はじめてのおつかい、おわり(1)
無事に囮作戦が終わり、私は気を抜いてしまったようだ。
支団長さんに抱かれたままいつの間にか眠っていたらしく、気づいた時には王城の中にいた。
どうやらここは、母上とも一緒に訪れた事のある迎賓室みたい。
華美な白いテーブル――やたらと細かい彫刻を施された上、脚はオシャレな曲線を描いて、先がくるんと丸まっている――を挟んで、王様と王妃様は目の前に座っていた。
金髪碧眼で穏やかそうな容貌の夫婦は、いつも通り仲良く寄り添ってほほ笑んでいる。
王様たちと話をしているのは団長さんと支団長さんのようだ。二人は私とクガルグを挟んでふっかふかのソファーの両端に座っている。
私はぼーっと寝ぼけ眼で談笑する皆を見つめていたけれど、
「ふっ……!?」
鼻ちょうちんがぱちんと弾けると同時に、ビクッと体を揺らして本格的に覚醒した。
視界に映る王様と王妃様はずっと逆さを向いている。
どうやら私はまたへそ天で寝ていたらしい。
ソファーの真ん中で大の字になり、これでもかとリラックスして体を伸ばしている。
ふと隣を見ると、クガルグは上品にきゅっと体を丸めてすやすやと寝息を立てていた。
一方私は目を覚ます直前、すぴぴー、すぴぴぴぴー、とうるさく鼻を鳴らしていた気がする。
女子として恥ずかしくなり、慌てて起き上がろうとした。
四本の短い足で空中をバタバタ蹴っていると、支団長さんが手を伸ばして助けてくれる。
「起きたか、ミル」
「ははは、よく寝ていたな」
王様に笑われてしまって顔が熱くなった。
ソファーの上で一度立ち上がったものの、身を低くして寝ているクガルグの後ろにいそいそと隠れる。
王様たちとは何度も会っているけど、小心者なのでいまだに顔を合わせるとドキドキしてしまうのだ。
王族オーラがすごくて眩しい。
私の精霊オーラよ、負けじと頑張れ。
「相変わらず雪の子は控えめで恥ずかしがり屋だ」
「控えめで恥ずかしがり屋……」
支団長さんが王様の言葉を繰り返して呟く。
何か文句がある?
「猫を被っているのでしょう。城へ着くまではお転婆でしたよ」
団長さんが明るく笑って私の頭に手を乗せる。
やめてよ! ここでは私はおしとやかキャラで通ってるんだから!
「しかし遠い道のりをよく来てくれた。大変だったであろう。スノウレアからの手紙を運んできてくれたと聞いたのだが?」
王様に言われてハッとする。
そうそう、それが私の本来の目的だ。
えーっと、どこへやったっけな。母上の大事な手紙、母上の大事な手紙。
……母上の大事な手紙は?
というか、ウサギリュックがないぞ。
羊の仮装は誰かが脱がしてくれたみたいだけど。
ソファーの上でぐるぐる回っていると、
「ミル、ここだ」
後ろから隻眼の騎士に声を掛けられた。
あれ? 隻眼の騎士もいたんだ!
隻眼の騎士とキックス、ティーナさんはソファーに座ることなく私たちの後ろに静かに控えていた。
そして隻眼の騎士はリュックを開けてからソファーに置いてくれる。
と同時に、中から母上の妖精と父上のヘビがぬるりと出てきた。
ずっと狭いところにいてもらって悪かったね、と二人に鼻先をくっつけてねぎらう。
するとまず、父上のヘビが一度ペロッと細い舌を出してから、十個の光に別れて部屋の窓から外へ出ていこうとした。
もう私たちに危険な事は起こらないと判断して、父上のところに帰るのかな。
戦ったら、六つの光の玉でできていたハイリリスの妖精より強いに違いないけど、戦闘になるような事態には陥らなかったために基本は全く動かなかったヘビ。ありがとう。
しかし窓が開いていなかったので、十個の光の玉は外に出ようとしてポコポコと何度も硝子にぶつかっている。
王様の近衛騎士が慌てて大きな窓を開けると、水色の光たちは一列になって外へ飛んでいった。
続いて母上の妖精が点滅しながら私の鼻にタッチして、父上の妖精と同じように窓から出ていこうとする。
が、目があるんだか分からないが、妖精は『バイバーイ』と私の方を見ながら後ろ向きで飛んでいったようで、近衛騎士が開けてくれている窓ではなく、その隣の閉じた窓に思いきりぶつかっていた。
ぱん、と小さな音が鳴って、母上の妖精が一瞬硝子に貼りつき平べったく伸びる。
しかし次の瞬間にはまた丸い形に戻って、若干照れた様子でちょろちょろと宙を飛んでから、今度はちゃんと開いた窓から外へ出ていった。
心なしか去っていくスピードが速かった気がする。恥ずかしかったんだろう。
「ふふふ、愉快ですね」
王妃様が笑ってくれたのでよかった。
「そういえばハイリリスは……?」
私は部屋の中を見回して言った。
ここにいるのは王様と王妃様、壁際に控えている近衛騎士たち。
