木の精霊ウッドバウム(1)
「嫌じゃ」
母上は即座に拒否をした。
素気ない!
「木の精霊じゃから、わらわはそなたの気を不快には感じぬ。ヒルグに側におられるよりはよっぽどよいが、しかし他の精霊に縄張りにずっと居られては気になって仕方がない。よそへ行っておくれ」
母上はあっさりとそう言って、住処へ帰ろうとした。
「そんな、お願いだよ。もう歩けない。移動術も上手くいかないし」
「知らぬ。大人の精霊ならば自分で何とかせよ」
取りつく島もなく母上はウッドバウムに背を向けて歩き出した。母上らしい対応だけど、見捨てられて瞳をうるうるさせているウッドバウムは可哀想だと思う。五十歳で巣立ちしたと考えると確かにもう二百歳近い立派な成人男子精霊なわけだけど、このまま放っておく事もできない。
「母上、あの人かわいそうだよ」
私はタタッと駆けると母上の前に回り込み、訴えた。
「大人でも、びょうきはつらいし」
熱がある、というわけではなさそうだけど体は疲れているみたいだし。風邪くらいしか引いた事がないとはいえ、前世で人間だった私は病気の大変さを理解できる。
それに、病気の時の心細さも。
病気の時って一人だと不安なんだよね。母上にはよく分からない感覚かもしれないけど。
「母上……」
くん、と鼻を鳴らして母上を見上げる。
母上は口をきゅっと閉じて数秒考えていたけど、やがて困ったように小さくため息をついた。
「仕方がないの。わらわも丸くなったものじゃ」
私たちがウッドバウムのもとに引き返すと、彼はおずおずと口を開いた。
「僕、ここにいていいの?」
「許してやろう。しかし、そなたは雪とは相性が悪いのではないか? これから冬が来ると、この山は木にとっても厳しい環境になるぞ」
「確かに、木は寒すぎると生きていけない」
肩を落としたウッドバウムに、私は一つ提案をした。
「ねぇ、だったら北のとりでに来るといいよ」
麓に下りればここより少しは寒さもマシになるが、土や水はここと変わらず綺麗だし、ウッドバウムにとっても過ごしやすい環境になるんじゃないかと思った。
ウッドバウムを滞在させていいかどうかは隻眼の騎士や支団長さんに聞いてみないと分からないけど、とりあえず連れて行ってみよう。
「砦? 人間の兵士がいるところ?」
ウッドバウムは不安そうに言った。
「そうだよ。みんないい人だから、ウッドバームにもやさしくしてくれるよ。……あ、でも、あの、みんな木はきる、けど。だんろにまきが必要で、さむいと人は死んじゃうから……」
恐る恐るそう伝えたが、ウッドバウムは怒り出す事はなかった。
「分かってる、大丈夫だよ。過剰に切るのでなければ、人の役に立つのもいいと思う」
そう言うと、しゃがんで私と目を合わせてくる。
「人間を庇うなんて珍しいね。君は人間が好きなの?」
「……うん、すき。母上もこの国の王さまとかに協力してるから」
私一人が異常だと思われないように、母上も巻き込ませてもらった。
ウッドバウムは納得して言う。
「ああ、親が人間と関わりを持っていると、子もそうなるんだね」
「ウッドバームは、人間きらい?」
「嫌いじゃないよ。一部の人間たちには失望してしまったけど、だからといって攻撃したりするつもりはない。砦に連れて行ってくれるのなら、大人しくしているよ」
「うん。じゃあ、わたしがつれて行ってあげる。母上、いいでしょ?」
振り返って訊くと、母上は頷いた。そしてウッドバウムに向かって言う。
「ウッドバウム、わらわの子に迷惑をかけるでないぞ」
「うん、ありがとう、スノウレア」
迷惑がかかるのは北の砦のみんなだと思うけど、とりあえず精霊間では話がついたので、私はウッドバウムと一緒に移動しようと彼の脚にぴょんと飛びついた。
