握手
お昼ごはんを食べた後も、私は砦に残った。
いつもならみんなの午後の仕事が始まると、私も母上のところに帰ったり父上のところへ遊びに行ったりするんだけど、今日はレッカさんがどうしているか気になったので、様子を見てみる事にしたのだ。
午後はちょうど隻眼の騎士がレッカさんたちの訓練を指導するというので、見学の許可をもらって一緒について行く。
外の広い訓練場では三十人近い騎士がすでに集まっていたが、盾や剣を出してきて、まだ準備の最中のようだ。
待っている間は暇なので、隻眼の騎士のブーツにぐりぐり頭を擦りつけていたところ、遠くで二人の騎士が揉めている声が聞こえてきた。
キックスとレッカさんである。
「なんでそんな引ったくるみたいに取るんだよ」
「別にそんなつもりはなかった」
レッカさんの手には、訓練用の刃の潰れた剣が握られている。どうやらキックスがレッカさんにその剣を渡したみたいだが、受け取り方が気に入らなかったみたい。
「キックス……」
ティーナさんが止めに入るが、キックスはレッカさんを見て続けた。
「お前、この三日ずっとヤな感じだぞ。言ったろ、ミルの事はあんたに口出される筋合いはないって」
「分かってる。それは理解した。ミル様も特別扱いは望んでいないようだし……」
「じゃあ何だよ、他に俺らが何かしたかよ」
その問いにレッカさんが口を閉ざすと、キックスはいつになく真剣な声音で言う。
「女で騎士やるのって大変だと思うし、大体予想はつくよ。けど、あんたが今まで会った嫌な男の騎士と、俺らを一緒にすんなよ」
「キックス、レッカ、何をしている」
隻眼の騎士が止めに入ると、レッカさんは肩を落としてその場を離れた。
意気消沈している様子のレッカさんの後ろ姿を見てティーナさんは心配そうな目をし、振り返ってキックスを叱るように見つめる。キックスはバツの悪そうな顔をした。
一方、周りで見ていた騎士たちはキックスの味方をする事はなかったが、「剣の受け取り方くらいでこまけぇな!」と責める事もしなかった。
たぶん、ティーナさん以外の騎士は、これまでのレッカさんの態度にそれぞれ思うところがあったんだろう。
女性騎士は二人だけで不安だろうと気を遣って、砦の騎士たちは不器用なりにレッカさんを安心させようとよく喋りかけていたのだが、レッカさんはやはり警戒している様子で、いつも言葉少なに返すだけなのだ。何もしていないのに警戒ばかりされていては、あまり気分はよくなかっただろう。
いかつい顔の騎士たちが頑張って笑顔を作って近づいて来たらそれはそれで怖いし、私だって最初はみんなを怖がってたからレッカさんの気持ちは分かる。
だけど努力しているのに一向に報われない砦の騎士たちも可哀想だ。どうにか仲良くなって欲しいけど……。
隻眼の騎士もため息をついて思案している様子だ。
微妙な空気のまま訓練の準備が整うと、まずレッカさんを中央に呼ぶ。
「レッカ、お前は強いと聞いているぞ。どれくらいやれるのか見せてもらおうか。対戦相手は、そうだな……」
この空気の中でレッカさんに対戦させるの? と私は心配になった。
隻眼の騎士にも何か考えがあるのだろうか?
