ミルの望み
そうこうしているうちに迎賓室に戻ってきた。
出ていった時と同じく扉の前には騎士が二人立っていたが、扉を開けると中にいるメンバーは変わっていた。
キックスやティーナさん、王妃様や近衛騎士、侍女さんはいなくなっていて、代わりに見知らぬ中年男性が一人と、さらに王子様がいる。
王子様! 探してたのに! 入れ違いでこの部屋にいるなんて!
だけど部屋にいた五人は、私たちが入ってくるまで何やら真面目な話をしていたようだった。そんな空気が残っている。
私が入ってもいいのかなと不安に思っていると、
「お、待ってたぞ」
団長さんが右側のソファーに座ったままそう言ってくれた。その隣には支団長さんがいて、向かいのソファーには王子様と見知らぬ中年男性が座っている。
そして王様は奥のソファーに移動していた。
団長さんの斜め後ろに立った隻眼の騎士はそこで私を床に降ろしてくれたけど、私は初めて見た中年男性に人見知りしていたので、足元に隠れたまま動かなかった。
クガルグも隣で鼻をヒクヒクさせて、空気に混じった匂いから相手の情報を得ようとしている。
見知らぬ中年男性は、中年と言ってもくたびれたおじさんではない。すらりとした体型の美形のおじさんだった。
ただし、雰囲気は冷淡そうな感じだ。
黒を基調にした品のある衣装を着て、首元にはおしゃれな紫のスカーフを巻いており、男性にしては長めの黒髪を後ろで一つに縛って、切れ長の目で冷ややかにこちらを見ている。
(……ちょっと怖い)
この人には関わってはいけない、と私は思った。
撫でてもらおうと近寄ったら舌打ちされそうな気がするのだ。
騒がしくしても怒られそうだから私は隻眼の騎士の脚の陰で気配を消していたのだが、黒髪の美中年は次の瞬間、意外な行動に出た。
ソファーから腰を上げてこちらに向かってきたかと思えば、冷たい表情から一瞬で破顔し、ゆるゆるの顔で私とクガルグに触れようとしてきたのだ。
「おぉ~! やっと会えた! ずっと会いたかったんだぞ~!」
声も赤ちゃんに話しかけているかのように、わざと高くしている。
「ほらほら、こっちへおいで」
美中年の唐突な変化に恐れを抱いたらしいクガルグが素早く逃げてしまったので、私が捕まった。
とはいえ私も彼の変貌ぶりが逆に恐怖だったので、隻眼の騎士の脚に前足を回して必死に張りつき、抱き上げられないようにする。
「あー、可愛いなぁ」
しかし美中年はめげる事なく、隻眼の騎士にくっついたままの私を撫でた。
何なんだこの人は……と震えていると、
「父上」
と、支団長さんが呆れたように声をかけた。
(父上?)
そう言われると、この美中年と支団長さんは顔も雰囲気も似ている気がする。
「……しだんちょうさんのパパなの?」
隻眼の騎士の脚から離れて恐る恐る尋ねると、とてもいい笑顔で「そうだ」と答えられた。
続いて王子様も笑ってこう言う。
「初対面の人間には冷たそうに見えたり、とっつきにくそうだと思われるようだけど、優しい人だよ。子煩悩だし、動物も好きだ」
息子が支団長としての威厳を保つために意図して氷の仮面を被っているのに対して、支団長さんパパは元々薄情そうな顔をしているみたいだ。
だけど息子と同じように優しいし、動物も嫌いではないらしい。
だが、支団長さんパパは動物好きである事を全く隠そうとする気配がない。オープン動物好きだ。
「ふわっふわだな。ふわっふわ」
そして意外と明るい。
支団長さんパパは私の胸毛を気に入ったらしく、ずっとモフモフしていた。
怖い人でないのは分かったけど、そのギャップの激しさに私は戸惑いを隠せない。厳格そうな美形の中年が「ふわっふわ」とか言ってはしゃいでる。
「父上、座ってください。話の途中ですよ」
支団長さんは父親の頬の緩みっぷりにも慣れた様子で注意している。団長さんや王様も笑っていた。
「いや、陛下からずっと精霊の子の話をうかがっていたからな、つい興奮してしまった。クロムウェルは何故この子たちの可愛さをもっと手紙に書いて寄越さなかったんだ。いつもいつも素っ気ない内容ばかりで。こちらが『調子はどうだ?』と送っても『別に問題はありません』とそればかり。お前の母さんも兄さんも、いつもお前の事を心配しているというのに」
「……今日来たのが父さんだけでよかった」
支団長さんは疲れたような声でぼそりと呟いた。お母さんやお兄さんも似たようなキャラなんだろう。
支団長さんパパがソファーに座り直すと、団長さんが穏やかな口調で話を始めた。
「クロムウェルを王都に戻すか否かの話し合いは一旦中断しましょう。クロムウェルはまだ戻りたくない、殿下たちはそろそろ戻ってきてほしいで平行線ですから」
それを聞いて私は一人焦った。
お城をうろうろしている間に話し合いが始まっていたなんて!