そして私とクガルグ、団長さんに支団長さん、その後ろにいる隻眼の騎士とキックス、ティーナさん。
さらに扉付近でテーブルの上の飲み物やお菓子の減り具合に目を光らせている侍女さんだ。
「ハイリリスは城に入る前、いつの間にかいなくなっていたな」
「そうなんだ……」
お別れくらい言ってくれたらいいのに。
私が寝てたから気を遣ってくれたのかな。
「あ! あとしだんちょうさんのけんは!?」
「ん……」
私の声に反応してピクピクと耳を動かし、クガルグも目を覚ました。
「俺の剣?」
支団長さんは軽く首を傾げている。
「そう、しだんちょうさんのけん(件)! 北のとりでの……あ、まって」
クガルグが大きく口を開けてあくびをしているのを見ていたら、私にも移ってしまった。
「ふあ~ぁ」と遠慮なくあくびをしてから話を続ける。
「北のとりでの、しだんちょうを続けるか続けないかってやつ」
「ああ、その件か」
「サーレルたいちょうさんは、まだ北のとりでに来たいって?」
「いや、部下があのような事件を起こした今となっては、第九支団の事はとりあえず諦めると言っていた。それどころじゃないからな」
だけど、“とりあえず”っていうところがサーレル隊長さんらしい。野望を捨てていないところに安心してしまう。
しかしサーレル隊長さんの脅威は去っても、支団長さんは北の砦に残れるわけじゃない。
そもそも王子様や実家から王都に戻って来いと言われていたから、サーレル隊長さんも「じゃあ代わりに私が支団長に」と手を挙げたわけで。
支団長さんに近衛騎士をやってほしがっている王子様や、環境の厳しい北の地からこちらに戻ってきてほしがっている家族の人たちを説得しなければ、支団長さんは北の砦から去らなければいけなくなる。
「王子さまはどこ?」
支団長さんでは王子様に強く意見を言えないかもしれないし、ここは精霊である私が話をつけなくっちゃと思った。
「殿下はまだ仕事中だ。俺の父ももうすぐ登城してくるだろうから、三人で一緒に話ができればと思っているが……」
一緒になんて駄目だよ!
王子様とお父さんは意見が同じなんだから、その二人対支団長さん一人で、支団長さんが断然不利だ。丸め込まれちゃう。
こういう時はね、相手がバラバラでいる時に一人ずつ倒すんだよ。
「私、ちょっとさんぽ!」
支団長さんのお父さんがやって来る前に王子様を倒してしまおうと、私はソファーから飛び降りた。
「ミル」
隻眼の騎士が止めようとしたが、王様が「自由にさせてやればいい」とほがらかに笑ってくれた。
ただし、続けてこうも言う。
「ただ、雪の子よ。スノウレアからの手紙を見せてから行っておくれ」
「あ、そうだった!」
何かきっと重要な事が書いてあるに違いない、母上の手紙!
私はソファーによじ登ると、ウサギリュックに顔を突っ込み、鼻先で手紙を探った。
見つけると口に咥えてリュックから出て、再び絨毯の敷かれた床に降りる。
迂回して行くのが面倒なのでテーブルの下を通って、王様の膝の上に筒状に丸められた手紙を乗せた。
「はい、これ。おてがみ」
「ありがとう」
「私の母上から」
「ああ、知っている」
「ちゃんとよんでね」
「もちろん」
王様が紫の紐を解き始めるのを見てから、私は王子様と話をつけるべく部屋を出ようとした。クガルグもソファーから降りて後をついてくる。
この部屋と廊下をへだてる重厚な扉は、私の力では開けられそうにない。しかしここには周りにたくさん人間がいるから大丈夫。
扉のすぐ前にお座りして、隣に立っている侍女さんをじいっと見つめる。
目が合ったらもう一度目の前の扉に視線を向けてから、また侍女さんを見上げる。
すると、ほら。
侍女さんは王様に確認した後でほほ笑みながら扉を開けてくれた。
周りに人がいれば、大抵の事は何とかなるのである。
「ありがと!」
お礼を言いながら、扉が完全に開かないうちに隙間に体を滑り込ませて廊下へ出た。
廊下側の扉の脇にも騎士が二人立っていて、私とクガルグが飛び出てくると驚いた顔をする。
殺風景で暗い砦の廊下とは違い、調度品やら絵画やらが飾られた華やかで広い廊下をクガルグと走った。
床には深い赤色の絨毯が敷かれていて肉球が冷たくないし、爪が床に当たってもチャッチャッいわない。
それに砦よりずっと廊下の直線が長いので追いかけっこも楽しい。
途中でクガルグに抜かされそうになったので、本気を出して爆走してしまった。
二人同時に廊下の端に行き着いて、「ハッハッ……」と肩で息をしながら「たのしいね!」と笑い合う。
「じゃあこんどはこっちから走って、あっちのはしに――」
――じゃない。あっちの端に、じゃない。
私は王子様を探すために廊下に出たんだった。
「今のなし! 王子さまをさがさなきゃ」