しかし上手く爪を立てられなくてずるずる滑り落ちる。
さらにもう一度飛びついて滑り落ちてを繰り返したところで、不思議そうな顔をしているウッドバウムにお願いした。
「だっこして……」
「あ、そういう事か」
私が何をしようとしているのかやっと気づいた様子で、私の体を持ち上げる。
「わぁ、ふわふわだね!」
白い毛皮にすりすりと頬ずりをするウッドバウムに、母上が「あまりべたべた触るでない!」と怒っていた。
「いい? いどうするからね」
「うん、お願いするよ」
母上に「行ってくる」と声を掛けて、私は隻眼の騎士を目指した。ウッドバウムを巻き込みながら体が吹雪に変わっていく。
そしてあっという間に、私とウッドバウムは北の砦に着いていた。
「外だ。せきがんのきしは……」
ウッドバウムの腕の中から首を伸ばすと、隻眼の騎士は片手に箒を持ち、びっくりした顔でこっちを見ていた。どうやら落ち葉を集めて掃除をしている最中だったみたい。
「ああ、ミルか。驚いた」
隻眼の騎士からはウッドバウムの背中しか見えなかったようだ。いきなり目の前に知らない男が現れたらびっくりするよね。
振り返ったウッドバウムをじっと見てから、再び私に視線を戻して言う。
「彼は? 精霊か?」
「そう、木のせいれい! ウッドバームっていうの」
「ウッドバウムね、バウム。こんにちは人間。君、大きいね」
ウッドバウムは片手を上げて隻眼の騎士に朗らかに笑いかけた。
「何だ何だ?」
「ミルがまた新しい精霊と一緒にいるぞ」
「そろそろ俺たちも慣れてきたな」
隻眼の騎士の後ろには、他の騎士たちも十人ほどいる。みんな箒やちりとり、落ち葉を入れる大きな袋を持っていたりして、庭掃除スタイルだ。奥の方にはティーナさんとレッカさんもいて、何事かとこちらに近づいて来る。
私はみんなにウッドバウムを紹介して、この砦に連れてきた経緯を説明した。
「それでね、元気になるまで、ウッドバームをここにいさせてあげたいの」
「お願いだよ、人間たち。仕事の邪魔はしないから、庭の隅にいさせてほしいんだ」
私とウッドバウムが頼み込むと、レッカさんが隻眼の騎士との間に入ってくれた。
「グレイル副長、私からもお願いします。精霊様の頼みを無下にする事はできません」
「分かっている。困っている精霊を追い出す事はできないだろう。支団長と、団長や陛下たちにも確認をしなければならないが、おそらく皆同じ意見だろう」
そう言うと、隻眼の騎士は他の騎士に支団長さんを呼びに行かせた。ウッドバウムはにこにこと笑顔を見せて感謝を伝える。
「ありがとう、人間たち」
そしてちらっと私を見ると、
「僕もミルフィリアのように、基本は動物の姿でいた方がいいかな。そちらの方が人間たちも受け入れやすいかも」
独り言のように言って私を地面に下ろし、姿を変化させた。
ウッドバウムは獣型だと牡鹿になるようだ。人型だった時と同じく、体はすごく大きいわけではないが小さくもない。
体色も茶色で一見すると普通の鹿だけど、角だけは特徴があって、木でできている。鹿の角の形の木が頭から生えているのだ。葉っぱもついていて、今は紅葉して赤く染まっている。
「こーよーしてる」
人型の時と同じようににこにこしている牡鹿を見上げて呟く。
他人の頭を見て風流だと思うのは初めてだ。
「そうだよ、今は晩秋だから。でももうすぐ散ってしまうんだ。春にはまた若葉が生い茂るけれどね」
「へー」
私とウッドバウムがそんな会話をしていた時だ。ウッドバウムの背の上で、赤い炎がポッと灯った。
移動術でクガルグがこちらへ来ようとしているのだ。




