手く行かないのだ。
「ま、まって、クガルグ。うしろの足が枝にひっかかってる」
クガルグはそれでも力技でどうにかしようと、ひたすらぐいぐい引っ張った。
けれどわさわさと茂った葉の中、子豹と子ギツネとで四苦八苦していると、その体重に耐え切れなくなった枝がついにぽきりと音を立てて折れてしまう。
「あっ……」
落ちる! と思った時にはもうクガルグと一緒に落下していて、ばさばさと葉を撒き散らしながら、枝と枝の隙間を縫って、地面へと真っ逆さまに落ちていた。
「ミル!」
けれど枝と葉の密集地帯を抜けると、騎士たちが私たちを受け止めようと待ち受けてくれていた。
中でも一番正確に落ちてくる場所を見極めていた隻眼の騎士が、地面へ激突する前に私たちをキャッチする。
「わぁぁ、そっちか!」
ウッドバウムも背中で私たちを受け止めようとしてくれていたみたいだけど、見当違いの場所に待機していたらしく、慌ててこちらへ駆けて来た。天然なのかな。
「ごめんね、驚いて力を使っちゃったみたいだ。大丈夫かい?」
鹿の姿のウッドバウムは、隻眼の騎士の腕の中にいる私とクガルグを覗き込んで言った。私たちの毛についた葉っぱを口で取りながら、ついでにもしゃもしゃと食べていく。
「うん、だいじょうぶ」
頭に乗った葉を食べてもらいながら答えた。あ、毛まで口に入れないで。
周りを見ると、ティーナさんやレッカさんもこちらを見てホッとしている。そしてレッカさんはポケットから小さく折りたたまれた紙を取り出すと、クガルグを見て、
「炎の精霊様の子か……。注意事項は『長時間くっつかれてミルが暑そうにしていたら引き離す事』」
と呟き、クガルグへの対応を予習している。あれは支団長さんから受け取っていた精霊の資料だな。
と、そこで知らせを受けた支団長さんもやって来た。
「鹿か……」
支団長さんは氷の仮面を被りつつ、ウッドバウムを見て少し頬を紅潮させる。動物が増えた嬉しさが滲み出ている。
私はもう一度支団長さんやクガルグにウッドバウムの事を紹介して、事情を説明した。
結果、支団長さんは頷いてウッドバウムの滞在を許してくれた。精霊に恩を売っておくのは、人間にとっても悪い事ではないもんね。
「よかった。よろしく頼むね。僕の事はあまり気にしないで、いつも通りに仕事をしてくれていいから」
敷地内で鹿がまったりしていたら結構気になると思うけど、とウッドバウムの言葉を聞いて思う。特に支団長さんはそわそわして落ち着かない日々を過ごす事になるんじゃないかな。
「おまえ、毛がみだれてるのも病気のせいなのか?」
隻眼の騎士の腕から下りて、ウッドバウムの周りを警戒気味に回っていたクガルグが尋ねた。クガルグは綺麗好きだから、毛皮の乱れとか汚れには厳しいのだ。
確かにウッドバウムの短い毛は、所々くすんだように汚れていたり、毛艶がなくパサついていたり、寝起きの私みたいに変なところで跳ねていたりする。人型の時の髪型を考えると、前髪の辺りがくせ毛なのは元からのようだけど。
「そうなんだ。昔はもっと綺麗な毛並みだったんだけど」
しょんぼりとウッドバウムが言うと、会話を聞いていたレッカさんが遠慮がちに申し出た。
「あの、精霊様、もしよろしければ体をお拭きしましょうか?」
「ブラッシングもできますよ」
続けて発言したのはティーナさんだ。ウッドバウムは茶色の瞳を軽く見開いて答える。
「ありがとう。人間に優しくされるなんて。それで綺麗になるかは分からないけど、お願いしようかな」
「では、少しお待ちください」
レッカさんは丁寧にお辞儀をしてから、ティーナさんと一緒にタオルやお湯、ブラシを取りに行った。
そして用意が整うと、他の騎士たちと協力してウッドバウムを綺麗にしていく。
「わ、そこくすぐったいな、ふふふッ」
ウッドバウムは最初、足をじたばたと踏み鳴らしたり、短いしっぽをプルプル震わせたりして身をよじっていたけど、そのうち慣れてきたようだった。
「結構気持ちいいかも」
「でしょう?」
ティーナさんは馬用の大きなブラシでウッドバウムの毛を梳きながら言う。そして私もどさくさに紛れて、手の空いていた隻眼の騎士に私用のブラシでブラッシングしてもらった。
ブラシで頭や背中を撫でられると、芝生の上にぺたっと腹ばいになりながら四本の脚を伸ばし、お餅のようにとろんと伸びていってしまう。背中が終わるとひっくり返されて、今度はお腹コースだ。
クガルグは他人に触られるのはまだあまり好きじゃないようで、自分で毛づくろいをしている。
支団長さんがさっきから羨望の眼差しで私やウッドバウムに触れているみんなを見ているけど、いざ自分がブラッシングをするとなると理性が決壊してしまうと分かっているのだろう、ギギギと奥歯を噛みつつも輪から外れた場所から動けないでいる。
背後から支団長さんの黒いオーラを感じつつもみんなが気づかない振りをしている中、濡れタオルで一生懸命ウッドバウムの体を拭いていたレッカさんが汗をぬぐって言った。
「なかなか汚れが取れませんね」
ウッドバウムの毛並みは、みんながどれだけ拭いても、ブラッシングをしても、一向に綺麗にはならなかったのだ。相変わらずボサッとしたまま、くすんでいる。
「うん、やっぱり僕自身が力を取り戻さないと、綺麗にはならないみたいだ」
ウッドバウムは残念そうに言うと、今度は笑顔になってこう続けた。
「だけど体を拭いてもらって気持ちよかったよ。どうもありがとう」
すると何となくだけど、毛の乱れが少しだけ収まった気がした。みんなに優しくされて元気が出たのかな?
憔悴したような雰囲気もなくなって、まだ疲れているような様子ではあるけど、表情も明るい。
「よかったね。しばらくここにいれば、きっと元気になるよ」
私は仰向けになって隻眼の騎士にお腹をブラッシングされながら、のんびりとそう言った。
ウッドバウムは「うん」と頷きつつ、
「……だけど、ミルフィリアはちょっと人間に気を許しすぎかも」
と笑われたのだった。




