侵入者
住処のほら穴の奥がどうなっているのか、私は知らない。外の光が届かないところには、怖くて足を踏み入れていないからだ。
しかし今日こそは、このほら穴の秘密を暴こうと思う。
勢いに任せれば行けるのではないかと思って、ほら穴の入り口からダッシュで奥へ駆けていくが、やっぱり暗闇に包まれると怖くなって、きゃー! と小さく声を上げつつ身を翻す。
そのまま入り口まで戻ると再び体を反転させて奥へと走り、またきゃー! と戻ってくる。
まぁまぁ楽しい。
「ミルフィリア、何をしておるのじゃ」
寝床に座ったまま、キツネ姿の母上が不思議そうに言った。
私はハッハッと息を切らせて母上のもとに帰還する。
「おくの方の、くらいところが気になって。なにかいるかもしれないし、もしかしたらすごい宝石とかあるかも」
人が足を踏み入れていない場所というのは怖くもあるし、わくわくもする。
暗闇の恐怖が私を阻むけれど、ほら穴の奥にはロマンが詰まっているのだ。
しかし、いつか必ず全てを暴いてやると息巻いたところで、母上はあっさりと答えを言おうとした。
「奥には何もおらぬし、何も――」
「ま、まって!」
「――ない。ここを住処と決めた時に、わらわがちゃんと調べておるからな」
ガラガラと音を立てて私の夢とロマンが崩れていく。
「まってって言ったのにー!」
うわーんと声を上げながら、母上に向かってガブガブと噛む振りをする。
しかし残念ながら母上はちっとも怖がってくれない。のんびりとあくびなんてしている。
「ミルフィリアは宝石に興味があるのか? ヒルグが持ってきたものも大切にしておったな。人間と一緒にいるせいか、人間と似た価値観を持つようになったのかもしれぬな」
それが悪い事とも良い事とも言わないで、母上は立ち上がった。
「ほれ、あそこにつららがあるぞ。あれも宝石と似たようなものじゃろう」
ほら穴の入り口に垂れ下がっている長いつららを見て言う。
つららも綺麗だけど、宝石とは違うんだよなぁ。溶けちゃうし。食べたら結構美味しいんだけど。
「あ、でも、あれ。あのいちばん長いやつほしい」
「母が取ってやろう」
母上はぐっと伸びをしてから入口の方へ向かっていったが、途中でふと足を止めた。斜め上の方を見て、神経質に耳を動かしている。
「どうしたの?」
「何者かが山へ入って来ているようじゃ」
少し低い、警戒しているような声で言う。
「この気配は……精霊のような、そうでないような。人間ではなさそうじゃが」
母上と一緒に私も首を傾げた。鈍感なせいか、私は誰かが山に入って来ている事さえ気づかなかった。
「だれだろう?」
不安に感じながら、侵入者の正体を確かめるために母上と山を下っていく。一生懸命走ったけど、足の早い母上との距離が空いてしまい、しかも途中で柔らかい雪に埋もれてしまった。出ようとしても、砂のように周りの雪が崩れてきて出られない。
私は慌てて高い声で鳴いて、母上に救助を要請する。
と、母上はすぐさま引き返してきて私を雪の中から脱出させてくれた。首の後ろを噛んだままポイと背中に放って、そこに私を乗せる。
落っこちないように私が母上の背中に張りつくと、母上は真っ白な景色の中を突き進んでいった。
山の中腹辺りまでくると、雪が積もっていない部分も出てきて緑も多くなってきた。
母上は針葉樹の森に入るとすぐに速度を落とす。
「おったぞ、あそこじゃ」
母上が鼻を向けた先に私も目をやった。そこには男の人が一人、木の幹に手をつきながらよろよろと歩いていた。
斧は持っていないけど木こりのような格好をしていて、森の中にいても違和感はない。
しかし母上の言うように人間ではない感じもする。
「弱々しいが精霊の気を感じる」
母上はそう断言し、厳しい顔をすると、ずんずんと侵入者に向かって歩いて行った。私は母上の背から降り、後からついていく。
足音に気づいた侵入者も顔を上げてこちらを見た。
「雪の精霊……?」
そう呟いた男の人の声も、顔も、穏やかで優しそうだった。身長は大き過ぎもせず、小さくもない。
髪は温かみのある緑色で、短めのくせ毛。襟のないダボッとした白いシャツには、首元や胸の辺りに緑の糸で植物の刺繍がしてある。皮の手袋、サスペンダーをつけていて、下は深緑色のズボンに茶色いブーツだ。