しかも支団長さん有利には話は進んでいなかったらしい。ここからは私も参加して、どうにか支団長さんが北の砦に留まれるよう説得しなくては。
しかしそう意気込んだところで、団長さんが話題を変えて私を呼んだ。
「それより先に――ミル」
出鼻をくじかれつつも、私は団長さんの足元にとことこと近寄る。
なぁに? と顔を見上げると、団長さんは今度は王様に声を掛けた。
「陛下、先ほどの手紙の内容をミルに伝えてやっては?」
「今か?」
王様が一瞬怪訝そうな顔をしたので、団長さんはこうつけ足した。
「ミルはクロムウェルによく懐いているんですよ」
すると王様はすぐに納得した表情をして、「ああ、なるほどな」とほほ笑んだ。
そしてこちらに視線を向けて手招きしてきたので、私はまたとことこと王様の足元に移動する。
「なぁに?」
今度はちゃんと声に出して訊く。
王様は私の頭を一度撫でた後で、「先ほどの、スノウレアからの手紙だが……」と話を切り出した。
「母上のてがみ?」
「そうだ、見てごらん」
王様が手紙を広げて見せてきたので、私はソファーに前足をつき、首を伸ばして覗き込んだ。
手紙には何か重要な事が書いてあるのだろうと思っていたのに、そこに書かれていたのは短い一文だけだった。
しかし私には母上の書いた美しい文字を読むことができない。
「なんて書いてあるの?」
「ああ、まだ文字が読めなかったのか」
王様は金色のまつげをキラキラさせながら笑って、手紙を読み上げた。
「『無事王都に辿り着いた勇敢なミルフィリアに、何か褒美をやっておくれ』……と、こう書いてあるのだ」
私はぴょこんと耳としっぽを立てた。
「私に……?」
ご褒美を?
母上ってば、まさか私に持たせた手紙にこんな事を書いていたなんて。
母上が私を王都に向かわせたのはハイリリスの危険から遠ざけるためなので、手紙というのも私をおつかいに出すための小道具でしかなく、最初から王様には用事などなかったのだろう。
手紙に鼻をくっつけて母上の残り香をふんふんと嗅ぐと、勝手にしっぽが揺れ始める。
(母上、私がちゃんとおつかいを全うできるって信じてくれてたんだ)
そう思うと、胸の辺りにじんわりと嬉しさが広がっていった。
母上に甘えたくなったがここには母上はいないので、代わりに香りが残っている手紙に頬を擦りつけておいた。カサカサする。
「さぁ、ミルフィリア。雪の子よ。褒美には何が欲しいのだ? 何でも与えよう」
「ほんと?」
一国の王に「何でも与えよう」と夢のようなセリフを言われている私。
ほほ笑む王様のバックに金銀財宝の山の幻が見えてしまう。
でも金塊や宝石を貰ったって使い道がない。
「宝石のついた装飾品がいいか? それともお菓子の方が嬉しいか? 白いクリームの乗ったものが好きだっただろう」
王様がそんな事を言うから生クリームたっぷりのケーキを食べているところを想像してしまって、私は幸せな顔で自分の口の周りを舐めた。
「じゃあ、クリームのおかしが欲し――」
しかし私がそう決めたところで、
「ミル、本当に菓子でいいのか?」
団長さんが後ろから口を挟んできた。
私は締まりのない顔をして鼻をペロペロ舐めながら、振り返る。
「“何でも”いいんだぞ。菓子くらい私がいくらでも買ってやる。陛下にしか叶えてもらえないようなお願いをするといい」
団長さんの言い方から、私に何か特定のお願いを王様にしてほしがっているのが分かった。