「グレゴリオ、剣を持て」
隻眼の騎士が呼んだのは、コワモテ軍団の一人、赤毛であご鬚のグレゴリオだ。
女性にしては長身のレッカさんよりさらに体も大きいし腕も太いし、やっぱり顔も怖いし……レッカさん、大丈夫かな。
「構えろ」
隻眼の騎士が言うと、グレゴリオは唇の端を持ち上げて余裕の顔で、レッカさんは真剣な顔をしてそれぞれ剣と盾を構えた。
そうして合図がかかると、レッカさんはすぐさま大きく一歩踏み込み、剣を振る。グレゴリオはそれを軽く受けようとしたけど、レッカさんは思っていたより腕力があったようで、ギンという衝撃音とともに剣を受け止めると、一瞬目をすがめた。見ているだけの私でもレッカさんの一撃が重かったのが分かる。
同じ女性騎士であるティーナさんのさらっとした剣と比べると、隻眼の騎士の剣に似ていて力強い。よっぽど鍛えてなきゃ、女の人でこんな攻撃はできないと思う。
「おぉ……」
と、周りからも驚きの声が上がった。
グレゴリオはまだ余裕を見せているけど、最初のように笑ってはいない。素早く繰り出されるレッカさんの攻撃をひたすら受け止めている。剣と剣がぶつかる音が何度も響いて、私はぴくぴくと耳を震わせた。
レッカさんは真剣だった。
訓練とはいえ手を抜くつもりはないようで、鬼気迫ると言ってもいいような表情で剣を振るっている。
ここで負けたら、周りの騎士たちから舐められてしまうと心配しているのかな。
そしてついに、レッカさんはグレゴリオの隙を突いて、その肩に一撃を浴びせる事に成功した。
刃は潰されているから服や体が切れる事はなかったけど、金属の棒で思い切り叩かれてるようなものだから痛いはずだ。
「そこまで」
隻眼の騎士が片手を上げると、レッカさんは勝利を喜ぶでもなく、深く息を吐いて端へ去ろうとした。
けれど――
「おい」
そこでグレゴリオが低い声を出して止める。
訓練場はしんとした空気に包まれて、私は落ち着かない気持ちで忙しなく耳を動かした。
去りかけていたレッカさんは、緊張しているような険しい顔をして振り返る。
「何か文句でもあるのか?」
まるで以前にもこうやって男の騎士を負かして、その後に負け惜しみの暴言を吐かれたかのような警戒の仕方だ。
私はごくりと唾を飲んだ。見てるこっちの心臓が持たない。
ここは私が間に入って何か馬鹿な事をやり、この場の空気を和ませよう。そう思った。
ごろんとお腹を見せたら笑ってくれるかな。それとものんきな笑顔を作って二人の周りをぐるぐる駆け回ってみようか。穴を掘って土まみれになったら面白いかな。
と、私がそんな事を考えているうちに、グレゴリオはニカッと歯を見せて笑顔になっていた。
「いいや、文句はねぇよ。ただ、思ったよりやるじゃねぇかと言いたかっただけだ」
予想外の言葉にレッカさんは目を見開き、しばし固まっていた。
私もグレゴリオは怒っているのかと思ったけど、それは杞憂だったみたい。女の人に負けて怒るような、そんな小さい人じゃなかったようだ。
ぎこちなく動き出したレッカさんは、眉尻を下げてグレゴリオに謝罪した。
「すまない。舐められてたまるかと、訓練なのに思いきり打ち込んでしまった」
「構わねぇよ。俺も女だからと手を抜こうとした」
グレゴリオが片手を差し出すと、レッカさんは少し恥ずかしそうにしながらもその手を取って握手をした。それを見て周りの騎士たちも笑う。
氷が溶けたように、みんなの雰囲気がよくなった。
グレゴリオは気さくだし、おじさんと言っても違和感のない年齢に入っているので精神的に余裕もある。レッカさんの警戒を解くには適任だと隻眼の騎士は思ったのかも。
そしてたぶん、グレゴリオも隻眼の騎士に名前を呼ばれた時点で自分の役割を分かっていた。
「お前強いな。女にしては筋力もありそうだし、副長みたいに早朝に鍛えてるのか?」
周りで見ていたコワモテ軍団の一人、太っちょバウンツがレッカさんに声をかけている。
「……いや、朝はあまり強くないんだ。自主訓練は夜に部屋でできる事をしているくらいで」
「夜に? 体力あるなぁ」
バウンツはそう言うと、訓練中だというのに制服のポケットから人間用のジャーキーを取り出して食べ出した。
いつもいい匂いがすると思ったら、あんなところにおやつを入れていたのか。覚えたぞ。
「体を鍛えるのは好きだ。筋トレをしていると心が落ち着く」
レッカさんがしみじみ言うと、
「副長と同じタイプの人間だったか……」
ヤベェ奴が来ちまった、とバウンツは引いていた。
レッカさんは砦の皆を見渡すと、一度深呼吸してから口を開く。
「これまで失礼な態度を取って申し訳なかった。北の砦には荒くれ者が集まっていると聞いていたし、女だからと見くびられないようにしなければと思っていたら変に気を張ってしまって……無愛想になってしまった。キックスも、さっきはすまない」
いつもはきりっと上がっている眉を垂れて、レッカさんは素直に謝った。
「ほら」
「おい」
「キックス」
そして仲間たちからバシバシと肩や背中を叩かれて一歩前に出てきたキックスも、レッカさんに手を差し出した。
「あー、俺も悪かったよ。ごめん」
照れくさそうに握手をしている二人を見ていたら、私まで嬉しくなってしまう。
ティーナさんもレッカさんとキックスの折り合いが悪いみたいだと心配していたから、今はホッとしているようだ。
隻眼の騎士に地面に降ろしてもらうと、私は笑顔で皆の間を走り回った。
人間だったらスキップしたい気分だったので時々ぴょこぴょこ跳ねて、グレゴリオやキックス、レッカさんの脚に飛びつく。
「ミルが一番嬉しそうだな」
キックスが笑って言った。
砦の雰囲気がいい感じだと、私も嬉しいのだ。