オシャレな木こりって感じだけど、服は汚れていて表情には元気がない。
憔悴しているように見えたけど、侵入者は母上の後ろに私の姿を見つけると頬を緩ませてふんわり笑った。
「あ、子どももいる。可愛いなぁ。僕、子ども好きだ」
平和な笑顔でこちらに近づいてきた侵入者を、母上が牙をむき出し、唸り声を上げて威嚇する。
「わらわの子に近づくでない!」
「ご、ごめん。そんなに怒らないでよ」
侵入者はぴたりと足を止めて立ちすくんだ。あまり気は強くないみたいだ。
「わらわは雪の精霊スノウレア。そなたは誰じゃ? 何故勝手にわらわの縄張りに入ってきた。答えによってはただでは済まさぬぞ」
いまにも噛みつかんばかりに母上が凄むと、相手は冷や汗を浮かべて弁解した。
「ま、待ってよ。僕は木の精霊のウッドバウムだ」
「ウッドバウム? わらわが一度会った事のあるウッドバウムとは違うようじゃが」
「あなたが知ってるのは、たぶん父じゃないかな。父は僕が巣立ちする時に名前を譲ってくれたんだ。僕にはまだ早いって言ったんだけどさ」
「それでそなたの目的は?」
母上はウッドバウムを睨みつけながら言った。ウッドバウムは居心地悪そうに体を小さくして答える。
「睨まないで。僕は争いは嫌いなんだ。勝手にあなたたちの縄張りに入ったのは悪かったけど、別に奪ったりするつもりはないんだよ。ただ綺麗な土地を求めてあてもなく歩いていたら、ここに辿り着いただけなんだ」
「きれいな土地? どうして?」
私は母上の体からひょっこりと顔を出して尋ねた。
ウッドバウムは私を見て頬を緩めると、説明を始める。
「僕は巣立ちしてから百五十年になるけど、住処をポルポアの森に決めてから、ずっとそこで暮らしていたんだ。ポルポアって国、知ってる? 君はまだ小さいから知らないかな?」
保父さんのように優しく私に言いつつ、次には悲しそうな顔をする。
「でも、十年くらい前から森の伐採が進んでしまってね。人間たちは昔から木を利用して生活していたけど、人間の数が増えたせいか、最近は際限なく切り倒してしまうんだ。それに森の周囲の町も発展してきて、昔のような清浄な環境じゃなくなってしまった。近くの川の水も汚くなったし、人間はまだ気づいていないかもしれないけど、土も空気も、森に降る雨も汚れている」
この世界でも環境問題ってあるんだなと、疲れた顔をしているウッドバウムを見て思う。
「水、土、光、そして適切な気温。木が元気に成長できるかどうかは周りの環境が大切なのに、人間の活動はその環境を壊してしまう」
人間が体に悪いものばかり食べていると体調を崩してしまうように、木もバランスの取れた環境にいなければ病気にかかりやすくなるようで、ウッドバウムの住んでいた森には病気が広がっていったのだという。
「この十年、枯れてしまった子たちに力を与えたり、病気の子を直したり、人間に直訴してみたりしたけど、もう疲れてしまったんだ。人間たちは自分たちの発展のために森を壊すのは仕方がないんだって言うだけだし、それどころか僕にもっと木を生やしてくれと頼んでくる」
彼は優しそうな精霊だから、母上のように恐れられてはいなかったのだろう。しかしそのせいで、どれだけ木を切ってもまた生やしてくれる都合のいい存在のように思われていたのかもしれない。
ウッドバウムはくせ毛の髪を手で梳いて言った。
「たぶん僕も病気にかかっているんだと思う。髪はパサパサだし、服や肌の汚れも何故か取れない。移動術も変なところに飛んでしまったりして、力も上手く使えないんだ」
「精霊が病にかかる事もあるのか。どうりでそなたの気は弱々しい。ほとんど感じ取れぬほどじゃ」
侵入者を警戒していた母上の声に、少しだけ同情の色が混じった。
「そう、けれどおそらく清浄な土地にいれば治ると思うんだ。現にここに来てから体が少し楽になった気がする。この辺りの土地は綺麗な雪解け水が大地に染みているから、それを吸っている木々たちも健康そうだ。冬は寒くて辛いから、もう少し暖かい方がいいとも言っているけどね」
ウッドバウムはすぐ隣に生えていた太い木の幹に手を当てて笑う。そして母上の目を見つめて、こう懇願した。
「スノウレア、慈悲深い雪の精霊。しばらく僕をこの地で静養させてほしい」