だけど具体的にそれが何かは分からないので、「?」と小首を傾げて団長さんを見つめ返す。
「ミルの望みは他にもあるんじゃないか?」
言いながら、団長さんはかすかに顎を動かして隣にいる支団長さんを指した。
「ふぁ?」
ケーキでいっぱいになった頭で返事をしたら気の抜けた声が出てしまったけど、私は支団長さんの方を見てしばし考えた。
――そして気づいた。
私の本当の望みと、団長さんの思惑に。
ハッと目を見開くと、私がこれから何を言うのか分かっているようにニコニコと笑っている王様に向き直り、口を開く。
「おかしはやっぱり欲しくないから、かわりに、おねがい。しだんちょうさんをまだ、北のとりでにいさせて」
座っている王様の膝に前足を乗せておねだりする。
不意を突かれて、後ろで王子様と支団長さんパパがびっくりしている気配を感じた。そして支団長さんも。
「ずっと一緒はむりだってわかってるけど、お別れするのはさびしいよ。だからせめて、しだんちょうさんが自分でおうとに戻りたいっておもうまで、北のとりでにいさせてほしい」
私は言いたい事を伝え終わると、王様の膝に揃えて乗せている前足にさらに自分の顎を乗せ、自分の可愛さを精一杯アピールすべく、上目遣いで相手を見つめた。
ねえねえ、いいでしょ? こんなに可愛くおねだりしてるんだから支団長さんを北の砦にいさせてくれるでしょ?
上目遣いじゃ駄目? あと何したらいい? どんな可愛いポーズ取ったら、おねだり聞いてくれる?
ここはやはり腹チラかと思って素早く床でヘソ天してみるも、ソファーが邪魔で王様の視界から外れてしまった。
詰めの甘い私だったが、支団長さんは感動してくれているようだ。
「ミル……」
床に寝転んだままそちらを見ると、かすかに瞳をうるませていた。
「ミルが菓子よりも俺を選んだ……」
そこで感動しないでほしいな! 私そんなに食い意地張ってないよ!
支団長さんとお菓子なら支団長さんを選ぶよ。
でも後で生クリームの乗ったケーキを買ってね。
私は起き上がると、今度は支団長さんの方へ駆け寄ってまた立ち上がり、膝に前足を乗せた。
嬉しそうな支団長さんとそんな支団長さんに撫でられている私を見て、王様は王子様や支団長さんパパに話を振った。
「さて、私は雪の子が望む褒美を与えてやりたいと思っているわけだが……お前たちはどう思う?」
先に笑ってため息をついたのは王子様だった。
「精霊に望まれれば仕方がないですね。クロムウェルにはまだしばらく北の地にいてもらいましょう」
「ええ、そうですね」
支団長さんパパも頷くと、素っ気ない息子に向かってこう命令した。
「クロムウェル、毎月忘れず手紙を送ってくるんだぞ。一度につき便箋五枚が最低ノルマだ」
「五枚も書くことなんてありませんよ……」
支団長さんは私を膝の上に持ち上げながら、呆れて言った。
だけどこれで、支団長さんは北の砦に残れる事になったみたい。
団長さんも満足気に笑っているし、隻眼の騎士もホッとした様子だった。キックスとティーナさんも支団長さんが支団長のままでいてくれると分かったら喜ぶだろう。
「しだんちょうさんとお別れじゃなくなって、よかった!」
「ああ、俺もミルと離れずに済んで嬉しい」
ここには自分より年下の部下がいないからだろうか、支団長さんはあまり周りの目を気にする事なく、私に向かってにっこりとほほ笑んだのだった。




